世界タッグ王座
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世界タッグ王座(せかいたっぐおうざ)とは、PWFが管理・認定する全日本プロレスのフラッグシップタイトル。
三冠ヘビー級王座と世界タッグ王座を同時に保持する選手は五冠王者と呼ばれる。
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[編集] 歴史
世界タッグ王座はインターナショナル・タッグ王座とPWF世界タッグ王座の統一王座である。1988年6月10日にインターナショナル・タッグ王者であるロード・ウォリアーズとPWF世界タッグ王者であるジャンボ鶴田・谷津嘉章組が統一戦を行い、その2日後の6月12日にジャイアント馬場はNWAとPWF双方から了解を得て、6月27日に統一戦に勝利した鶴田・谷津組を世界タッグ王者とすることを発表。以降、現在まで継承されている。
当初は世界最強タッグ決定リーグ戦の時期になると王座を返上し、優勝したタッグチームが改めて王者になるという形式が取られていたが、現在では返上するということはなく、全日本プロレスにおけるタッグの至宝といえる存在となっている。
[編集] 歴代王者
以下の表は、2006年6月10日現在の歴代王者の記録をまとめた表である。王者が王座返上したまたは剥奪された場合は、次のシリーズで王座決定戦によりタイトル移動が行われるか年末の世界最強タッグ決定リーグ戦で王者を決定する。
それ以外は、すべて前王者に勝利してのタイトル移動。
歴代数 | タッグチーム | 防衛回 | 獲得日付 | 獲得した場所(対戦相手・その他) |
初代 | ジャンボ鶴田&谷津嘉章 | 0 | 1988年6月10日 | 日本武道館、アニマル・ウォリアー&ホーク・ウォリアー |
第2代 | スタン・ハンセン&テリー・ゴディ | 0 | 7月29日 | 高崎市中央体育館 |
第3代 | ジャンボ鶴田&谷津嘉章 | 0 | 7月31日 | 函館市千代ヶ台陸上競技場 |
第4代 | 天龍源一郎&阿修羅・原 | 0 | 8月29日 | 日本武道館 |
第5代 | ジャンボ鶴田&谷津嘉章 | 0 | 8月30日 | 大阪府立体育会館、王座返上 |
第6代 | スタン・ハンセン&テリー・ゴディ | 0 | 12月16日 | 日本武道館、世界最強タッグ決定リーグ戦優勝 |
第7代 | ジャンボ鶴田&谷津嘉章 | 7 | 1989年2月2日 | 米国カンザス州カンザスシティー・メモリアルホール |
第8代 | 天龍源一郎&スタン・ハンセン | 0 | 7月11日 | 札幌中島体育センター |
第9代 | ジャンボ鶴田&谷津嘉章 | 1 | 7月22日 | 石川県産業展示館 |
第10代 | 天龍源一郎&スタン・ハンセン | 0 | 10月20日 | 愛知県体育館、王座返上 |
第11代 | 天龍源一郎&スタン・ハンセン | 0 | 12月6日 | 日本武道館、世界最強タッグ決定リーグ戦優勝 |
第12代 | テリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムス | 1 | 1990年3月6日 | 日本武道館 |
第13代 | ジャンボ鶴田&ザ・グレート・カブキ | 0 | 7月19日 | 武生市体育館、王座返上 |
第14代 | テリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムス | 2 | 12月7日 | 日本武道館、世界最強タッグ決定リーグ戦優勝 |
第15代 | スタン・ハンセン&ダニー・スパイビー | 2 | 1991年7月6日 | 日本武道館 |
第16代 | テリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムス | 0 | 7月6日 | 横須賀市総合体育館 |
第17代 | 三沢光晴&川田利明 | 1 | 7月24日 | 石川県産業展示館、王座返上 |
第18代 | テリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムス | 0 | 12月6日 | 日本武道館、世界最強タッグ決定リーグ戦優勝 |
第19代 | ジャンボ鶴田&田上明 | 2 | 1992年3月4日 | 日本武道館、王座返上 |
第20代 | 三沢光晴&川田利明 | 0 | 12月4日 | 日本武道館、世界最強タッグ決定リーグ戦優勝 |
第21代 | テリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムス | 0 | 1993年1月30日 | 千葉県体育館 |
第22代 | 川田利明&田上明 | 2 | 5月20日 | 札幌中島体育センター |
第23代 | スタン・ハンセン&テッド・デビアス | 1 | 9月3日 | 日本武道館、王座返上 |
第24代 | 三沢光晴&小橋健太 | 2 | 12月3日 | 日本武道館、世界最強タッグ決定リーグ戦優勝、王座返上 |
第25代 | 三沢光晴&小橋健太 | 2 | 1994年12月10日 | 日本武道館、世界最強タッグ決定リーグ戦優勝 |
第26代 | 川田利明&田上明 | 3 | 1995年6月9日 | 日本武道館 |
第27代 | スタン・ハンセン&ゲーリー・オブライト | 0 | 1996年2月20日 | 松本市総合体育館 |
第28代 | 川田利明&田上明 | 0 | 2月20日 | 岩手県営体育館 |
第29代 | 三沢光晴&秋山準 | 2 | 5月23日 | 札幌中島体育センター |
第30代 | スティーブ・ウィリアムス&ジョニー・エース | 1 | 9月5日 | 日本武道館 |
第31代 | 川田利明&田上明 | 1 | 1997年1月17日 | 松本市総合体育館 |
第32代 | 小橋健太&ジョニー・エース | 0 | 5月27日 | 札幌中島体育センター |
第33代 | スティーブ・ウィリアムス&ゲーリー・オブライト | 1 | 7月25日 | 日本武道館 |
第34代 | 小橋健太&ジョニー・エース | 0 | 10月4日 | 愛知県体育館 |
第35代 | 川田利明&田上明 | 4 | 1998年1月25日 | 横浜文化体育館 |
第36代 | 小橋健太&秋山準 | 1 | 1999年1月7日 | 高知県民体育館 |
第37代 | ジョニー・エース&バート・ガン | 0 | 6月9日 | 宮城県スポーツセンター |
第38代 | 大森隆男&高山善廣 | 0 | 7月23日 | 日本武道館 |
第39代 | 三沢光晴&小川良成 | 0 | 8月25日 | 広島市東区スポーツセンター |
第40代 | 小橋健太&秋山準 | 2 | 10月23日 | 愛知県体育館 |
第41代 | ベイダー&スティーブ・ウィリアムス | 0 | 2000年2月20日 | 神戸ワールド記念ホール、王座返上 |
第42代 | 川田利明&田上明 | 0 | 6月9日 | 日本武道館、大森隆男&高山善廣、王座返上 |
第43代 | 太陽ケア&ジョニー・スミス | 3 | 2001年1月14日 | 後楽園ホール、川田利明&渕正信 |
第44代 | 天龍源一郎&安生洋二 | 2 | 7月14日 | 日本武道館 |
第45代 | 武藤敬司&太陽ケア | 2 | 10月22日 | 新潟市体育館 |
第46代 | ブライアン・アダムス&ブライアン・クラーク | 1 | 2002年7月17日 | 大阪府立体育会館、王座返上 |
第47代 | 小島聡&太陽ケア | 0 | 12月6日 | 日本武道館、世界最強タッグ決定リーグ戦優勝 |
第48代 | 武藤敬司&嵐 | 5 | 2003年6月8日 | 横浜文化体育館 |
第49代 | 小島聡&カズ・ハヤシ | 1 | 2004年1月18日 | 大阪府立体育会館 |
第50代 | 永田裕志&ケンドー・カシン | 0 | 6月12日 | 愛知県体育館、王座剥奪 |
第51代 | 太陽ケア&ジャマール | 3 | 2005年1月16日 | 大阪府立体育会館、吉江豊&棚橋弘至、王座返上 |
第52代 | 川田利明&太陽ケア | 0 | 2007年2月17日 | 両国国技館、現王者組 |
[編集] 世界タッグベルト返還請求訴訟
- 経緯
- 2004年6月12日に行われた世界タッグ選手権で、ケンドー・カシンと永田裕志(新日本プロレス)が世界タッグベルトを獲得。カシンは試合後に「このベルトは封印する」と宣言し、その言葉通り半年間防衛戦を行わなかった。
- カシンは全日本プロレス側より王者を剥奪されたが、ベルトを返還しなかった。その後、全日本プロレスが世界最強タッグベルトの返還を求める際に、誠意を持った対応をせずに「ベルトの写真撮影のためにベルトを貸してほしい」などの発言をしたため、カシンにとって王者としてのプライドを傷つけられた結果となり、また「貸してほしい」とカシン自身に所有権を認めたかのような発言を全日本プロレス側が行い、その後カシンは全日本プロレスとの連絡を一切取らないようになった為、全日本プロレスは2005年8月2日付で東京地裁に民事訴訟を起こした。
- 初公判
- 2005年10月5日、東京地裁513法廷で行われた。
- 初公判において全日本プロレス側は訴状でと前提として「選手契約を結んでいた被告と」した。しかし実際には全日本プロレスの以下のような杜撰な契約体制、ベルト管理体制であったことが明るみになり、結果として訴状自体の効力が問題視された。
- 全日本プロレスの選手契約は口約束のため、契約書など存在しない。
- 「ベルトは全日本の由緒正しい所有物。団体側に所有権があり、王者には預託しただけ」
- 選手契約の杜撰さもさることながら、そもそも全日本プロレス世界タッグ選手権を「勝利」したはずのレスラーにベルトの所有権がなく、王者に預託しただけ、すなわち、王者とは団体が預託するすると決めただけの存在であるかのような発言は全日本プロレスの他のベルトの「預託」者にも好ましい印象を与えるとは思えない。初公判の席上、裁判長は主に以下の2点について全日本プロレス側に質問をした。
- (1)全日本プロレスの所有物であるならば、そもそもどういう経緯で手に入れたのか
- (2)王者になるという事とベルトを占有する事に違いはあるのか
- 特に「(2)王者になるという事とベルトを占有する事に違いはあるのか」というものは全日本プロレスにおけるタイトル戦の存在意義そのものを問われかねない質問である。
- 東京スポーツ証拠資料提出
- 全日本プロレス側の弁護士が、カシン被告の全日本プロレスに対する無礼な言動を示す証拠として提出したのがなんと「東京スポーツ」だった。この証拠を提出された裁判長は以下のようにコメントし、証拠を却下した。
- 「これはベスト・エビデンス(証拠)にはならない。次は、ちゃんとした資料を出して下さい」
- 顛末
- 全日本プロレスは早期和解を求めたが、カシン側は「ベルト獲得後に全日本プロレスに試合を組んでもらえなかったことが原因」とし、あくまでもリング上での決着を求めたため物別れに終わった。長期化する裁判に嫌気がさしたのか、カシン被告は唐突に2006年4月末に着払いでベルトを返還したと報道されているが、なぜか全日本プロレスの公式発表は一切ない。