郵便車
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郵便車 スユニ50 501 小樽交通記念館にて
郵便車 キハユニ25 1 小樽交通記念館にて
スユニ50内部の郵袋置き場 小樽交通記念館にて
スユニ50内部の区分け場 小樽交通記念館にて
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郵便車(ゆうびんしゃ)とは、郵便物を運送するために郵便事業者が保有し使用する車両。特に、鉄道車両としての郵便車を指す場合が多い。
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[編集] 法令上の根拠
郵便物運送委託法は、郵便物の運送等を運送業者等に委託する場合に関し、契約による場合とは別に、総務大臣の要求があるときにしなければならない行為を定めている。
このなかで、鉄道により運送事業を営む運送業者(鉄道運送業者)は、総務大臣の要求があるときは、定期の列車に、郵便物の運送に必要な設備を有する車両(郵便車)を連結して郵便物を運送しなければならないとされており、また、必要な設備の維持、供給が求められている。かつてはこの規定にもとづき、幹線や準幹線の長距離の定期旅客列車や荷物列車など多くの列車に郵便車が連結され、さかんに郵便物の運送が行われていた。
郵便車は旧国鉄以外に、東武鉄道、秩父鉄道、近江鉄道、島原鉄道、鹿児島交通など一部の私鉄でも運行されていた。
[編集] 鉄道郵便
日本の車両区分では郵便の頭文字の「ユ」を採用していた。また、扱いは荷物列車と同じ扱いとなっていた。そのため、一般の旅客列車に連結されたり、荷物車とともに組成された専用列車も運行されたりしていた。
起源については、明治時代の鉄道開業初期にまでさかのぼるといわれている。当初は単に郵便物を運ぶための手段であったが、明治中期には、専用の車両が作られ、車内で郵便物の仕分けなどを行うようになる。以来、全国に郵便車が走り、東京駅や上野駅、大阪駅など主要な鉄道駅では郵袋(行き先別に仕分けした郵便物を収納した麻袋で、「票札」というあて先郵便局のタグがついていた)の積み下ろし作業が行われ、各地に郵便物を運んでいた。郵便車は各鉄道郵便局の職員が乗り込んで、郵便局としての機能の一部を持ち、駅のポストに投函した郵便物では、あて先方面に向かう郵便車内で消印が押されることが多かった(「鉄郵印」と呼ぶ)。
専用の郵便車は、戦前は逓信省、戦後は郵政省が所有していたが、荷物車あるいは座席車またはその両者との合造車も多く存在し、合造車の場合は国鉄など鉄道会社が所有していた。車種としては客車が多かったが、電車(国鉄クモユ141形電車など)や気動車にも存在した。
鉄道郵便には主に3つの種別があり、職員が郵便車内で郵便物を区分けし集配最寄駅で郵袋を積み下ろしする取扱便、職員は乗務するが区分け作業を行わず集配最寄駅で郵袋を積み下ろしするだけの護送便、職員が乗務せず施錠したまま郵袋を運ぶ締切便に分けられていた。
鉄道郵便車を使った輸送は、戦後の1960年代まで国内の郵便輸送の主役で、幹線や準幹線に多くの郵便車を連結した列車が運行されていたが、1971年をピークに飛行機や高速道路網の発達でシェアを落とし、1984年1月末を以て取扱便の廃止、1986年9月限りで残されていた護送便・締切便も廃止、鉄道郵便車は廃止され、鉄道輸送の幕を閉じた。
その後の事情の変化(瀬戸大橋や青函トンネルの開通など)により、2006年現在、日本貨物鉄道(JR貨物)のコンテナ貨物列車によって、急がない郵便物が輸送されている例がある。[1]
[編集] 主な郵便車
- 電車
- 気動車
- ※電車・気動車の郵便車(合造車を含む)は全て取扱便車であった。
- 客車
- オユ10・オユ11(取扱便)
- オユ12・スユ13(護送便)
- オユ14・スユ16(取扱便)
- スユ15(護送便)
- スユ42(取扱便)
- スユ43(護送便)
- スユ44(締切便)
- スユニ50(荷物郵便合造車、取扱便)
[編集] 保存車両
- オユ10 2565(のと鉄道能登中島駅に保存)
- オユ10 2555(中央郵政研修所に保存)
- スユニ50(小樽交通記念館、青森港に係留されている八甲田丸の車両甲板に保存)
- キハユニ25 1(小樽交通記念館に保存)
[編集] 外部リンク
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