国鉄キハ37形気動車
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キハ37形気動車(こくてつキハ37がたきどうしゃ)は1983年に日本国有鉄道(国鉄)が製作した気動車である。
5両が製造され、1987年の国鉄分割民営化以降は東日本旅客鉄道(JR東日本)に3両が、西日本旅客鉄道(JR西日本)に2両が引き継がれた。
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[編集] 概要
国鉄が製作した気動車としては、初めて直接噴射式(直噴式)ディーゼルエンジンを搭載した車両である。
1980年代、国鉄の気動車は、戦前の基本設計で、既に陳腐化していたDMH17系エンジンと、高出力の要求に対して、熱設計が不十分で、高コストかつ信頼性にも問題の残った、DMF15、DML30系エンジンを使用していた。いずれも、性能対コストの問題が顕著になってきていた。
本形式は、キハ40系の後を受けた次世代車両として製造されたもので、キハ40系の反省点が多分に盛り込まれている。
重量の割に非力で、燃費も優れない従来の機関に対し、出力向上と省燃費を実現するため、国鉄の気動車として、初めて直噴式エンジンを採用したこと、車両製造コストを削減するため、廃車発生部品を再利用する方針が採られたことが新しかった。亜幹線での運用も視野に入れ、2両を背中合わせに連結した場合、4箇所の客用ドアがほぼ等間隔となる配慮もされている。
キハ40系で要求された、幹線での長距離運用や連続高速運転などの必要性を再検討し、従来の国鉄スタンダードにとらわれない、地方線区の実情に合わせた、必要十分な性能を与えることと、製造、維持コストの低減に注力された。
5両が量産先行車として製造されたが、直後に国鉄の特定地方交通線の廃止、第3セクター化が進んだため、大量のキハ58系、キハ40系が余剰となり、さらに、国鉄改革にともなって設備投資が極度に抑制されたこともあって、量産車が登場する機会はなかった。
本形式が製造されてしばらくが経過した、国鉄最末期の1986年から1987年にかけて、キハ38形、キハ54形、キハ185系等が登場したが、これらの車輌の設計と製造にはキハ37形での経験が生かされており、そのコンセプトが実を結ぶことになった。
[編集] 構造
本形式は、量産先行車として片運転台式、車内ロングシートで、トイレ付き車両とトイレ無し車両が製作された。量産化の暁には僅かな設計変更で両運転台式やクロスシートの装備、トイレの有無を選択できるよう配慮されていた。
[編集] 車体
基本的にはキハ40系と同じ片側2扉、片開き戸となっているが、車体幅を車両限界ぎりぎりまで広げたキハ40系に対し、裾絞りを省略してやや狭幅とし、車体長も20.8mから19.5mに短縮した結果、一回り小さい車体となっている。また、将来のワンマン運転を考慮して前位側の客用扉を運転台に隣接させるとともに、後位側の客用扉は乗客の流動に配意して車体中央に寄せられ、2両編成を組んだときに、編成全体として扉が均等に配置されるようになっている。
前面は中央に貫通扉を配した構造である。キハ40形で使われていたパノラミックウインドウは廃止され、平面窓となっている。貫通扉の上に前照灯を備え、前面窓下両端部に尾灯を備える。
なお新造時の塗色は赤11号(急行形気動車の窓周りの赤と同じ色)1色で、一見しただけでは解りづらいが、キハ40系などの在来の一般形気動車に施されていた朱色(朱色5号)とは微妙に色合いが異なっていた。
[編集] 主要機器
国鉄の気動車としては初めてとなる過給器付き直噴式縦型エンジンDMF13S(210PS/1600rpm)を1基搭載しており、従来のエンジンに比して小型軽量で高出力、起動性にも優れたものとなっている。これは船舶用のエンジンを鉄道車両用に設計変更したもので、新規にエンジンを設計するのに比べてコストは抑えられている。DMF13Sが搭載されたのは国鉄では本形式が唯一で、以降の直噴式エンジン搭載車はこれを横型にしたDMF13HSを採用している。しかし、本形式の登場時期は第三セクター鉄道の草創期と一致するため、DMF13Sと同型の新潟鐵工所製6L13ASエンジンは、三陸鉄道36-100型、36-200型、神岡鉄道KM-100形、KM-150形、鹿島臨海鉄道6000形、7000形で採用された。特に、鹿島臨海鉄道用としては1993年まで造られ続けた点が特筆される。
台車は、在来車からの廃車発生品であるDT22E(動力台車)とTR51D(付随台車)を使用している。変速機はやはり廃車発生品のTC2A、DF115Aを流用している。
[編集] 車内設備
座席はキハ40系のセミクロスシートに対して本形式では全席ロングシートとされ、定員はトイレ付きの0番台が138人(座席64人)、トイレなしの1000番台が146人(座席66人)である。
ワンマン運転を行う場合は運転室位置を客室と同レベルまで下げることが望ましいが、本形式では運転室位置を下げるには至らず、高運転台構造となった。
[編集] 区分番台
トイレありの0番台が2両、トイレなしの1000番台が3両製造された。
- 0番台 - キハ37 1・2
- 1000番台 - キハ37 1001~1003
[編集] 配置
1,1001の2両が大阪鉄道管理局管内の姫路運転区に、2,1002,1003の3両が千葉鉄道管理局管内の幕張電車区木更津支区に配置された。
2006年現在、3両が千葉運転区木更津支区に、2両が後藤総合車両所に所属している。
木更津に配置された3両は、久留里線および木原線で使用され、JR東日本に承継された。1988年に木原線が廃止(第三セクターいすみ鉄道に転換)された後は久留里線のみで使用されている。久留里線内では基本的に本形式のみでの運用は無く、キハ30形、キハ38形とペアを組んで運行されている。1994年に機関をカミンズ製DMF14HZへ換装し、1998年に冷房装置(AU26)の搭載を行なっている。塗色は久留里線専用塗色(2006年現在はその2代目)となっている。
姫路に配置された2両は加古川線で使用され、JR西日本に承継された。1994年に冷房装置(AU34)の搭載を行っているが、機関換装とワンマン改造は行われないまま1999年に米子に転属した。転属後、山陰本線、境線で運用されたが、2003年10月の高速化で定期運用を失った。山口への転属が検討されたものの実現せず、一休車として米子駅構内での留置が続いている。塗色はJR化後の加古川線における同線専用塗色(写真参照)を経て、米子への転属時に朱色5号の1色塗りとなっている。
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