谷川浩司
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谷川 浩司(たにがわ こうじ、1962年4月6日 - )は、日本の将棋棋士で、十七世名人資格者。棋士番号131。兵庫県神戸市須磨区出身。若松政和七段門下。
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[編集] 略歴
- 神戸市の私立滝川学園滝川中学校・高等学校卒業。
- 加藤一二三以来、史上2人目の中学生棋士。順調に昇段を重ね、史上最年少の21歳で名人位を獲得。中原誠の後継者と目されたが、程なくして宿敵、羽生善治が登場。八段時代に羽生善治が小学生将棋名人戦で優勝した際には解説を担当し、羽生に対し「これから勉強していけばプロも夢じゃない」とコメントし、後に現実となる。
- 以来、二人の対戦は「ゴールデンカード(将棋界の巨人・阪神戦)」と呼ばれ、火花散る華麗な戦いが将棋ファンを魅了してきた。かつては羽生との相性も良くなかったが、羽生の七冠達成を期にほぼ五分の戦いをしている。
- 近年の戦績としては羽生世代に押され気味で、二番手集団に埋没している感は否めないものの、その「魅せる将棋」を熱烈に支持するファンは多い。特に関西では羽生を凌ぐほどの絶大な人気を誇る。
- 2005年の第18期竜王ランキング戦1組1回戦で三浦弘行に敗れ、本戦出場者決定戦1回戦でも佐藤康光に敗退。これにより、竜王戦創設以来通算18期連続で維持していた1組以上の座(竜王位含む)を失う。
- 続く第19期も2組2回戦で島朗に敗れて挑戦者決定戦トーナメントの出場権を失い、連続記録は完全に途絶える。しかし、昇級者決定戦決勝で同門の井上慶太を破り、1年で竜王ランキング戦1組に返り咲いている。
- 2005~2006年の第64期A級順位戦では8勝1敗と、羽生善治と並びトップの成績をおさめた。2006年3月16日、名人挑戦者決定プレーオフで激闘の末羽生を下し、名人挑戦権を獲得したものの、名人戦七番勝負では森内俊之に2勝4敗で敗れ、9年ぶりの復位はならなかった。
[編集] 人物
- キャッチフレーズは「光速流」。鋭い攻めの「光速の寄せ」は他の追随を許さない切れ味。様式や美学を重んじる最後の棋士と言われ、尊敬を集める人格者である。
- 低段時は、序盤に難があったが、角換わり、矢倉、対振り飛車の居飛車から、振り飛車、8五飛戦法、相振り飛車と近年はレパートリーを広げている。
- 熱心な阪神タイガースファンとしても有名であり、今岡誠と交流がある。弟弟子の井上慶太も熱烈な阪神タイガースファンであり、阪神に対する思いは井上には負けると本人も認めている。
- 阪田三吉の曾孫弟子にあたる。阪田の弟子・藤内金吾一門の流れを汲む一人であり、内藤國雄、森安兄弟(正幸、秀光)、若松政和(谷川の師匠)ら藤内一門は「神戸組」(藤内の将棋道場が神戸市の三宮にあった)とも呼ばれ、将棋界に一大勢力を築いた。
- 実家は寺。谷川が将棋を覚えたのは、幼少の頃、兄の俊昭と兄弟げんかが絶えず、二人で遊べるものをと考えた父が百科事典で将棋のルールを教えたのがはじまりという。俊昭も、プロ入りこそしなかったが、東京大学将棋部に在籍しアマチュア将棋界のタイトルを何度も獲得するアマ強豪となった。雑誌の企画対局において、四段時代の羽生善治を平手で破ったこともある。
- エビやカニにアレルギーがあり、食べることができない。
- 婚姻後、調子を落とし、結婚して駄目になる典型とされたが、1995年の阪神・淡路大震災で生家が全壊するというアクシデントに見舞われたのを機に奮起し、1997年に名人位を羽生から奪い返すとともに、足踏みしていた永世名人位を獲得した。
- 長年の間自転車に乗れなかったため、震災の直後は移動手段がなく、自分の無力さを痛感するとともに将棋を頑張るしかないとの意を強くしたという。
[編集] 光速の寄せ
「光速の寄せ」は、谷川の持ち味である、終盤での短手数での鋭い寄せを指す言葉である。「寄せ」とは、終盤で相手の玉将を追い詰める過程の事をいう。
心理的な駆け引きや日和見をきらい、最短手順で勝敗を決しようとする谷川の寄せは、それまでの将棋観を覆すほどに衝撃的であった。将棋界では、谷川の登場以前と以後では終盤のスピード感がアップし、中盤から勝ちまでしっかり読みきる技術の向上に多大な貢献をした。
もっとも、谷川自身そのことを意識するあまり、勇み足のような形で逆転負けすることもあると告白している。逆に、谷川の寄せを信頼しすぎて、逆転の筋があっても見落とし、そのまま負けてしまう棋士もいる。
[編集] 昇段履歴
- 1973年 5級
- 1975年 初段
- 1976年12月20日 四段
- 1979年4月1日 五段
- 1980年4月1日 六段
- 1981年4月1日 七段
- 1982年4月1日 八段
- 1984年4月1日 九段(昇進当時最年少記録)
[編集] 主な成績
(2007年4月1日現在)
[編集] 獲得タイトル
- 竜王 4期(第3期 - 4期・9期 - 10期)
- 名人 5期(第41期 - 42期・46期 - 47期・55期)
- 棋聖 4期(第59期 - 61期・70期)
- 王位 6期(第28期・30期 - 32期・43期 - 44期)
- 王座 1期(第38期)
- 棋王 3期(第11期・13期・29期)
- 王将 4期(第41期 - 44期)
[編集] 永世称号
- 永世名人(現役引退後に十七世名人を襲名)
※永世棋聖には、あと1期に迫っている。
[編集] 一般棋戦の優勝歴
- 全日本プロトーナメント 7回(第2回・3回・4回・6回・13回・15回・18回)
- 銀河戦 1回(第10回)
- NHK杯 1回(第35回)
- 日本シリーズ 5回(第10回 1989年度 - 12回・17回 - 18回)
- 勝ち抜き戦(5勝以上) 3回(第5回・7回・9回)
- 天王戦 2回(第5回・7回)
- 若獅子戦 1回(第2回)
- 名棋戦 1回(第6回)
合計 21回
[編集] 将棋大賞
- 第6回(1978年度) 新人賞
- 第7回(1979年度) 技能賞
- 第9回(1981年度) 技能賞
- 第10回(1982年度) 殊勲賞
- 第11回(1983年度) 特別賞
- 第13回(1985年度) 最優秀棋士賞・最多勝利賞・最多対局賞
- 第14回(1986年度) 最多勝利賞・最多対局賞
- 第15回(1987年度) 最優秀棋士賞
- 第18回(1990年度) 最優秀棋士賞
- 第19回(1991年度) 最優秀棋士賞
- 第24回(1996年度) 最多対局賞
- 第25回(1997年度) 最優秀棋士賞
- 第26回(1998年度) 最多対局賞
- 第27回(1999年度) 最多対局賞
- 第30回(2002年度) 特別賞
- 第31回(2003年度) 升田幸三賞
- 第34回(2006年度) 名局賞(第64期A級順位戦プレーオフ対羽生善治戦)
[編集] 記録(歴代1位のもの)
- 最年少名人 21歳
- 最速1000勝 25年6ヶ月(2002年)
- 最年少1000勝 40歳3ヶ月(2002年)
- 最速1100勝 29年1ヶ月(2006年)
- 最年少1100勝 43歳10ヶ月(2006年)
- 竜王戦1組以上(竜王在位含む)連続在籍 18期(第1期 - 18期)
[編集] 外部リンク
- 光よりも速く(公認応援ページ)
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