伊賀神戸駅
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伊賀神戸駅(いがかんべえき)は、三重県伊賀市比土にある近畿日本鉄道の駅。
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[編集] 利用可能な鉄道路線
[編集] 駅構造
島式・相対式3面5線のホームを持つ地平駅。駅舎は線路北側にあり、駅舎と各ホームは構内踏切でつながっている。
駅舎側に島式1面2線の伊賀線ホーム、その奥に単式・島式併用の2面3線の大阪線ホームがある。この内、大阪線島式ホームの伊賀線側は簡易な柵が設置されており、使われていない。青山町寄りに引上線が設置されている。便所は2番線の青山町寄りにあり、男女別の汲み取り式。
- のりば
各ホームの詳細は駅舎側から順に以下の通り。1・2番のりばの有効長は10両。5・6番のりばの有効長は2両。
6 | 伊賀線 | 上野市・伊賀上野方面 |
5 | 伊賀線 | 上野市・伊賀上野方面(昼間時はこちらのホームのみ使用) |
1 | 大阪線 | 伊勢中川・松阪・宇治山田・鳥羽・賢島・津・四日市・桑名・名古屋方面 |
2 | 大阪線 | 名張・大和八木・上本町・難波・奈良・天理・京都・吉野方面 |
[編集] 特徴
- 快速急行以下の種別が全て停車。
- 乙特急は日中の阪伊特急の半数が停車。20時以降の下り松阪・鳥羽行と朝通勤時は大阪方面行はほぼ全ての乙特急が停車し、早朝には始発の特急もある(実際は青山町駅から運転)。
- 特急券と定期券の購入が可能。
- 自動改札機設置駅(広幅1台+1台)
- 自動精算機設置駅
- 大阪線主要駅で設置されている機種よりも、内部構造を簡素化した簡易型精算機である。
- 伊賀線は、無人駅が多く不正乗車を取り締まるため、またスルッとKANSAI対応カード及びJスルーカードが使用できず、間違って使用した人を確認するため、伊賀線ホームにおいて駅員による検札が必要に応じて実施されている。
[編集] 利用状況
- 主として通学・通勤用に利用される。
- 伊勢中川駅などと同じく特急停車駅だが、乗降客は極めて少なく、乗り換えのための駅という存在である。
- 伊賀神戸駅の利用状況の変遷を下表に示す。
- 輸送実績(乗車人員)の単位は人であり、年度での総計値を示す。年度間の比較に適したデータである。
- 乗降人員調査結果は任意の1日における値(単位:人)である。調査日の天候・行事等の要因によって変動が大きいので年度間の比較には注意を要する。
- 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年 度 | 当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度 | 乗降人員調査結果 人/日 |
特 記 事 項 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合 計 | 調査日 | 調査結果 | ||
1950年(昭和25年) | 138,120 | ←←←← | 60,084 | 198,204 | |||
1951年(昭和26年) | 133,170 | ←←←← | 58,652 | 191,822 | |||
1952年(昭和27年) | 131,850 | ←←←← | 59,776 | 191,626 | |||
1953年(昭和28年) | 109,800 | ←←←← | 58,572 | 168,372 | |||
1954年(昭和29年) | 124,230 | ←←←← | 65,552 | 189,782 | |||
1955年(昭和30年) | 156,810 | ←←←← | 65,826 | 222,636 | |||
1956年(昭和31年) | 145,890 | ←←←← | 71,348 | 217,238 | |||
1957年(昭和32年) | 141,660 | ←←←← | 74,086 | 215,746 | |||
1958年(昭和33年) | 142,200 | ←←←← | 67,599 | 209,799 | |||
1959年(昭和34年) | 131,250 | ←←←← | 65,949 | 197,199 | |||
1960年(昭和35年) | 124,500 | ←←←← | 64,937 | 189,437 | |||
1961年(昭和36年) | 134,970 | ←←←← | 71,746 | 206,716 | |||
1962年(昭和37年) | 140,700 | ←←←← | 74,968 | 215,668 | |||
1963年(昭和38年) | 148,200 | ←←←← | 72,013 | 220,213 | |||
1964年(昭和39年) | 155,100 | ←←←← | 76,720 | 231,820 | |||
1965年(昭和40年) | 152,790 | ←←←← | 81,826 | 234,616 | |||
1966年(昭和41年) | 150,750 | ←←←← | 83,406 | 234,156 | |||
1967年(昭和42年) | 152,310 | ←←←← | 78,044 | 230,354 | |||
1968年(昭和43年) | 161,140 | ←←←← | 98,546 | 259,686 | |||
1969年(昭和44年) | 154,290 | ←←←← | 111,300 | 265,590 | |||
1970年(昭和45年) | 156,120 | ←←←← | 114,078 | 270,198 | |||
1971年(昭和46年) | 154,800 | ←←←← | 125,355 | 280,155 | |||
1972年(昭和47年) | 166,530 | ←←←← | 145,060 | 311,590 | |||
1973年(昭和48年) | 177,900 | ←←←← | 151,422 | 329,322 | |||
1974年(昭和49年) | 191,610 | ←←←← | 139,307 | 330,917 | |||
1975年(昭和50年) | 206,130 | ←←←← | 149,708 | 355,838 | |||
1976年(昭和51年) | 188,220 | ←←←← | 146,140 | 334,360 | |||
1977年(昭和52年) | 200,700 | ←←←← | 153,677 | 354,377 | |||
1978年(昭和53年) | 218,400 | ←←←← | 161,953 | 380,353 | |||
1979年(昭和54年) | 242,250 | ←←←← | 169,641 | 411,891 | |||
1980年(昭和55年) | 254,700 | ←←←← | 168,878 | 423,578 | |||
1981年(昭和56年) | 266,850 | ←←←← | 170,715 | 437,565 | |||
1982年(昭和57年) | 272,040 | ←←←← | 172,840 | 444,880 | 11月16日 | 2,176 | |
1983年(昭和58年) | 283,650 | ←←←← | 177,391 | 461,041 | 11月8日 | 2,338 | |
1984年(昭和59年) | 287,610 | ←←←← | 174,350 | 461,960 | 11月6日 | 2,354 | |
1985年(昭和60年) | 297,000 | ←←←← | 182,484 | 479,484 | 11月12日 | 2,338 | |
1986年(昭和61年) | 307,050 | ←←←← | 199,476 | 506,526 | 11月11日 | 2,509 | |
1987年(昭和62年) | 299,850 | ←←←← | 219,407 | 519,257 | 11月10日 | 2,567 | |
1988年(昭和63年) | 309,930 | ←←←← | 217,559 | 527,489 | 11月8日 | 2,563 | |
1989年(平成元年) | 314,370 | ←←←← | 231,763 | 546,133 | 11月14日 | 2,727 | |
1990年(平成2年) | 328,980 | ←←←← | 237,794 | 566,774 | 11月6日 | 3,005 | |
1991年(平成3年) | 337,530 | ←←←← | 222,540 | 560,070 | |||
1992年(平成4年) | 336,360 | ←←←← | 214,742 | 551,102 | 11月10日 | 2,995 | |
1993年(平成5年) | 341,850 | ←←←← | 221,917 | 563,767 | |||
1994年(平成6年) | 369,330 | ←←←← | 224,879 | 594,209 | |||
1995年(平成7年) | 372,240 | ←←←← | 225,175 | 597,415 | 12月5日 | 2,749 | |
1996年(平成8年) | 346,380 | ←←←← | 220,513 | 566,893 | |||
1997年(平成9年) | 322,350 | ←←←← | 216,831 | 539,181 | |||
1998年(平成10年) | 317,550 | ←←←← | 208,618 | 526,168 | |||
1999年(平成11年) | 343,380 | ←←←← | 213,339 | 556,719 | |||
2000年(平成12年) | 371,400 | ←←←← | 212,863 | 584,263 | |||
2001年(平成13年) | 345,540 | ←←←← | 210,006 | 555,546 | |||
2002年(平成14年) | 317,340 | ←←←← | 204,131 | 521,471 | |||
2003年(平成15年) | 300,570 | ←←←← | 200,155 | 500,725 | |||
2004年(平成16年) | 286,590 | ←←←← | 195,363 | 481,953 | |||
2005年(平成17年) | ←←←← | 11月8日 | 2,892 | ||||
2006年(平成18年) | ←←←← |
[編集] 駅周辺
駅周辺は昔ながらの住宅街となっているが、人家はあまり多くない。
- 木津川
- メナード青山リゾート(送迎バス)
[編集] 歴史
- 1922年(大正11年)7月18日 伊賀鉄道(現在の伊賀線)庄田駅が上野町(現・上野市)~名張(のちの西名張)間開通時に開業。場所は現在の伊賀神戸駅から西名張方向に数百メートル進んだ地点であった。
- 1926年(大正15年)5月25日 伊賀鉄道線電化。
- 1926年(大正15年)12月19日 伊賀鉄道庄田駅、社名変更により伊賀電気鉄道の駅となる。
- 1929年(昭和4年)3月31日 伊賀電気鉄道庄田駅、会社合併により大阪電気軌道伊賀線の駅となる。
- 1930年(昭和5年)10月10日 参宮急行電鉄榛原~伊賀神戸間開通時に伊賀神戸駅開業、同時に庄田駅が廃止。
- 1930年(昭和5年)11月19日 参宮急行電鉄の伊賀神戸~阿保(現・青山町)間開業。
- 1931年(昭和6年)9月26日 伊賀線が大阪電気軌道より参宮急行電鉄に譲渡される。
- 1941年(昭和16年)3月15日 大阪電気軌道と参宮急行電鉄の会社合併により、関西急行鉄道の駅となる。
- 1944年(昭和19年)6月1日 会社合併により近畿日本鉄道の駅となる。
- 1945年(昭和20年)6月1日 伊賀線の伊賀神戸~西名張間が休止。
- 1946年(昭和21年)3月15日 伊賀線の伊賀神戸~西名張間が営業再開。
- 1959年(昭和34年)12月23日 大阪線の美旗~伊賀神戸間複線化。
- 1961年(昭和36年)8月21日 大阪線の伊賀神戸~阿保間複線化。
- 1964年(昭和39年)10月1日 伊賀線の伊賀神戸~西名張間廃止。伊賀線の終着駅となる。
- 2007年(平成19年)4月1日 大阪線PiTaPa使用開始。
[編集] 隣の駅
[編集] 関連項目
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