独ソ不可侵条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
独ソ不可侵条約(どくそふかしんじょうやく、独:Deutsch-Russischer Nichtangriffspakt、英:German-Soviet Nonaggression Pact)は、1939年8月23日にドイツとソ連の間に締結された不可侵条約。
ヒトラー=スターリン条約とも呼ばれる。また、署名した両外務大臣の名前を取り、モロトフ=リッベントロップ協定(露:Пакт Молотова-Риббентропа、英:Molotov-Ribbentrop Pact)とも呼ばれる。
犬猿の仲といわれたヒトラーとスターリンが手を結んだことは、世界中に衝撃を与えた。特に西欧の共産主義者や社会民主主義者に与えた影響は大きく、イギリスとフランスは共に8月25日ポーランドと相互援助条約を結んだ。日本ではノモンハン事件中での日独防共協定違反に対して8月28日に平沼騏一郎内閣が「欧州情勢は複雑怪奇」と声明して総辞職した。
期限は10年間。同条約には秘密議定書が付属し、東ヨーロッパにおける独ソの勢力範囲(バルト3国、ルーマニア東部のベッサラビア、フィンランドなどをソ連の勢力範囲とする)を画定し、独ソ両国によるカーゾン線におけるポーランド分割が合意された。のちにバルト三国がソ連より独立する際、この秘密議定書を根拠に主権の回復を主張することになる。 ゆえに、1991年に独立したと言うのは正確には間違いになるのである。
ヒトラーもスターリンもこれは互いの利害を確認するための一時的な協調に過ぎないと考えていた。ヒトラーはこれに従って、同年9月には両軍がポーランドに侵攻して分割占領した。ソ連は同年11月30日フィンランドに侵攻した(冬戦争)。
1941年6月22日にドイツは同条約を破棄、独ソ戦を開始した(暗号名称:バルバロッサ作戦)。
[編集] 参考文献
- ハリソン・E・ソールズベリー 著\大沢正 訳『独ソ戦 この知られざる戦い』(早川書房、1980年) ISBN 4152051590
- 義井 博『ヒトラーの戦争指導の決断 一九四〇年のヨーロッパ外交』(荒地出版社、1999年) ISBN 4752101084
- ヴェルナー・マーザー 著\守屋純 訳『独ソ開戦 盟約から破約へ』(学習研究社、2000年) ISBN 4054009832
- アンソニー・リード&デーヴィッド・フィッシャー 著\根岸隆夫 訳『ヒトラーとスターリン 死の抱擁の瞬間』上、下(みすず書房、2001年)