抗生物質
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抗生物質(こうせいぶっしつ antibiotics)は、微生物が産生し、ほかの微生物の増殖を抑制する物質の総称である。ただしディフェンシンのようにヒトが産生するものも存在する。
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[編集] 概念
antibioticsの語は1941年にS.A.ワクスマンが定義した「微生物によってつくられ、微生物の発育を阻止する物質」が原義である。
フレミングが最初に発見した抗生物質であるペニシリンはアオカビが産生する。初期の抗生物質は抗菌性(antibacterial)を示すものが殆どである。
一方、抗生物質が化学療法にもたらした貢献は革新的であり抗生物質は抗菌剤の代名詞ともなった。その後、化学療法が扱う抗真菌、抗ウイルス、抗腫瘍の領域においても、真菌類や放線菌類などの産生する天然物が探求されていった。その結果、抗腫瘍性抗生物質のように必ずしも微生物ではないウイルスや悪性新生物の化学療法剤も抗生物質に含まれる様になった。
また天然物を化学的に修飾しその作用の増強や性質の改良が研究され、それら修飾された薬剤も抗生物質とよばれるようになった。したがって、今日では「微生物の産生物に由来する化学療法剤」が広義には抗生物質と呼ばれている。言い換えると、抗生物質は微生物の産生物に由来する抗菌剤、抗真菌剤、抗ウイルス剤そして抗腫瘍剤であり、その大半が抗菌剤である。 なお、ピリドンカルボン酸系(キノロン系、ニューキノロン系)やサルファ剤など、完全に人工的に合成された抗菌性物質も一般的には「抗生物質」と呼ばれるが、厳密にはこれは誤りで「合成抗菌薬」と呼ぶのが正しい。抗菌性の抗生物質、合成抗菌薬をあわせて、広義の「抗菌薬」と呼ぶ。
[編集] 薬理
抗生物質を含む抗菌剤は、細菌が増殖するのに必要な代謝経路に作用することで細菌にのみ選択的に毒性を示す(人体への毒性はそれに比べはるかに小さい)化学物質である。アルコール、ポビドンヨードなどのように、単に化学的な作用で細菌を死滅させる殺菌剤、消毒薬とは区別される。
細菌性の肺炎や気管支炎、中耳炎、敗血症など感染症の治療に用いられる。人類の最大の脅威であった細菌感染を克服し、平均寿命を大幅に伸ばすこととなった大発明であった。しかし、感染症との戦いは終わったわけではなく、治療法の開発されていない新興感染症、抗生物質の効力が薄くなるなどした再興感染症などが問題となっている。
[編集] 耐性菌の出現
抗生物質を濫用すると、抗生物質を分解したり無毒化してしまう因子を獲得した細菌(耐性菌)の発現・拡散を助長する危険性がある。実際、抗生物質を多用する大病院などの医療現場を中心に、多くの抗生物質に耐性を示す多剤耐性菌、とりわけメチシリンが効かないメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(Methicillin-resistant Staphylococcus aureus:MRSA)による院内感染が問題となっている。さらに、MRSAに対しても効果があるとされた薬剤・バンコマイシンでさえ効果のないバンコマイシン耐性腸球菌(VRE)、バンコマイシン耐性ブドウ球菌(VRSA)などが報告されるようになった。
開業医において風邪の患者に対して抗生物質が処方されることがあるが、ウイルス性である風邪に抗菌剤である抗生物質は治療効果がなく、細菌感染による肺炎などの合併症の予防に効果があるとの根拠もないとして、日本呼吸器学会は風邪への安易な抗生物質処方を控えるべき旨のガイドラインを発表した(抗菌薬の適正使用)。抗生物質を必要なときにだけ利用することは、「どんな薬剤も効かない、治療の術が全くない感染症」の出現を一日でも遅らせるためには賢明と言えよう。
[編集] 分類
[編集] 構造による分類
- β-ラクタム系
- ペニシリン系(PCs)
- βラクタマーゼ阻害剤配合ペニシリン系
- アンピシリン/スルバクタム (ABPC/SBT)…商品名 ユナシンS
- ピペラシリン/タゾバクタム (PIPC/TAZ)…商品名 タゾシン
- セフェム系(Ceph)
- βラクタマーゼ阻害剤配合セフェム系
- セフォペラゾン/スルバクタム (CPZ/SBT)…商品名 スルペラゾン
- カルバペネム系
- イミペネム/シラスタチン (IPM/CS)…商品名 チエナム
- パニペネム/ベタミプロン (PAPM/BP)…商品名 カルベニン
- メロペネム (MEPM)…商品名 メロペン
- モノバクタム系
- アズトレオナム (AZT)…商品名 アザクタム
- スルバクタム…ユナシンS、スルペラゾンでβラクタマーゼ阻害薬として含まれる。
- タゾバクタム…タゾシンにβラクタマーゼとして含まれる。
- アミノグリコシド系
- テトラサイクリン系
- クロラムフェニコール系
- クロラムフェニコール…商品名 クロロマイセチンなど。
- マクロライド系
- ケトライド系…マクロライドに似る。
- テリスロマイシン (TEL)…商品名 ケテック
- ポリエンマクロライド系
- ナイスタチン
- アムホテリシンB (AMPH-B)…商品名 ファンギゾン
- グリコペプチド系…抗MRSA薬。グラム陽性球菌のみに有効。
- バンコマイシン (VCM)…商品名同じ。
- テイコプラニン (TEIC)…商品名 タゴシッド
- 核酸系
- ホスミドシン
- ピリドンカルボン酸系…これらは完全に人工的に合成された合成抗菌薬。厳密には抗生物質ではない。
- (オールド)キノロン
- ナリジクス酸 (NA)…商品名 ウィントマイロン
- ピロミド酸 (PA)…商品名 パナシッド
- ニューキノロン(第3世代キノロン フルオロキノロンがむしろふさわしい呼称、略称FQs)
- ニューキノロン(第4世代キノロン エイトメトキシキノロン EMQ )
- (オールド)キノロン
- オキサゾリジノン系…これも完全に人工的に合成された全く新しい系統の抗菌薬、あるいは合成抗菌薬というべきもの。通常、広義の抗生物質に含まれるが、厳密には抗生物質ではない。
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- リネゾリド (LZD)…商品名 ザイボックス
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[編集] 作用機序による分類
- DNA合成阻害
- RNA合成阻害
- 蛋白質合成阻害
- 細胞壁合成阻害
- 細胞膜変質
- 代謝阻害
[編集] その他
[編集] 抗菌薬投与の理論
具体的には臨床薬理学の考え方を化学療法では応用する。
[編集] 薬理学の分類
- 薬力学 (PD)
- 作用機序の研究をする学問である。→どれくらいの濃度になれば効果があるのかを含む
- 薬物動態学 (PK)
- 薬物の体内動態の研究をする学問である。→薬がどれくらい菌に届くか
[編集] 主に薬力学の内容
- 殺菌性と静菌性
- 殺菌性とは菌を殺してしまう作用をもつこと、静菌性とは菌を殺してはいないが、分裂して増殖することを抑える。一般に細胞壁に作用するものは殺菌性であることが多く、蛋白合成に作用するものは静菌性である。殺菌性、静菌性はターゲットとなる細菌によって異なる。例えば、βラクタム剤、アンピシリンは腸球菌には静菌的に働く。静菌性でも、細菌を免疫細胞が破壊するのでin vivoでは問題ない。一般に、抗菌薬の選択において殺菌性か静菌性かを気にする必要はない。感染性心内膜炎、好中球減少時の発熱、髄膜炎などが殺菌性の抗菌薬を必須とする数少ない例外である。
- MICとMBC
- MIC(最小阻止濃度)とはディスク法で測定される増殖しなくなる濃度で静菌能力を示す。MBC(最小殺菌濃度)とはディスク法で測定する99.9%かそれ以上の細菌を24時間以内に殺すことができる濃度であり殺菌能力を示す。
- 一般的に殺菌性抗菌薬のMICとMBCには大きな差はない。もし殺菌性の抗菌薬の血中濃度がMICより高い場合、この抗菌薬は殆どの菌に対して殺菌的に作用するであろうということが経験的にいえる(MICを超えるとMBCも超えるから)。静菌的抗菌薬にせよ、殺菌的抗菌薬にせよ、その効果を充分に発揮するには抗菌薬の濃度が感染部位でMIC以上になっていることが大切である。
- 注意点としてMICそのものの数値の大小を異なる抗菌薬の効果の比較に用いてはならない。一般にMICが低ければ低いほど効果があると考えられる。しかしPKも考えないと誤った結論を導いてしまう。MICが小さくても髄液に移行しない抗菌薬、感受性OKは治療には使えない。また、濃度依存性の抗菌薬ならともかく、時間依存性の抗菌薬なら4MIC位の血中濃度を保っていれば、効果は変わらない。
[編集] 特殊なPD
- トレランス
- トレランスとはMICとMBCが解離している状態である。MBCがMICよりも遥かに高くなってしまう状態。感受性検査では感受性ありとなってしまう(MICしか調べないため)。連用で起こりやすい。何故、生じるかというメカニズムは不明であるが、心内膜炎、骨髄炎、髄膜炎で感受性のある抗菌薬を選んだにも拘わらず、治療効果がない場合は考えるべき状態である。
- イーグル効果
- 大量のペニシリン投与をおこなうと逆に薬効がおちることがある。MICを遥かにこえる濃度のペニシリン投与は細菌の分裂を止めてしまうため、分裂時に効果が高いペニシリンの薬効はおちてしまうと考えられている。
- シナジー
- 所謂、相乗効果のことである。
- ポストアンティビオティックエフェクト
- 抗菌薬がMIC以下の濃度になっても臨床効果を持つ効果のこと。蛋白合成阻害や核酸合成阻害の抗菌薬ではこの時間が非常に長い。抗菌効果はMIC以上の場合よりも小さいと考えられている。
- タイムキリングカーブ
- タイムキリングカーブとは実験室である菌の量に様々な濃度の抗菌薬をを投与して、それが時間と共にどのように細菌を殺していくかプロットしていく。X軸は時間でY軸は菌の量である。タイムキリングカーブの傾斜が左上から右下に移っていく線が見られた場合、その濃度の抗菌薬は効果があると考えてよい。傾斜が急であればあるほど菌を早く殺していることを意味し、抗菌薬の効果はより高いということになる。静菌的抗菌薬ではタイムキリングカーブが横に一直線である。抗菌薬の蛋白結合は薬理学的には重要な項目であるが、臨床現場ではそれほど考慮する事項ではない。例えば、重症感染症では低蛋白血症を伴ったり、感染症でグロブリンが増加したりするが薬効に影響は感じられない。
- 時間依存と容量依存
- 容量依存の薬物は抗菌薬の血中濃度を上げれば上げるほど菌を殺す効果は高まる。タイムキリングカーブは濃度が高まるたびにカーブが急になる。時間依存の薬物は一定濃度に達するとタイムキリングカーブが殆ど変化しなくなる。時間依存では一定濃度(大体4MICといわれる)を越える時間がどれだけ長いかにより効果がきまる。用量依存では時間だけでなく、濃度の時間積分で効果が決まる。
[編集] 主に薬物動態学の内容
抗菌薬が体の隅々に渡る分配の仕方をしめす。問題の菌のいるところに薬がどれくらい分布するのかをしめす。
- 腎機能と抗菌薬
- 抗菌薬は腎臓にダメージを与えることがある。腎臓のダメージは抗菌薬の投与法に影響する。抗菌薬の排出は腎臓か肝臓である。肝臓の機能と抗菌薬の投与量の調節に関してはあまり分かっていないので、肝臓排出の場合は投与量を工夫する必要は今のところない。腎臓排出に関してはクレアチニンクリアランスが指標となる。24時間尿を取りたくない時は、腎機能が安定していて、急激なクレアチニンレベルの変化がないと仮定できる時は、Cockcroft-Gaultの式で近似できる。変数はクレアチニン、年齢、体重、性別である。クレアチニンクリアランスが50なら投与量は半分、25なら投与量は四分の一という線形近似で充分である。腎・肝排出では各論で考える。高齢者では忘れずに考えるべきである。
[編集] 抗菌薬の選択
抗菌薬の選択には次の3段階を踏まえるとわかりやすい。
- 患者の病態を把握
- 病原菌の把握
- 使用する抗菌薬を把握
これらを踏まえた上で、
- 感染の部位
- 微生物
- ホスト
の関係をみていく。
[編集] 感染部位の把握
これは患者の症状や、身体診察で行うことができる。
[編集] 病原微生物の把握
これは呼吸器学ではグラム染色などで行う。重篤な感染症ならば血液培養を行う。
- 血液培養
- 血液培養の適応は敗血症を疑った時であり、他に適応はない。血液培養は2セット(合計4本、2本に好気性ボトルと2本の嫌気性ボトルである)である。これは部位を変えて採血をする。好気性菌ボトルと嫌気性菌ボトルがあるがこのときは針をかえない。アルコールランプも使わない。これら一連の行為はコンタミかどうかの判断をするためである。
[編集] よく知られる慣習
- 原則として1剤投与から始める。
- 投与方法は経口投与なら1日3回、点滴静注なら1日2回、筋注なら1日1回が多い。
- 生理食塩水100ml(50ml)に溶解し、滴下する。生理食塩水量が少ないので輸液療法に影響することは少ない。
- 特にセフェム系の抗菌薬では皮内反応テストを行うべきである。
- 菌感受性試験の結果が出る前に投与開始をするため、施設ごとに菌の特性を把握しておかなければならない。
- 効果不十分と感じたら、別系統の抗菌薬に変更する。
- 長期投与、最初から強力な抗菌薬を使用することは耐性菌の出現を生むため好ましくない。
- 周術期管理の術後投与は3日位を目安に投与する。
[編集] 参考文献
- 抗菌薬の考え方、使い方 中外医学社 ISBN 4498017587