"brother"YASSHI
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"brother"YASSHI | |
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プロフィール | |
リングネーム | "brother"YASSHI STEVIE"brother"TSUJIMOTO "brother"YASSINI "strong"YASSHI ヤッシーウォリアー 辻本恭史 |
本名 | 辻本恭史 |
ニックネーム | VMのおしゃべりマシーン |
身長 | 173km |
体重 | 80kg |
誕生日 | 1982年1月26日 |
出身地 | 京都府宇治市 |
所属 | プロレスリングElDorado |
スポーツ歴 | アマチュアレスリング |
トレーナー | ウルティモ・ドラゴン ホルヘ・リベラ |
デビュー | 2000年 |
"brother"YASSHI(ぶらざーやっしー、1982年1月26日 - )は、日本の男子プロレスラーである。本名:辻本 恭史(つじもと やすし)。プロレスリングElDorado所属。身長173cm、体重80kg。京都府宇治市出身。(大阪市西成区出身とコールされることもある。)通称、ブラザー。
目次 |
[編集] 経歴
闘龍門の7期生で、プロレスデビューは2000年にメキシコ・アレナ・ロペスマテオスでの大鷲透戦である。当時はミラノコレクションA.Tらの所属するイタリアンコネクションというユニットのメンバーであった。なお、イタリアン・コネクション時代はギミック上ジャマイカ・キングストン出身、イタリア・ジェノヴァ出身を名乗ったこともある。当時より受けの上手さには定評があり、同じ団体でやはり受けの達人である横須賀享との2003年2月16日のシングル等で高い評価を獲得している。
闘龍門JAPANを経てDRAGON GATEではヒールのユニットである「悪冠一色」で下品なマイクパフォーマンスなどで人気があったが2004年末に近藤修司らとともにリング外における素行不良・職務怠慢で解雇される。
2005年2月に近藤とともにVOODOO-MURDERSに加入。以来全日本プロレスを主戦場としている。嫌われ者ながらも、その気持ちいいまでの受け(やられっぷり)には定評がある。同年7月からはdragondoor興行へ参加。2006年2月23日以降はdragondoorの後継団体プロレスリングElDoradoに所属している。
2006年8月27日の馳浩引退興行では、観戦していた森喜朗元首相を得意のマイクで罵倒し場外乱闘一歩手前にまで持ち込むという暴挙に出る。2006年12月小島聡と対戦するも敗北。
TAKAみちのくに負けず劣らずの口の巧さと、対戦相手を引き立てる技量の高さを認めるファンやライターも少なくない。
[編集] タイトル履歴
- 全日本プロレス
- アジアタッグ王座
- 第79代…パートナーは近藤修司。
- UWA
- UWA6人タッグ王座
- 第23代…brother"YASSINIとして、パートナーはミラノコレクションA.T.&YOSSINO。
- 第28代…パートナーは近藤修司&大鷲透。
[編集] 得意技
- フライング・ビッグヘッド
- ダイビング・ヘッドバットだが、ヘルメットが被れない程のブラザーの大きな頭からこう名付けられた。飛ぶ前に「ビッグヘッド」と数回叫びながらポーズを取るが、その間にダウンしていた相手が蘇生する事もしばしば。
- ナイス・ジャマイカ
- ジャーマンスープレックスホールドと同型。ドン・フジイのナイスジャーマンに対抗して、自身のギミックのモチーフから名付けられた。
- バッド・ボーイ
- 前方回転してのネックブリーカー。
- ポストーレ・デ・ラ・ノーチェ
- T2P時代のフィニッシュホールド。最近は全く使わない。
- ターン・テーブル
- 変形のローリングクレイドル。
- ヤッシ・リフト
- アマレスの俵返し。ブラザーのレスリング技術の高さが窺える数少ない技。
- 口撃(こうげき)
- リング内外での罵詈雑言。タッグマッチでは相手に攻撃を加えず、罵倒だけを繰り返してパートナーにタッチすることも。
- 玉砕
- 金的へのクローによる反則攻撃。三人に対して同時にかけると(一人には噛み付き)サンタマリアとなる。
[編集] リングネーム
辻本が用いたことがあるリングネームを順に記す。
- STEVIE"brother"TSUJIMOTO
- "brother"YASSINI
- "brother"YASSHI(現在のリングネーム)
- "strong"YASSHI
- ヤッシーウォーリアー
[編集] エピソード
- マイクなどで罵倒する際、「カス野郎」と対戦相手を罵り(当然のことながらVMメンバー、馳浩(後述)、SUWAに対してはそういうことは言わない)一日のマイクパフォーマンス内においてこの言葉を十数回頻発する。、最後は「ご機嫌ちゃ~ん」と締める。コール時には股間に手を突っ込み、陰毛を毟って息で吹き飛ばすような仕草を見せる。
- 学生時代は手のつけられない不良だったと自負しているが、闘龍門出身者では数少ないアマチュアレスリングの経験者であったり、書道の有段者(五段)であるなど意外な経歴を持っている。(ちなみに悪冠一色のユニット名発表の際の題字は彼によるもの。)また、プロレスリングElDoradoのジャンピングキッド沖本とKAIENTAI-DOJOの火野裕士は高校時代のレスリング部の後輩である。
- 特技は自作のラップ。リング上で披露したり、リリックを自らのブログで公開することもある。
- 実家は辻本石材店。
- 2006年に入り、佐々木健介とのシングル(通称「公開処刑」)では「これならカス野郎の逆水平も耐えられる」として、剣道の防具を装着して入場。リングに上がった直後に頭が大きすぎて被るのが辛かったのか面を取ったために地獄を見ている。当の健介も「面を被っていればよかったのに」と語っている(後に健介はブラザーとのシングルを今後も続けたいと話している)。さらにこの後通路で休んでいたらメーンの武藤と諏訪魔の場外乱闘に巻き込まれて武藤に踏みつけられ、「二次災害や」と散々な目に遭っていた。
- ジュニアシングルリーグではいつものスタイルではなく、黒のショートパンツで試合をしたが、全敗。「ストロングスタイルを見せたる」と大見得を切ったのはよかったのだが、それを逆手に取られてしまい、2006年7月3日の大田区体育館興行では、「ブラザーストロングスタイル体感マッチ」と称した公開処刑が執行された(この時のリングネームがパワーウォーリアーを真似たヤッシーウォーリアーであった)。なお"strong"YASSHIが初登場したのは闘龍門JAPANにおけるストロング市川(ストーカー市川)戦でこの時は白のショートタイツで登場した、試合自体はドン・フジイの介入によりストーカー市川が念願の勝利・・・と思いきやブラザーはわざと試合に負ける事で市川の「闘龍門最弱」というアイデンティティを奪ってしまったのであった。
- 2006年7月23日石川県産業館で行われた全日本プロレスの試合では、出場予定の佐々木健介が目の怪我で欠場につき、プロレス現役引退を間近に控えた馳浩が地元ラストマッチを行うという名目で佐々木の代わりに出場。これを知ったYASSHIは自分が少年時代から馳のファンであった事を明かし(これ以前にも、学生時代馳の著書を愛読していたことを明かしている)、対戦相手に立候補し、武藤敬司・小島聡・馳浩との対戦(TARU・近藤組)が実現した。試合前にYASSHIは(スーツを着た)馳の顔写真入りの緑茶を飲みながら「俺は政治家じゃないレスラー時代の馳が好きだったんや」と叫んでいた。更に8月27日の国技館大会では馳の最後の試合の対戦相手を務めることとなった。また馳とYASSHIには、アマレスという共通のバックボーンがある。
- 相手の攻撃からやっとのことで逃げ出したのに、仲間であるはずのVMメンバーに連れ戻されさらに痛めつけられたり、会場にたまたまあった檻の中に閉じ込められながらも「今日はこの辺で勘弁したるわ!」と叫んで見せたりと、ヒールの枠を超えた「いじられキャラ」として他の追随を許さない存在になりつつある。