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渡部 恒三(わたなべ こうぞう、1932年(昭和7年)5月24日 ‐ )は、日本の政治家。衆議院議員(13期)。勲一等旭日大綬章。民主党最高顧問。学歴は早稲田大学第一文学部卒業。学位は文学士(早稲田大学)。
衆議院副議長(第70代)、厚生大臣(第68代)、自治大臣(第39代)、国家公安委員長(第70代)、通商産業大臣(第48代)を歴任。自由民主党所属時は竹下派七奉行の一人として知られた。
衆議院議員 渡部 恒三
生年月日 |
1932年(昭和7年)5月24日 |
出生地 |
福島県南会津郡田島町(現:南会津町) |
出身校 |
早稲田大学第一文学部卒業 |
学位・資格 |
文学士(早稲田大学) |
前職・院外役職(現在) |
福島県議会議員 |
所属委員会
・内閣役職(現在) |
衆・決算行政監視委員会委員
衆・国家基本政策委員会委員 |
世襲の有無 |
無 |
選出選挙区
(立候補選挙区) |
福島4区 |
当選回数 |
13回 |
所属党派(現在) |
民主党 |
党役職(現在) |
最高顧問
福島県総支部連合会特別顧問 |
会館部屋番号 |
衆・第2議員会館202号室 |
ウェブサイト |
人間政治家 渡部恒三のHP |
[編集] 概要
[編集] 政界入り
[編集] 竹下派七奉行
- 通産政務次官、衆議院商工委員長などを歴任し、商工族としてキャリアを積む。厚生大臣、自治大臣兼国家公安委員長、通商産業大臣を歴任。自民党では、国会対策委員長を務めた。
- 厚生大臣在任中には「タバコがおいしく感じられるのは健康であるということ」と発言したため、マスコミに「タバコは健康のもと」と誤報され、波紋を呼んだ。いわゆる「トルコ風呂問題」が持ち上がったのは、彼の在任中である。
[編集] 衆議院副議長
- 新生党から新進党に移り、幹事長代理、政務会長、総務会長兼国会運営委員長、副党首を歴任し、1996年(平成8年)に衆議院副議長に就任。2000年(平成12年)に再任された。副議長在任日数は衆議院創設以来最長(2498日)。本当は副議長になる気はなかったが、「早稲田大学雄弁会の後輩である小渕恵三が自民党から衆議院議長に就任するので」といわれてやむなく引き受けた。しかし、当の小渕は地元後援会や同僚議員の説得により就任を固辞し、結局伊藤宗一郎が議長になった。
- 自民党と民主党の間に立つため無所属(会派は民主党・無所属クラブ)であったが、2005年(平成17年)9月の第44回衆院選では民主党の公認を得て立候補、そのため公明党の支持を得られなかったものの、次点議員と6637票差で当選。自派の選挙違反が摘発され、運動員が逮捕される。
[編集] 民主党国対委員長
- 2006年(平成18年)2月、堀江メール問題で、民主党国会対策委員長であった野田佳彦が辞任すると、鳩山由紀夫幹事長の要請を受けて後任の委員長に就任した。菅直人や山岡賢次ら国対に精通したベテランが相次いで就任を固辞したための苦肉の策であった。
- 衆院副議長を経験した党内最長老の国対委員長就任は異例のことであり、与党・自民党からも驚きの声が聞かれた。
- 就任直後から生放送のテレビ、ラジオ番組に相次いで出演し、9月に行われる民主党代表選の前倒しや、永田議員へ辞職要求などを発言、鳩山幹事長はその火消しに追われた。
- 「偽造メール」問題に関して、2006年(平成18年)3月15日放送のTBS系「みのもんたの朝ズバッ!」で涙を流して謝罪した。
- テレビで政界の水戸黄門を自称したため、ドラマ『水戸黄門』で実際に小道具として使用された印籠をプレゼントされた。また、ドラマに出演している由美かおるからおしゃれな電報を受けた。また、以来ニックネームが「黄門様」となる。
- 2006年(平成18年)4月19日の衆議院行政改革特別委員会にて、自身としては実に26年ぶりになる国会質問を小泉首相に対して行なう。「細かいことは聞かない。小泉君の政治姿勢を聞きたい」としたが、実際は会津のことについて話したり昔話をするなど実に25分間それに費やし、ほのぼの笑いの絶えない時間が過ぎた。肝心の質問については「小泉君が総理になって格差が広がった」とした。
[編集] 人物
- 会津訛りの独特の喋り方で国民に広く知られる。好感度は高い。愛称は「おしゃべり恒三」。底抜けの善人か、それとも非常に狡猾な人なのか親しい友人や側近、政治評論家も未だに判断が付かない。
- 民主党の中で最高齢の議員であるため、大御所や水戸黄門などの渾名が付いている。
- 当選13回は、羽田孜、小沢一郎と並んで民主党内最多。
- 「メール問題」で党の幹部が落ち込んでいるなか、激励のために会津名物「起き上がりこぼし」をプレゼントする気配りを見せたが、党代表であった前原誠司の起き上がり小法師だけは起き上がらなかったため、座が凍りつく一幕もあった。
- 子息は、東北大学歯学部を卒業後、戦略国際問題研究所(CSIS)非常勤研究員・三井物産戦略研究所国際情報部主任研究員でTBSラジオ「森本毅郎スタンバイ」月曜コメンテーターを2006年(平成18年)11月まで務めた渡部恒雄(ちなみに読売新聞の主筆で東京読売巨人軍元オーナーの渡邉(わたなべ)恒雄とは別人)。
- 2006年(平成18年)10月に眼鏡の似合う著名人として第19回日本メガネベストドレッサー賞受賞。
- 2006年(平成18年)11月にはユーモアで楽しい話題を社会に提供したことで、平成18年度ゆうもあ大賞を受賞。
[編集] 略歴
[編集] 経歴
[編集] 政歴
[編集] 文献
[編集] 著書
[編集] 関連文献
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 先代:
- 林義郎
|
- 厚生大臣
- 第68代: 1983 ‐ 1984
|
- 次代:
- 増岡博之
|
- 先代:
- 坂野重信
|
- 国家公安委員長
- 第70代: 1989 ‐ 1990
|
- 次代:
- 奥田敬和
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