香寿たつき
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香寿たつき(こうじゅ たつき、北海道札幌市出身、1965年11月26日 - )は、女優・元宝塚歌劇団星組男役トップスター(トップ期間:2001年~03年)。 公称身長168cm、血液型B型。札幌啓北商業高等学校出身。
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[編集] スター像
愛称はタータン。 持ち前のダンス力に加え、組替え先の雪組で鍛えられた歌唱力と演技力という三拍子揃った歌劇団屈指の実力で評価された。
在団中は非常に組替えが多かったこともあり、文句なしの実力ながらトップスター昇進は遅れ(入団16年めでの昇進)、就任期間も長くなかったが、トップスター就任までの舞台経験を生かし当時の宝塚を代表する実力派スターとして多くのファンを魅了した。
舞台での渋い演技から一転、オフは「女性らしい」しゃべり方となり、そのギャップも魅力の一つだった。
[編集] 略歴
札幌市にビブラフォン奏者槙邦雄(まき・くにお)の次女として出生、家族は他に母と姉・妹。槙は札幌放送管弦楽団専属、日本音楽家ユニオン道支部代表を歴任するなど札幌音楽界ひとかどの名士。
小学生の頃からバレエを習っていた。宝塚歌劇との出会いは中学時代。バレエ教室の友人に勧められてのことだった。高校時代には東京のバレエ団へ勉強に行く資金のためにイベントなど多様なアルバイトを経験。イベントのアルバイトでは石原軍団に花束を贈呈した事もある。しかし、身長が伸びすぎバレエを断念。ジャズダンスに転向したが、そこで先輩に進められて宝塚音楽学校を受験、合格。
1986年、72期生として宝塚歌劇団に入団。星組公演『レビュー交響楽』で初舞台。同期生に女優の紫吹淳がいる。同年花組に配属。
[編集] 1986〜1990年・花組時代
香寿が組配属になったころの花組は「ダンスの花組」と呼ばれ、屈指のダンサー大浦みずきを筆頭に安寿ミラ、真矢みきらが在籍し一時代を築いていた。若手スターも同期の紫吹をはじめ真琴つばさ・愛華みれなど後のスターぞろいだった。そんな中、1989年に同期の紫吹らと共にニューヨーク公演メンバーに選ばれるなど早期よりダンサーとして頭角を現す。1989年「会議は踊る」新人公演でも安寿の役が付き、実力派として期待を受ける。1990年「ベルサイユのばら・フェルゼン編」で新人公演初主演。また同年の「秋…冬への前奏曲」カレル役では歌唱力・演技力でも注目される。本人もこの役を気に入っており、長らく「おとめ」の好きだった配役欄に記載した他、退団後のNHKのインタビューでベスト3にあげていた。
[編集] 1991〜1996年・雪組時代
1991年雪組に組替え。着実な成長ぶりで逸材とみなされ、一路真輝の雪組トップ就任時には、2番手争いに名を連ねていたとされNHKの「夢の城・タカラヅカ青春物語」と題した宝塚の特集番組で、「忠臣蔵」新人公演の様子が大きく紹介される。1993年「セ・ラムール」にてバウホール公演初主演。1994年ロンドン公演に参加。善悪いずれも演じられる貴重な人材となり、1995年の「JFK」(フーヴァー長官役)、「あかねさす紫の花」(中臣鎌足役)では敵役風の役どころを的確に演じる。しかし若手スターにしては「脇役」と呼ばれる部類の役が続いていたため、本人はこの時期進退について悩み、慶應義塾大学の社会人入試を受験し合格。しかし「エリザベート」の上演、ルドルフ役が決定し退団を思いとどまる。
1996年、日本初演の「エリザベート」宝塚大劇場公演では皇太子ルドルフをつとめて繊細な青年像を作りあげ、賞賛を受けた。
[編集] 1996〜1997年・花組時代
1996年古巣の花組に戻り、男役3番手として活躍。「ハウ・トゥー・サクシード」のブラッドが第1作となる。さらに「風と共に去りぬ」全国ツアー公演でアシュレを演じた後再び雪組へ異動。
[編集] 1997〜2000年・雪組時代
1997年雪組に男役2番手として再び戻る。花組から続演の「風と共に去りぬ」全国ツアー(主演:轟悠)で今度はスカーレットを演じて女役に挑戦。また、この時期演じたバウホール主演作「凍てついた明日」のクライド役は代表作となる。 1999年、「ノバ・ボサ・ノバ/バッカスと呼ばれた男」オーロ役を熱演。月組でも続演され、芝居の月・歌唱力の雪、とそれぞれ評価された。主演男役:轟、同女役:月影瞳とも実力派であり、重厚な舞台を作り上げるのに大いに貢献した。
[編集] 2000〜2001年・専科時代
2000年、専科に異動。当時のスター10人が同時に専科入りしたことは宝塚の歴史の中でも大事件であり、このこと最初に知らされた際「私だけですか?」と驚きを隠せなかったという。
専科生として参加した雪組公演「凱旋門」(宝塚公演のみ参加)ボリス役では哀愁漂う演技を披露、また「ゼンダ城の虜」ヘンツォ伯爵(月組公演/以上 2000)や「花の業平」(2001/星組公演)では悪役で好演。特に「業平」での若き権力者・藤原基経の演技は貫禄さえも漂わせる線の太さを見せた。「天翔ける風に」(ドストエフスキー「罪と罰」の翻案作品)では外部出演の形で主演、同じく高い評価を得た。一方、星組公演「ベルサイユのばら~オスカルとアンドレ編~」ではアンドレをつとめて一途な愛を存分に表現。2001年7月、大劇場公演(*ベルばら東西上演のため、星組は東京→宝塚の順に公演)から正式に星組生となる。10月、稔幸の退団により星組トップに就任。歌劇団史上初の道産子(北海道出身)男役トップスターであった。
[編集] 星組トップスター時代
コンビを組んだ渚あきとは、若手時代から何度もコンビを組んだことがあり、ファンから「初恋の成就」という声が寄せられた。一方香寿・渚ともベテランで「熟年カップル」と新聞に書かれたこともある。以来渚と共にベテランコンビならではとも言える息の合った大人の雰囲気漂う舞台を見せ、ファンを魅了する。
トップお披露目公演となった東京宝塚劇場公演「花の業平」では、敵役から一転して主役の在原業平を細やかな表現力で演じた。「プラハの春」では外交官堀江亮介を演じた。日中国交正常化30周年記念で行われた第2回中国公演でも主演をつとめている。 退団公演「ガラスの風景/バビロン」ではその歌唱力を存分に発揮。「バビロン」は今でも宝塚の歌ファンから高い人気を誇る。2003年3月、短いながらも印象的なトップ生活に幕をおろし、惜しまれて宝塚を去った。
[編集] 宝塚退団後
宝塚きっての実力派であり、退団後は蜷川幸雄演出の舞台や、WEST SIDE STORYや、「屋根の上のヴァイオリン弾き」、「モーツァルト!」などのミュージカルで活躍している。その存在感もあいまって高い評価を受けている。
[編集] 宝塚時代の主な舞台
- 『ベルサイユのばら』新人公演:フェルゼン(本役:大浦みずき)*新人公演初主演
- 『華麗なるギャツビー/ラヴァーズ・コンチェルト』
- 『この恋は雲の涯まで』新人公演:源義経(本役:杜けあき)*相手役:渚
- 『忠臣蔵』新人公演:大石内蔵助(本役:杜けあき)
- 『セ・ラムール』:ジャン *相手役:渚
- 『ブルボンの封印/コート・ダジュール』
- 『雪之丞変化/サジタリウス』
- 『JFK』:エドガー・フーヴァー長官
- 『あかねさす紫の花』:中臣鎌足
- 『エリザベート』:ルドルフ
- 『ハウ・トゥー・サクシード』
- 『失われた楽園/サザンクロス・レビュー』
- 『ザッツ・レビュー』
- 『凍てついた明日』:クライド
- 『ノバ・ボサ・ノバ』:オーロ
- 『凱旋門』:ボリス
- 『ゼンダ城の虜/JAZZ MANIA』:ルパート・ヘンツォ
- 『花の業平』:藤原基経
- 『ベルサイユのばら』:アンドレ・グランディエ
[編集] 星組トップスター時代
[編集] 退団後の主な舞台
- WEST SIDE STORY
- リチャード三世
- 天翔ける風に
- ・・・and the World Goes’Round
- モーツァルト!
- club seven 3rd stage!
- 10か月~The last 10months
- ミス再婚
- オレステス