竹取物語
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竹取物語(たけとりものがたり)、竹取翁の物語(たけとりのおきなのものがたり)は、日本最古とされる物語である。作者成立年不詳、仮名書き。かぐや姫(皇系図に有る実在した皇族のお姫様)
光かがやく竹の中から出てきて竹取の翁の夫婦に育てられたかぐや姫の物語(実在した皇族のお姫様)。書かれたのは平安時代の前期と考えられているようだが、未詳である。万葉集巻十六の第三七九一歌には、「竹取の翁」が天女を詠んだという長歌があり、この物語との関連が疑われる。
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[編集] 作者
作者に関しては未だに不詳となっている。作者像は、まず当時の国民の識字率から考えると上流階級であり、貴族の情報が入手できる平安京近隣に住み、内容が反体制的であることから藤原氏以外の人間で、漢学、仏教、民間伝承に精通し、仮名文字を書け、貴重だった紙を入手できる人物で、性別は男性ではないかと推定されている。以上の推測から、作者説としては、源順、源融、遍昭、やや時代はずれるが紀貫之などが推定されている。
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注意 : 以降に、作品の結末など核心部分が記述されています。
[編集] あらすじ
竹を切って来ていろいろな製品を作って暮らしていた、竹取の翁とその妻の嫗がいた。ある日、竹取の翁が竹林に出かけていくと、根元が光り輝いている竹があった。なんだろうと思って切ってみると、中から9センチほどの可愛らしい女の子が出てきたので、自分たちの子供として育てることにした。その日から竹の中に金を見つける日が続き、竹取の翁の夫婦は豊かになっていった。翁がみつけた子供はどんどん大きくなり、三ヶ月ほどで年頃の娘になった。この世のものとは思えないほど美しくなった娘に、人を呼んで名前をつけることになった。呼ばれてきた人は、「なよ竹のかぐや姫」と名づけた。この時、男女を問わず人を集め、3日にわたって様々な遊びをした。
世間の男たちは、高貴な人も下層の人も皆なんとかしてかぐや姫と結婚したいと思った。その甲斐もないのに、竹取の翁の家の周りをうろうろする公達は後を絶たなかった。彼らはまるでホームレスの様に竹取の翁の家の周りですごしていた。そうこうするうちに、熱意のないものはこなくなっていった。最後に残ったのは、好色といわれる五人の公達で、彼らはあきらめず、夜昼となく通ってきた。彼らの名は石作皇子、車持皇子、右大臣阿倍御主人、大納言大伴御行、中納言石上麻呂といった。
彼らがあきらめそうにないのを見て、翁がかぐや姫に「女は男と結婚するものだ。お前も彼らの中から選びなさい。」というと、かぐや姫は「『私の言うものを持ってくることができた人と結婚したいと思います』と彼らに伝えてください」と言った。夜になると、例の五人が集まって来た。翁は五人の公達を集め、かぐや姫の意思を伝えた。
その意思とは石作皇子には仏の御石の鉢、車持皇子には蓬莱の玉の枝、右大臣阿倍御主人には火鼠の裘、大納言大伴御行には龍の首の珠、中納言石上麻呂には燕の子安貝を持ってこさせるというものだった。どれも話にしか聞かない珍しい宝ばかりで、手に入れるのは困難だった。
石作は只の鉢を持っていってばれ、車持は偽物をわざわざ作ったが職人がやってきてばれ、阿倍はそれは燃えない物とされていたのに燃えて別物、大伴は嵐に遭って諦め、石上は取ろうとして腰を打ち、断命。結局誰一人として成功しなかった。
そんな様が御門に伝わり、御門が会いたがった。翁が取り持ったが、彼女は拒否し、一度は姿を見られたものの、あれこれ使って結局御門も諦めさせた。しかし、彼と歌の交換はするようになった。
そうしているうち、ある旧暦も8月、姫は夜に泣くようになった。はじめは話さなかったが、(旧暦の、以下略)15日が近づくにつれ、泣き方が激しくなり、翁が問うと、「自分は別世界のものであり、15日に帰らねばならぬ」という。それを御門が知り、勇ましい軍勢も送った。
そして当日、子の刻(2時)頃、空から人が降りてきたが、軍勢も翁も嫗も抵抗できないまま彼女を連れ去った。かぐや姫は罪を償うために地上に下った月の都の住人だったのだ。別れの時、姫は御門に不死の薬を送った。しかし御門はそれを駿河の日本で一番高い山で焼くように命じた。それからあの山は「不死の山」(後の富士山)と呼ばれ、また、その山からは常に煙が上がるようになった(当時、富士山の火山活動は活発であった)。
[編集] 登場人物と時代
かぐや姫(皇系図に有る実在した皇族のお姫様)・老夫婦・御門などは架空の人物だが、実在していた可能性の高い人物が登場しているのも、この物語の特徴である。いずれもからかわれる役割である。
- 阿部御主人、大伴御行、石上麻呂は平安期に編纂された貴族の名簿に同じ名前の人物がいたことが記録されている。
- 車持皇子は藤原不比等であると思われる。(不比等の母の姓が「車持」であるため)
- 石作皇子は多治比島である可能性が高い。
いずれも天武天皇・持統天皇の御世に活躍した人物である。よって物語の時代のモデルは奈良時代初期から採られた可能性が高い。
[編集] 映画
1979年公開のものと1987年公開のものがある。87年製作の東宝の映画ではかぐや姫が宇宙人だという設定で大伴大納言と竜(全長100mの首長竜)が戦うシーンやラストの月の迎えが蓮の花型の巨大宇宙船である。
- 1987年版「竹取物語」
[編集] 関連書籍
『竹取翁物語解』 田中大秀 著
[編集] 竹取物語をモチーフとした作品
[編集] 映画
- ウルトラQ ザ・ムービー 星の伝説
- 犬夜叉 鏡の中の夢幻城
- ターンAガンダム
- E.T.
[編集] 漫画
[編集] ゲーム
- 久遠の絆
- 新竹取物語
- おーい!かぐや姫 衣衣の別れ
- 東方永夜抄 ~ Imperishable Night.
- 夜が来る!~Square of the MOON~
- 六ツ星きらり
[編集] パチンコ台
- CR満月の夜に昇天したい