瀬田 (世田谷区・川崎市)
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瀬田(せた)は、東京都世田谷区及び神奈川県川崎市高津区の地名。両地域は多摩川を挟んだ両岸に位置する。
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[編集] 東京都世田谷区瀬田
南部は、街として二子玉川と呼称される地域の一部にあたる。 北部は、環八通りに面す。
[編集] 地理
国分寺崖線沿いにあり、崖線の上からは多摩川や富士山まで見渡せる場所がある。丸子川沿いなどに自然が程よく残されている閑静な地域であり、財界人・政界人・芸能人等が暮らしている。
[編集] 交通
瀬田交差点は、環八通りと国道246号の交点である。また、東名高速道路東京ICと首都高速3号線用賀出入口は瀬田、砧公園、玉川台、上用賀の境界に存在する。
[編集] 瀬田温泉
瀬田交差点近くに位置する瀬田温泉(山河の湯)は、天然温泉である。二子玉川駅から機関車を模した外観のシャトルバスが運行する。国分寺崖線上にあり、多摩川の眺めや緑を満喫できる。また、都内で富士山が見える唯一の露天風呂である。
[編集] 川崎市高津区瀬田
二子橋(旧大山街道)の右岸側に位置し(二子橋右岸はかつては瀬田の一部であったが、平成9年に二子一丁目となった)、すぐ側に東急田園都市線二子新地駅がある。多摩川堤防に近接するが、瀬田一帯は周囲より一段低くなっている。現在は、多摩川沿いの閑静な住宅街になっている。
[編集] 周辺
[編集] 歴史
かつて多摩川は頻繁に洪水を起こし、流路も度々変わっていたため、村が多摩川で分断されることが度々あり、ここ瀬田も多摩川により分断されていた。
かつては全域が武蔵国荏原郡に属していたが、明治45年に郡境が多摩川上に設定され、以降右岸地域は橘樹郡(後に川崎市)に属すこととなり、以降現在まで両岸に地名が残っている。
[編集] 明治以降の行政区画
- 左岸地域
- 東京市に編入、東京市世田谷区になる。
- 六郷用水(現在の丸子川)を境に北側が玉川瀬田町、南側が玉川町になる。なお、玉川町には旧玉川村大字諏訪河原字向河原(明治45年に神奈川県橘樹郡高津村より編入)が含まれた。
- 東京都制施行、東京都世田谷区玉川瀬田町、玉川町になる。
- 玉川町が鎌田町、岡本町各町域と境界変更を行い、大蔵町飛地を編入し、東部(旧高津村大字諏訪河原の一部)を残した上で住居表示を施行(その残った地域は数年後の住居表示時に上野毛となる)。玉川一丁目~四丁目が設置される。
- 玉川瀬田町の一部が玉川台に編入される。
- 玉川瀬田町が岡本町字下山の一部を編入し、東名高速道路以北を砧公園と大蔵一丁目に編入するなど隣接各町域と町域整理を行った上で住居表示を施行。瀬田一丁目~五丁目が設置される。
- 右岸地域
- 川崎市に編入、神奈川県川崎市瀬田になる。
[編集] 多摩川両岸に点在する同地名
多摩川を挟んで同じ地名があるのは、もともとこれらの一帯が同じ村域であったことを意味している。多摩川の氾濫等で流路は頻繁に変わったが、川を挟んだ両岸が一つの村であり、渡し舟等で往来した。この様な事例は他に、高津区下野毛(旧荏原郡下野毛村の大部分が移管)、等々力(世田谷区と川崎市中原区)、宇奈根(世田谷区と川崎市高津区)、押立(町)(府中市と稲城市)などにも見られる。
なお、かつて橘樹郡から荏原郡・北多摩郡に移管した地域は全て他の町域に編入されるなどしており、現在は地名が残っていない。その例として以下のものがあげられる。
- 橘樹郡稲田村大字宿河原→狛江村大字宿河原(→狛江市駒井町の一部)
- 橘樹郡高津村大字諏訪河原→北多摩郡砧村大字諏訪(→世田谷区諏訪町→世田谷区鎌田町→世田谷区鎌田)
- 橘樹郡高津村大字諏訪河原→荏原郡玉川村大字諏訪河原(→世田谷区玉川町→世田谷区玉川・上野毛)(明治以降の行政区画にて既述)
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