三宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
目次 |
[編集] 概要
旧生田区、太平洋戦争後における神戸市の中心的市街地(繁華街)である。 多くの鉄道路線が集中する三宮駅(JRは三ノ宮駅)を中心に商業施設が集まり、神戸市役所にも近い。地名はトアロードと花時計線の交差点北東にある三宮神社に由来する。
[編集] 歴史
歴史的に神戸の中心地は、西から東へ移る傾向がある。平安末期の一時期の間、平氏によって遷都された福原京は、現在の神戸市兵庫区の北部にあった。福原京の近くには湊川が流れていたが、明治初期の付け替えで、旧湊川を埋めた跡地が新開地として開発されて昭和20年代までの間、新開地から東に存在する湊川神社までの地域が神戸の中心部となる。明治の終わりから大正にかけては、湊川神社の東の地域に、神戸三越と大丸百貨店が進出して、その間に元町商店街が形成されるに至る。昭和に入ると、旧居留地の北にあたる地域に新しい市街地が計画され、これが現在の三宮として形成されるもととなる。1933年(昭和8年)に、元町にあったそごうが三宮駅前の現在の場所に移転すると、そこに新たな商圏が形成されつつあった。
1945年(昭和20年)、太平洋戦争における神戸大空襲で、三宮も含めて神戸の市街地は大きな被害を被り、その戦後復興に際して、三宮を商業だけでなく行政の中心にする計画が持ち上がる。そして、1956年(昭和31年)に神戸国際会館が開館する。翌年に、神戸市役所も湊川(現在の兵庫区役所手前)から現在地に移転して駅の北西部には歓楽街が誕生するに至る。昭和40年代から昭和50年代にかけては、さんプラザやセンタープラザも次々と完成して三宮センター街の面影が変貌する。1990年代に、神戸駅前の旧国鉄湊川貨物駅跡地に神戸ハーバーランドが形成されると、客足が神戸ハーバーランドに奪われるようになり、三宮は活気が失われつつあった。1995年(平成7年)、阪神・淡路大震災によって、再び神戸は甚大な被害を被ることとなったが、復興を利用しての施設の改築や再築、街路の整備などが行われた。その結果、ハーバーランドに流れた客足は、再び、三宮に戻りつつある。
現在、三宮では新しい商業施設が相次いで出店している。首都圏を中心に展開している丸井が2003年10月に三宮駅前に関西一号店である「神戸マルイ」を出店。震災で被災して解体されたダイエーさんのみや男館の跡地には2002年にユニクロが、ダイエー三宮オフプライス館の跡地にも「クレフィ三宮」というファッションビルが建築されて2004年10月にオープンした。神戸新聞会館も被災によって取り壊されて跡地は駐車場として利用されていたが、再築によって2006年10月に「ミント神戸」の愛称で再オープンした。地階には阪神百貨店の食料品店が出店している。
[編集] 鉄道駅
- 阪急電鉄 神戸線 - 三宮駅
- 阪神電気鉄道 本線 - 三宮駅
- 神戸高速鉄道 東西線 - 三宮駅
- 神戸新交通 ポートアイランド線 - 三宮駅、貿易センター駅
- 神戸市営地下鉄山手線 - 三宮駅
- 神戸市営地下鉄海岸線 - 三宮・花時計前駅
- JR西日本 神戸線 - 三ノ宮駅
[編集] ギャラリー
ネスレジャパン本社 |
カテゴリ: 日本の地理関連のスタブ項目 | 兵庫県の建築物・観光名所 | 兵庫県の地理 | 神戸市