相鉄3000系電車
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3000系電車(3000けいでんしゃ)は、相模鉄道に在籍していた通勤形電車である。
なお、本稿では3000系電車を車体更新した3010系電車と、そのカルダン駆動・VVVFインバータ制御化改造車の3050系電車についても記述する。
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[編集] 3000系
- モハ3001~3003・3006、クハ3501~3503
元は東京急行電鉄(大東急)が小田原線向けに割り当てを受けた63系払い下げ車の1800形である。このうち、デハ1803~1858-クハ1853~1858の2両編成6本が厚木線の東急委託時代に二俣川~海老名間用として転属してきた。1947年(昭和22年)の委託解除により、そのうち1806~1808-1856~1858の3本が東急時代と同番号で相鉄に譲渡された。これらは1951年(昭和26年)の改番でモハ3001~モハ3003-クハ3501~3503となった。なお、1960年(昭和35年)に2両編成の3000系を3両編成化するにあたり、3503を電装・方向転換しモハ3006としている。1964年(昭和39年)~1965年(昭和40年)にかけて3010系に更新され、車両番号は原番号+10とされた。
- モハ3004
元はモハ1300形1300・1303~1306と同時に払い下げを受けた20m級の戦災焼失国電で、種車はモハ60形である。1949年(昭和24年)に本田工業所で車体を新造し、モハ1300形の続番である1307として復旧した。種車の関係で側面は63系払い下げ車と異なり片側3扉である。1951年の改番でモハ3004となったが、1965年の3010系への更新の際には機器のみがモハ3014に流用され、車体・台枠は解体された。
- モハ3005
元は国鉄サハ48形の事故廃車車体の払い下げを受けたものである。1953年(昭和28年)に浦田車両で側面3扉化・電装化・両運転台化の工事を受け、モハ3005となった。この車両も1966年(昭和41年)の3010系への更新の際には機器のみがモハ3015に流用されている。
- クハ3504
元は3001~3003・3501~3503と同じ63系だが、事故廃車となったモハ63056の車体を1952年(昭和27年)にカテツ交通で復旧したものである。復旧に際し、前面は切妻から曲線雨樋のある平妻にされている。1965年に3010系に更新され、クハ3513となった。
[編集] 3010系
旧3000系の足回りを流用し、1964年~1966年の間にかけて、5回に分け東急車輛製造で旧6000系と同様の車体に載せ替えられ、3010系として9両が落成した。また、1966年には付随車であるサハ3514の1両を新製している。なお、外観上旧6000系とは尾灯の形状(旧6000系は角形、3010系は丸形)などの細部が異なる。10両編成(または2両を抜いて8両編成)で運用されていた。
[編集] 3050系
1986年(昭和61年)から1987年(昭和62年)の2回に分けて、冷房装置搭載・車体更新と合わせて足回りを相鉄では初めてVVVFインバータ制御方式に変更し、併せて系列・形式名称を3050系[1]に改めた。制御装置は東洋電機製造製と日立製作所製(1両のみ)の2社のものが1つの編成で混在していた。またこの改造の際、台車を取り替えたものと据え置いたものがあり、10両で4種類の台車が混在していた。この時、尾灯は角形のものとなり、外見上は旧6000系とほぼ相違がなくなった。この改造により相鉄は、関東地方の私鉄(戦後の新規開業路線を除く)では初めて冷房化率100%を達成した。
また、電動車2両が電装解除されて付随車になり、この2両にはかつて2100系(クハ2609・2610)で使われ、保管されていた東急車輛TS-325形が使われた。7000系で使われた日立KH-72A1形と同一設計と思われる台車である。
1997年(平成9年)に旧6000系が営業運転を終了してからは、相鉄で低運転台で残る唯一の車両だったが、1998年(平成10年)に相模大塚駅の留置線で脱線事故を起こし、一部車両の足回りを激しく損傷、また1系列1編成のみの存在だったこともあって修理はされずに8000系に置き換えられる形で翌1999年(平成11年)に廃車、解体された。
[編集] 脚注
- ^ 相鉄では、公式には「3000系」と称しているようである。