茨城観光自動車
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茨城観光自動車株式会社(いばらきかんこうじどうしゃ-)は、かつて茨城県土浦市に本社を置き、路線バス ・貸切バス・タクシー・旅行業・不動産業を営んでいたバス会社である。通称茨観バス(いばかん)と呼ばれた。
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[編集] 沿革及び会社概要
- 1946年 羽富自動車として土浦~竜ヶ崎間を3台のバスで運行開始(無認可)
- 1949年5月 茨城観光自動車設立 当初は貸切バスで事業免許取得
- 2001年5月13日 ダイヤ改定
- 2001年6月1日 全路線廃止
- 2002年5月 会社清算
[編集] 会社清算に至るまで
2001年5月に茨城新聞1面に「茨城観光自動車が廃業」との記事が掲載されて、茨観が危機であることが報じられた。この紙面における社長のコメントは赤字路線を抱えることから、その赤字額が膨らんだためとしているが、真相は違う。子会社(茨観商事)のバブル期の不動産投機が焦げ付いてしまい、融資していた銀行の「貸しはがし」によるものである。子会社では対処できなくなり、親会社である茨観本社の資金まで手をつける事態となっていた。負債金額は12億円である。[1]
営業末期は路線廃止に次ぐ廃止で、2000年12月の上郷線が廃止、全線廃止前の龍ケ崎ニュータウン線では社員が大量に退職してしまい、廃止期日まで運行ができなくなる事態になり、共同運行相手の関東鉄道が急遽、社員とバスを各営業所から掻き集めて運行を確保していた。茨観は会社幹部が姿をくらます事態に、労働組合による自主運営となりダイヤ作成や運行管理を全路線廃止まで行っていた。
[編集] 会社規模
社員数約100名
[編集] 営業所と路線
- 本社営業所
- 下高津営業所(通称:土浦営業所) 運行管理事務所、工場、路線、貸切バス、タクシー車庫を併設
- 竜ヶ崎営業所(廃止) 事務所 バス待機休憩所併設
- 茨城県龍ケ崎市
- 開設
- 所管…
- 奥野事務所 事務所 路線バス車庫併設
- 茨城県牛久市正直町
- 開設
- 所管…
土浦市、つくば市、龍ケ崎市、牛久市、阿見町、美浦村、旧江戸崎町に路線バスを運行していた。
つくば市をエリアに含んでいたが、つくばセンターバスターミナルを発着する路線を持ったことがない。
[編集] 関係会社
- 茨観タクシー 茨城観光自動車タクシー部→(有)茨観タクシーに分社
- 茨観トラベルサービス 貸切課の営業部門 定期販売、旅行斡旋、営業等を行っていた
- 茨観商事 経営陣が設立したグループ不動産会社
- 八洲商事 BMW正規代理店 土浦本社、守谷支店 (元経営陣)
- 宇田川石油 八州商事と縁戚関係の県内最大手石油販売会社 主要取引先
[編集] 主なターミナル
- 土浦駅 - 島名・上郷線、福田線・竜ヶ崎線
- ひたち野うしく駅 - ひたち野うしく線(牛久駅東口~ひたち野うしく駅)
- 牛久駅(後に全て東口) - 栄町循環線、牛久愛和病院線、牛久市内循環線(みどり野方面)、女化農協線、みどり野線、14次線、女化線、牛久総合福祉センター線、江戸崎線、牛久線、正直線、牛久浄苑線、(スクール線 県立牛久高校・東洋大付属牛久高校・君ヶ小)
- 佐貫駅 - ニュータウン長山線、ニュータウン久保台線、ニュータウン龍ヶ岡線(白羽線)
- 竜ヶ崎駅 - 竜ヶ崎線、牛久線、みどり野線、14次線、女化線
[編集] 特記事項
路線バスのデザインは、日野オリジナルデザインであるが、社歴によると茨城観光が日野に発注しデザイン化させたのが日野に採用されたそうである。
その後、発注流れのバスを富山地方鉄道が購入しそのまま茨観カラーが地鉄バスの正式なカラーリングとして採用された。
[編集] 関連項目
- 関東鉄道 - 最大競合会社。一部で共同運行していた。廃止後、一部を除き路線を継承。
- ジェイアールバス関東 - 廃止後、一部路線を継承。
- 牛久市コミュニティバス - 茨城観光自動車のバス路線撤退が大きく影響している。
- つくバス - 上郷線、高須賀線沿線では事実上の代替交通となっている。その前はのりのりバス。