鹿島臨海鉄道
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種類 | 株式会社 |
本社所在地 | 311-1307 茨城県東茨城郡大洗町桜道301 |
電話番号 | 029-267-5200 |
設立 | 1969年4月1日 |
業種 | 陸運業 |
事業内容 | 鉄道事業、日本貨物鉄道及び東日本旅客鉄道に係る業務の受託他 |
代表者 | 代表取締役社長 金田好生 |
資本金 | 1,226百万円 |
売上高 | 1,408百万円(2005年度) |
総資産 | 4,801百万円(2005年度) |
従業員数 | 135名 |
決算期 | 3月 |
主要株主 | 日本貨物鉄道(37.2%) 茨城県(28.9%) 住友金属工業(5%) 三菱化学他 |
外部リンク | www.rintetsu.co.jp/ |
鹿島臨海鉄道(かしまりんかいてつどう)は、茨城県で貨物及び旅客営業を行う第三セクターの鉄道事業者。本社は、茨城県東茨城郡大洗町桜道301番地。
元来は、鹿島臨海工業地帯への原料及び生産品の輸送のため、1969年、国鉄、茨城県及び進出企業の出資(注)により設立された貨物専業鉄道であった。一時期、新東京国際空港(現在の成田国際空港)への燃料の暫定輸送に対する地元への見返りとして旅客営業を行ったことがあったが、数年で廃止されている。
1984年、決して収支予想は悪くなかったものの国鉄の財政悪化によって国鉄線としての開業が危ぶまれていた日本鉄道建設公団建設線である鹿島線北鹿島(現在の鹿島サッカースタジアム)以北を引き受けることになり、大洗鹿島線として再び旅客営業を行うようになった。近年は、旅客収入が貨物収入を上回っている。
燃料輸送終了後、貨物輸送量は大幅に減少したが、取扱い貨物のコンテナ化を進め、取扱量を伸ばしている。なお一時、大洗鹿島線でも貨物列車が運転されたことがあった。
- (注)株式の出資比率は、国鉄が保有していた株式が日本貨物鉄道にそのまま移っただけで、現在も設立当時と変わっていない。
目次 |
[編集] 歴史
- 1969年4月1日 - 鹿島臨海鉄道株式会社設立
- 1970年7月21日 - 鹿島臨港線北鹿島(現在の鹿島サッカースタジアム)~奥野谷浜間開業(貨物専業)
- 1978年7月25日 - 北鹿島~鹿島港南間で旅客営業開始
- 1983年12月1日 - 北鹿島~鹿島港南間の旅客営業廃止
- 1984年3月22日 - 茨城県議会で鹿島線(水戸~北鹿島間)を鹿島臨海鉄道が引き受けることを議決
- 1984年9月11日 - 水戸~北鹿島間免許
- 1985年3月14日 - 大洗鹿島線水戸~北鹿島間開業
[編集] 路線
[編集] 車両
2003年4月1日現在、気動車21両、ディーゼル機関車3両、計24両を保有する。各形式の概要は次のとおり。
[編集] 現有車両
- 6000形(6001~6019 19両)
- 大洗鹿島線用に1985年から日本車輌で製造された鋼製車体、両運転台式の気動車。開業時に6両、以後1993年までに合計19両が製造された。全長20.5m、トイレ、冷房装置付き、室内はセミクロスシートで、定員120名(座席56名)。足回りは国鉄キハ37形に準じたものとなっている。新製時よりワンマン運転対応設備を装備していたものの使用される機会がなかったが、2001年4月から使用開始となった。
- 7000形(7001~7002 2両)
- 1992年日本車輌製の2両編成の片運転台式気動車。車内は回転クロスシートにカーペット敷きのハイグレード車である。運転台後方にラウンジ、7002はトイレを備える。定員は7001が44名、7002が42名。足回りは6000形と同一であるため、車体重量の重い本形式の方が性能は悪くなっている。快速「マリンライナーはまなす」として運転されていたが、現在は定期運用を失い、毎年6月のあやめの開花時期に合わせて運転される水戸駅からJR鹿島線の潮来駅までの臨時列車や正月3が日の多客輸送以外ではほとんど走る事はない。茨城県の所有。
- KRD形(KRD3~5 3両)
- 鹿島臨港線の貨物列車牽引に使用される自社発注の国鉄DD13形に準じた56t級ディーゼル機関車。国鉄DD13形に比べてエンジンを高出力とし、減速比を大きくするなど重量貨物列車牽引に適した仕様となっている。1~3は1970年、4は1977年、5は1979年製。4,5は、燃料輸送用に増備されたものである。2は燃料輸送終了後の1983年に仙台臨海鉄道に譲渡。1は1994年に廃車された。
[編集] 旧在籍車両
- 2000形(2001~2004)
- 大洗鹿島線開業時に国鉄キハ20形気動車を譲り受けたもの。投入に際して、前面形状の変更や車内の更新、トイレへの汚物処理装置設置等の改造が行われた。冷房装置を搭載しなかったため、6000形の増備にともなって活躍の場を失い、1989年から1991年にかけて全車が茨城交通に譲渡された。
- キハ1000形(1001~1002)
- 鹿島臨港線で旅客営業を行った際に使用された気動車。国鉄キハ10形気動車を1978年に譲り受けたもの。旅客営業廃止後の1984年に廃車された。