野田浩司
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野田浩司(のだ こうじ、1968年2月9日 - )は阪神タイガース、オリックス・ブルーウェーブに所属したプロ野球選手(投手)。右投げ右打ち。野球解説者。熊本県出身。
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[編集] 来歴・人物
熊本県立多良木高等学校、九州産交を経て、1987年ドラフトで川島堅(東亜学園高等学校→広島東洋カープ)の外れ1位として阪神に入団。本来高卒選手が社会人野球に進んだ場合は3年を経過しないとドラフトでの指名対象にならないが、野田の場合は所属チームが1987年を最後に解散したため、社会人を2年しか経験していないものの特例としてこの年の指名対象となった(同じような過程で阪神に入団した選手として金澤健人がいる)。
1990年に11勝をあげ、翌年1991年開幕投手に指名される。1993年松永浩美とのトレードでオリックスへ。いきなり17勝を上げ、最多勝に輝く。その後3年連続2桁勝利。オリックスのV2にも貢献。一方松永は故障の影響もあり成績は今一つで、さらにFA移籍によりたった1シーズンで阪神を去っていってしまったため、阪神ファンの間では「球団史上最も損をしたトレード」との声が高い。
その後は故障などで1998年以降は未勝利に終わり2000年現役引退。2004年オリックス投手コーチに就任。阪神の後輩である井川慶を手本として投手育成に励んだ。2005年途中から社会人野球・ニチダイの投手コーチに就任し、2006年にはチームを創部初の都市対抗野球出場に導いた。また、テレビ大阪、ラジオ関西、JSPORTSで野球解説を行なっている。
全盛期では、手元でそっと動くストレートと野村克也に「フォークのお化け」と言わしめさせるほど驚愕させた「どろん」と揺れて落ちるフォークボールを活かし、奪三振の山を築き上げた。1試合奪三振の1位(1995年4月21日、対千葉ロッテマリーンズで19奪三振)と2位(1994年8月12日、対近鉄バファローズで17奪三振。足立光宏・野茂英雄・有銘兼久とタイ)の記録を持っている。しかし、1試合奪三振1位の記録を達成した試合(1995年4月21日は対千葉ロッテマリーンズで19奪三振)は自分は負け投手にはなっていないがチームは試合に敗れている。
現在は野球解説の傍ら神戸市中央区で肉料理屋「まる九」を経営している。
[編集] 通算成績
316試合 89勝87敗9セーブ 防御率3.50