見城美枝子
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見城美枝子(けんじょう みえこ、1946年1月26日 - )は、青森大学社会学部教授・エッセイスト・ジャーナリスト・評論家・キャスターで日本リーダー養成協会理事長。
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[編集] 経歴
- 群馬県館林市出身。
- 群馬県立館林女子高等学校卒業
- 早稲田大学理工学部建築学科卒。
- TBSアナウンサーとなる。「ケンケン」の愛称を持ち、美人局アナとして絶大な人気を誇った。
- おはよう700の司会を務め、同局の五木田武信氏らと「キャラバンII」の海外ロケも多くこなす。
- 進藤晶子・雨宮塔子らの大先輩にあたる。
- TBSを退社し、フリーになる。旺盛な好奇心を発揮した体当たりの取材で高い評価を得る。
- 1981年、24時間テレビ「愛は地球を救う」(第4回、日本テレビ系)で徳光和夫とともに総合司会を務めた。
- 早稲田大学大学院理工学研究科博士後期課程単位取得満期退学。
- 現在、青森大学で教鞭をとるかたわら、財団法人尾瀬保護財団理事、給水工事技術振興財団理事、公共建築賞審査委員会委員、文部科学省中央教育審議会委員、国土交通省国土審議会北海道開発分科会特別委員、国土交通省国土技術政策総合研究所研究評価委員会委員、厚生労働省社会保障審議会福祉文化分科会委員、厚生労働省医道審議会臨時委員などをつとめる。
[編集] エピソード
- 亡くなった第84代内閣総理大臣小渕恵三とは同郷で同じ早稲田出身、しかも小渕は郵政族だったこともあり関係が深かった。小渕優子は衆議院議員になるまでTBSに勤務していたので、見城は先輩になる。
- 2006年6月7日の衆議院教育基本法特別委員会の参考人質疑で、教育基本法に「愛国心」を盛り込むことを高く評価した。
- 1995年新人代議士で地域政党「東京市民21」代表委員海江田万里に担ぎ出され第17回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から無所属で立候補、横路孝弘からも支援を受けたが定数4のところ6位と大敗を喫する。(次点は新党さきがけ新人中村敦夫。実は海江田の前所属政党日本新党の党首だった細川護煕も、海江田が結党に参加しなった新進党の新人候補として擁立すべく見城に接触した。)
- 多数の審議会委員を務めて概して政府寄り発言を行う一方、いわゆる革新系団体の講演も引き受けるなど、節操がないとの批判もある。
- 4児の母である。
- TBSラジオの人気番組だった「それゆけ歌謡曲」でコンビを組んだ愛川欽也によれば、自局のコールサインJOKRを二度もJOQR(文化放送)と間違えて言ってしまった伝説の女子アナウンサーであるらしい。
[編集] 社会的活動
[編集] 主な著書
- 『25時のテイクオフ』
- 『見城美枝子の本音で!リフォーム奮闘記』
[編集] 主なテレビ出演
カテゴリ: TBSのアナウンサー | フリーアナウンサー | 1946年生 | 国政選挙立候補経験者 | 群馬県出身の人物