諏訪魔
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諏訪魔 | |
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プロフィール | |
リングネーム | 諏訪魔 諏訪間 幸平 |
本名 | 諏訪間 幸平 |
ニックネーム | ネクスト・ジャンボ 暴虐アリゲーター |
身長 | 188cm |
体重 | 120kg |
誕生日 | 1976年11月23日 |
出身地 | 神奈川県藤沢市 |
所属 | 全日本プロレス |
スポーツ歴 | 柔道 アマチュアレスリング |
デビュー | 2004年10月11日 |
諏訪魔(すわま、1976年11月23日 - )、本名:諏訪間 幸平(すわま こうへい)は、日本の全日本プロレス所属のプロレスラー。神奈川県藤沢市出身。身長188cm、体重120kg。
[編集] 経歴
高校時代は柔道部で活躍(入学当初は柔道部でいじめに遭い、登校拒否寸前であったと自ら告白している)し、中央大学進学後にレスリングを始めて主将となる。2002年の全日本レスリング選抜選手権で優勝し、世界選手権代表にも選ばれ、2004年アテネオリンピックを目指すも、自分の階級の出場枠がなくなった事によってプロレスの道へ歩む事になる。
2004年4月に全日本プロレスに入門し、同年10月11日後楽園ホール大会にて馳浩戦でデビュー。
試練の7番勝負初戦ではベイダーと戦い、彼のその巨体を見事に投げ切ってみせるなどして健闘。「ネクスト・ジャンボ」(ジャンボ鶴田二世という意味合い)というあだ名で名を馳せていく。
2005年には新春恒例のヘビー級バトルロイヤルで優勝し、賞金100万円を獲得。武藤敬司と組んで世界タッグ王座にも挑むなど、活躍の幅をさらに広げた。
同年9月18日、熊本市の興南会館で行われた「熊秋祭(ゆうしゅうさい)」の第1試合直後、極悪集団VOODOO-MURDERSに捕まって金属パイプで殴打されそうになっていた当時練習生のブルート一生を救出。逃げ遅れた"brother"YASSHIをアンクルホールドで負傷欠場に追い込んで、その破壊力を知らしめた。
その一方で、後楽園ホールにおけるタッグマッチでの佐々木健介との対戦であごを骨折し欠場するなど、次第に伸び悩みを見せる部分もあった。
そして、2006年1月8日の大阪大会で、三冠ヘビー級王者である小島聡と全日本プロレス本隊への不満を爆発させ、それまで対立していたはずのVOODOO-MURDERSへ加入し、小島、武藤らと本格的に対峙する気概を見せ付けた。今までエリートアスリートとしての印象が強かったが、この転進によって存在感ある大型ヒールとしての大成が大いに期待される。
デビュー当時からは本名で活動していたが、VOODOO-MURDERS入りに伴い2006年2月にリングネームを諏訪魔に改名した。同年のチャンピオン・カーニバルでは、仲間のアシストもあって三冠王者小島を破り準優勝。6月10日の熊本三井グリーンランド大会「武藤祭」では、王者の指名で三冠王座に挑戦。激闘の末敗れたものの、その実力を改めて証明した。2007年1月4日にはタッグマッチながら長州力と初対戦した。
2007年2月17日、RO'Zと両国大会で川田利明・太陽ケア組と世界タッグ王座を争うが、不甲斐ない試合内容で敗れた。
現在のところヒールとしての集団戦ではそれなりの試合が出来ているが、反則や乱入で間を持たせられない類のシングル戦やタッグ戦になると、攻めの単調さ(アンクル・ホールドとラリアットといくつかの投げ技しか使えない)とスタミナの無さから試合が極度に間延びしてしまう。今後の精進が期待される。
[編集] 得意技
- ジャーマン・スープレックス
- デビュー当初からヒールターンまでのフィニッシュ技。TARUはこれを食らった後「あれは人を殺しかねない」と言っている。デビュー当初は非常に危険な角度で落としていたためジャマールや武藤を失神させたことも。
- バックドロップ・ホールド
- アンクルホールド
- ラストライド
- 諏訪魔改名後のフィニッシュ技。使いどころをよく知っており、必殺技としての説得力がある。
- ブードゥーロック
- 2006年の5-6月シリーズで考案。両脚をクロスさせる、変形のアンクル・ホールド。ロックした足がVの字に見えることから命名。
- ダブルチョップ
- 諏訪魔に改名してから使用した技。それまで打撃技が軽かった諏訪魔にとって、力強さをより見せることができるようになった。
- ローリングラリアット
- 影に隠れた諏訪魔の決め技。
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