今岡誠
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男子 野球 | ||
銀 | 1996 | 野球 |
今岡 誠(いまおか まこと、1974年9月11日 - )は平成期(1990年代後半-)の阪神タイガース所属のプロ野球選手で内野手。背番号7。身長185cm、体重81kg。右投げ右打ち。兵庫県宝塚市出身。
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[編集] 来歴・人物
1997年、PL学園から進学した東洋大よりドラフト1位で阪神に入団。球団より背番号「4」「7」を提示され、憧れであった真弓明信を継ぐ「7」を選択。
ルーキーイヤーの1997年から1軍出場を経験し、1998年には2番打者としてほぼ全試合に出場して打率2割9分3厘をマーク。タイガースの期待される若手選手の1人であった。1999年の開幕カードの巨人戦ではチーム先制点となる本塁打をレフトスタンドへ放ったが、この本塁打はインコース寄りの難しいボールを強引に引っ張った低いライナー性のもので、今岡が打った史上最高の本塁打との呼び声も高い。解説者の落合博満は「今岡は(今後)生涯あのようなホームランは打てないでしょう。それ位素晴らしいホームランでした」と賞賛している。しかし、このシーズンから就任した野村克也監督との軋轢からバッティングの調子を落とし、翌2000年は構想外となり、2軍に降格される。1軍出場わずか40試合、打率2割1分2厘の屈辱を味わう。2001年はまたも開幕カードで印象的な活躍をした。2戦目に3ランホームラン、そして3戦目にはリリーフ登板した投手から起死回生の同点3ランを放った。このカードは巨人戦だったので野村監督と犬猿の仲といわれる長嶋茂雄監督はメガホンをベンチに叩きつけて悔しがった。解説者曰く「まさしく今岡の為の開幕戦」となったが、それ以降の成績は平凡で、開幕3戦で2本打ちながら、シーズン本塁打は4本だった。このシーズンまでは、構想外となった2000年を除いてほぼ年間を通してチームの主力選手として活躍をしていたが、いまひとつ高い潜在能力を発揮しきれず、一皮むけていなかったのも事実であるが、2002年より星野仙一監督が就任したことで打撃開眼を果たす。これまでは主に2番打者としての出場が多かったが、故障した赤星憲広に代わって1番打者に固定された。ともに初となる打率3割(3割1分7厘)、二桁本塁打(15本)をマーク。翌2003年は不動のリードオフマンとして右方向への長打を量産、「ミスターツーベース」と呼ばれた。この年に打率3割4分をマークし、初の打撃タイトルとなる首位打者に輝き、1985年以来のリーグ優勝の原動力となった。入団当初は和田豊が二塁手のレギュラーだったため、遊撃手であったが、現在は三塁手にコンバートされる。2003年のタイガース優勝におけるチームトップクラスの勝負強さを評価され、2004年には3番、2005年からはチャンスに強い打撃を生かすため5番打者に定着した。この打順変更が当たり、結果として本塁打は20本台後半をマークする中軸として安定した成績を残しており、打順によって自分の打撃スタイルを調整する順応性の高さを証明した。2005年にはミスタータイガースと称される往年の名選手である藤村富美男の球団記録を更新する147打点(日本歴代3位)をマークし、打点王のタイトルを獲得した。
これは前年までは少なかった満塁時における本塁打が増えたことによるものだが、その一方で、打率は前年に比べて伸び悩んだ。これは、無走者で打順が回って来たときなどには無造作に凡退する場面が多かったことが原因であり、そのことを「チャンス以外にはやる気がない」と批判する声も上がった(一方でチャンスの時に集中力を注ぐ為にこのような傾向になった、と擁護する声もある)。
天才的なバットコントロールから、とんでもないボール球をホームラン・長打にしてしまう悪球打ちの名人である。初球から積極的に打っていくことが多く、初球をホームラン、長打にしてしまうケースが多いのは真弓明信と似ている。
また、足の故障が影響して更に鈍足になってしまった。そのため球場の広さや外野手の守備力にもよるが、外野フェンス直撃でもシングルヒットになったり、随分損をしている。しかし、二塁からヒット1本でホームに還ってきたり、右中間を割って激走して三塁打にしたり、加速すればそこそこ速い。これらの事から、「普段は真面目に走っていない」と言われる事もある(併殺打が異常に多い事もある)。
これらのことが、本当に今岡本人がやる気がないのか、単にやる気がなさそうに見えるだけなのかどうかは定かではないが、少なくとも野村元監督には前者と判断されていたようである。但し、少々の怪我では休まない金本知憲や下柳剛が阪神に移籍した後は多少の怪我でも痛み止めやプロテクターをはめる等して試合出場を続ける意気込みを見せている。
2003年は高い守備率が評価され、二塁手としてゴールデングラブ賞を受賞したが、2005年にはセンターライン強化のため三塁手にコンバートされ、14失策を記録した。強肩なのだが、バネ指という故障をかかえているため山なりの不安定なショートバウンドの送球が多く、守備範囲も狭い。そのためか終盤には守備要員と交代させられることが多い。
2006年からは阪神選手会長の座を赤星に譲った。2006年は開幕から絶不調に喘ぎ、スタメンを片岡篤史や関本健太郎に譲ることもあった。そして、6月17日のオリックス戦での死球によって挫傷した右手首の完治が1ヶ月かかると判明したため、以前からの持病であったバネ指の手術へ踏み切った。 9月17日の中日ドラゴンズ戦の9回に代打として登場し、1軍復帰を果たしたが、関本が好調なためスタメンで出場する事は減った。ただし、代打出場では勝負強さを発揮した。
2007年は今岡にとって正念場のシーズンになることが必至である。今岡の離脱後、サードに定着した関本が打率3割と結果を残したこともあるので、今岡は実力でポジションを奪い返さないといけない立場にある。しかし、岡田監督は今岡の起用について、「今岡?5番しかないに決まってるやろ!当たり前や」と言ってることもあり、2005年同様、ポイントゲッターとして、復活することが望まれている。
[編集] エピソード・趣味
- 車のナンバーが「・・・7」である。
- 殊、蟹が大好物である。
- ラーメン好きであることも知られ、西宮にあるつけ麺「大勝軒」にはオフシーズンに週3,4回通うほどの麺好きである。
- 2006年には広島遠征の時、必ず駆けつけるという広島風つけめんを元に考案した「誠のつけ麺」が甲子園球場で限定販売された。
- 将棋の腕前は谷川浩司永世名人に認められるほどである。
- 独特のほがらかな風貌やマイペースな発言が一部ファンのいちびり心をくすぐるのか、一流選手でありながらお笑いネタに上がることもしばしばある。
- 現在、阪神のスポンサー企業である上新電機のCM(赤星、矢野と共に)や、ハウス食品の六甲のおいしい水CMに出演している。
- オフの日には息子と2人で日帰りの温泉旅行に出かけ、帰りに普段は母親から制限されているアイスクリームを「お母さんには内緒やからな」と言って買ってあげるという微笑ましいエピソードもある。
- 妻はプロのネイリストであり、店も構えている。読売テレビで放送されていたゲツキン!にも不定期に出演していた。
[編集] 略歴
- 投打 右投右打
- PL学園-東洋大
- 英語表記 - IMAOKA
- 推定年俸:2億6000万円 (2007年)
[編集] 年度別成績
[編集] 打撃成績
年度 | チーム | 背番号 | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1997年 | 阪神 | 7 | 98 | 252 | 18 | 63 | 11 | 1 | 2 | 20 | 1 | .250 |
1998年 | 133 | 471 | 48 | 138 | 20 | 3 | 7 | 44 | 6 | .293 | ||
1999年 | 128 | 457 | 36 | 115 | 11 | 1 | 6 | 39 | 4 | .252 | ||
2000年 | 40 | 113 | 8 | 24 | 5 | 0 | 1 | 2 | 0 | .212 | ||
2001年 | 123 | 400 | 36 | 107 | 15 | 0 | 4 | 40 | 3 | .268 | ||
2002年 | 122 | 505 | 46 | 160 | 40 | 0 | 15 | 56 | 0 | .317 | ||
2003年 | 120 | 485 | 67 | 165 | 35 | 1 | 12 | 72 | 1 | .340 | ||
2004年 | 138 | 572 | 87 | 175 | 29 | 0 | 28 | 83 | 0 | .306 | ||
2005年 | 146 | 559 | 71 | 156 | 26 | 2 | 29 | 147 | 1 | .279 | ||
2006年 | 59 | 204 | 16 | 45 | 3 | 2 | 7 | 29 | 1 | .220 | ||
通算 | 1107 | 4018 | 433 | 1148 | 195 | 10 | 111 | 532 | 17 | .285 |
[編集] 守備成績
位置 | 1997 | 1998 | 1999 | |||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合 | 刺殺 | 補殺 | 失 | 併 | 率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失 | 併 | 率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失 | 併 | 率 | |
一 | 1 | 9 | 1 | 0 | 1 | 1.000 | --- | --- | ||||||||||
二 | 60 | 100 | 148 | 5 | 32 | .980 | 10 | 6 | 12 | 0 | 5 | 1.000 | 21 | 44 | 61 | 1 | 16 | .991 |
三 | 26 | 9 | 32 | 1 | 5 | .976 | --- | --- | ||||||||||
遊 | 5 | 5 | 9 | 1 | 3 | .933 | 126 | 217 | 363 | 15 | 82 | .975 | 110 | 195 | 324 | 10 | 71 | .981 |
位置 | 2000 | 2001 | 2002 | |||||||||||||||
試合 | 刺殺 | 補殺 | 失 | 併 | 率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失 | 併 | 率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失 | 併 | 率 | |
二 | 28 | 54 | 70 | 1 | 14 | .992 | 64 | 124 | 172 | 3 | 27 | .990 | 121 | 200 | 349 | 6 | 68 | .989 |
三 | 7 | 1 | 7 | 0 | 0 | 1.000 | 71 | 43 | 77 | 3 | 8 | .976 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
遊 | 16 | 12 | 33 | 0 | 7 | 1.000 | 8 | 7 | 16 | 1 | 4 | .958 | --- | |||||
位置 | 2003 | 2004 | 2005 | |||||||||||||||
試合 | 刺殺 | 補殺 | 失 | 併 | 率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失 | 併 | 率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失 | 併 | 率 | |
二 | 119 | 191 | 305 | 7 | 59 | .986 | 130 | 269 | 362 | 7 | 72 | .989 | --- | |||||
三 | --- | 10 | 6 | 12 | 0 | 0 | 1.000 | 146 | 87 | 233 | 14 | 20 | .958 | |||||
位置 | 2006 | |||||||||||||||||
試合 | 刺殺 | 補殺 | 失 | 併 | 率 | |||||||||||||
三 | 49 | 32 | 72 | 5 | 7 | .954 |
[編集] タイトル・表彰・記録
- 首位打者 1回(2003年)
- 打点王 1回(2005年)
- ベストナイン 3回(2002年、2003年、2005年)
- ゴールデングラブ賞 1回(2003年)
- 月間MVP 3回(2002年4月、2003年7月、2005年9月)
- シーズン147打点(2005年) ※歴代3位
- オールスター出場 5回(1998年、2002年~2005年)
[編集] アマチュア時代の成績
- PL学園高:甲子園出場1回(1992年春)
- 東洋大学在籍時にアトランタオリンピック野球日本代表として打率.435を記録。
- 東洋大学史上初のドラフト一位指名選手として阪神タイガースへ入団。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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80 監督 岡田彰布 | 91 島野育夫 | 84 久保康生 | 76 吉竹春樹 | 71 中西清起 | 87 正田耕三 | 85 広澤克実 | 86 和田豊 | 83 嶋田宗彦 | 81 吉田康夫 | 90 続木敏之 | 78 二軍監督 平田勝男 | 88 立石充男 | 70 星野伸之 | 82 葛西稔 | 73 町田公二郎 | 89 山脇光治 | 72 平塚克洋 | 97 加藤安雄 | 74 伊藤敦規 | 75 遠山奬志 | 79 筒井壮 |