青森県立弘前高等学校
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青森県立弘前高等学校 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 青森県 |
校長 | 櫻田泰弘 (在職2006年4月1日 - ) |
設立年月日 | 1884年2月13日 (青森県中学校設立) |
校訓 | 誰人天下賢 |
教育目標 | 持って生まれたものを深く さぐって強く引き出す人 |
創立記念日 | 10月6日 |
共学・別学 | 共学校 |
所在地・連絡先 | |
所在地 | 〒036-8558 |
青森県弘前市新寺町1-1 | |
電話番号 | 0172-32-0251 |
FAX番号 | 0172-32-3227 |
外部リンク | www.chunan-w.asn.ed.jp/~h/ |
青森県立弘前高等学校(あおもりけんりつひろさきこうとうがっこう)は青森県弘前市新寺町にある、全日制普通科の共学高等学校。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 学校関係者
- 校長:櫻田泰弘
[編集] 略歴・特色
1884年、青森県中学校として青森新町(現・青森市)に創立。
1886年、青森県尋常中学校と名称変更。
1889年、弘前市元寺町に移転。
1993年、弘前市新寺町に移転。
1895年、青森県第一尋常中学校と改称。
1899年、青森県第一中学校と改称。
1901年、青森県立第一中学校と改称。
1909年、青森県立弘前中学校と改称。
1948年、青森県立弘前高等学校に昇格。通信教育部設置。
1950年、男女共学化。
1961年、通信教育部を通信制の課程と改称。
1996年、男女の定員枠が廃止され男女併せ募集を実施。
2002年3月31日、通信制閉課程となる。
伝統校、進学校として多くの著名人を輩出している。現在の入学定員は280名(7クラス)。2004年の新入生から、女子生徒数が男子を上回った。
弘前高校の文化祭である弘高祭は弘前ねぷたまつりの前に行われ、各クラスの製作した組(人形)ねぷたを引いて、弘前市内の運行ルートを練り歩く、一大イベントである。通常のねぷたであれば、製作に数ヶ月もの時間をかけ、骨組みも既成のものを使用するのが普通であるが、弘前高校のねぷたは制作期間は約10日と短く、その期間で本体の土台や人形の骨組み、紙貼り、蝋付け、色塗りを行う。これは学業とのけじめを厳しくつけさせるためである。以前は、朝5時から作業を行う早朝作業が行われていたが、騒音等周辺住民への迷惑となるため、生徒自治会での決議もなされないまま職員会議により中止となった。
2003年(平成15年)、弘前高校は創立120年を迎え、弘前市民会館で創立120年記念式典が催された。これに先立ち、弘前高校の卒業生長部日出雄氏の講演会が行われた。また、創立記念として、9月~10月にかけて弘前市にある青森県武道館にて青森県では初となる移動日展の展覧会が開催された。
校名を省略する場合は「弘前高校」(ひろさきこうこう)、「弘高」(ひろこう)である。「ひろこう」は校歌にも歌われ、応援などにも使われる伝統的な略称である。しかし青森県立弘前工業高等学校の略称も「弘工」(ひろこう)と同じ音であるため、区別のために「ひろたか」「たか」「たが」と呼ばれる場合もあるが、俗称であり一般的に認められているものではない。
弘前高校、八戸高校、青森高校の3校は青森県の御三家と呼ばれている。学校設立の順番もさることながら、進学実績も県内での上位3校である。部活動などではこの3校の交流が行われることがある。東大合格者は他の2校とは違い少ないほうだったが、2006年度の東大入試では過去最高の現役5人、合計でも6人の合格者を出しており、京大などの合格者を併せれば他の2校と遜色のない実力になってきている。
[編集] 教育目標
- 人間像
- 持って生まれたものを深くさぐって強く引き出す人
- 努力目標
- 自学自習
- 規律ある自由
- 体力の増進
- 重点目標
- 授業の充実
- 高い理想と努力の継続
- 学習と部活動等の両立
- 逞しい心身の育成
[編集] 交通
[編集] 課外活動
[編集] 運動部
[編集] 文化部
[編集] 同好会
[編集] 自治会・各機関・局
- 八高・青高と共に古くからあるバンカラ応援団。昔は弘高応援団に憧れを持つ者も多かった。
[編集] 沿革
- 1884年 青森県中学校と称し、東津軽郡青森新町に創立。
- 1886年 青森県尋常中学校と改称。
- 1889年 本校舎を弘前市元寺町に移転。
- 1893年 弘前市新寺町に新校舎竣工、移転。八戸分校(現:八戸高校)開校。
- 1895年 青森県立第一尋常中学校と改称。八戸分校は第二尋常中学校となる。
- 1899年 青森県第一中学校と改称。
- 1901年 青森県立第一中学校と改称。
- 1909年 青森県立弘前中学校と改称。県立第四中学校が本校の木造分校となる(1914年廃校)。
- 1919年 創立50年記念(藩学校時代から通算)として財団法人弘前中学校奨学会を創立(現・弘前高等学校奨学会)。
- 1948年 青森県立弘前高等学校と改称。通信教育部を併設。鏡ヶ丘同窓会を創立。官立弘高の大鵬の意匠を承け継いだ校章が制定。
- 1950年 女子生徒(16名)初めて入学。
- 1952年 「自治会誌」創刊号発行。
- 1953年 創立70年記念式典挙行。第1回ねぷた運行が行われる。校章の鵬が現在のものにリニューアル。
- 1956年 通信教育部で初の卒業生(2名)。
- 1958年 旧本館移転改築工事による鏡ヶ丘記念館竣工。
- 1959年 新校舎落成記念式典挙行。
- 1961年 通信教育部を通信制の課程と改称。
- 1963年 創立80年記念式典挙行。
- 1966年 「あゆみ」同窓会創立。第二体育館竣工。
- 1971年 硬式野球部が第43回選抜高等学校野球大会に出場。
- 1973年 創立90年式典挙行。弘高会館竣工。
- 1983年 創立100年記念式典挙行。鵬図館、一矢館竣工。
- 1989年 第9回全国高等学校クイズ選手権準優勝。
- 1993年 創立110年記念式典挙行。鏡ヶ丘記念館、青森県指定文化財(県重宝)に指定。
- 1996年 男女併せ募集実施。
- 1997年 第17回全国高等学校クイズ選手権優勝。
- 2000年 管理棟改築。
- 2001年 推薦入学実施。学校評議員制度導入。
- 2002年 通信制の課程閉課程。
- 2003年 創立120年記念式典挙行。北斗館竣工。
- 2006年 推薦入学廃止。県立入試改革により前後期制による入学試験実施。
[編集] 主な出身者
括弧内は卒業年。
[編集] 政治・行政
- 中村良三 (1896) 元海軍大将、軍事参議官・艦政本部長、内閣参議
- 工藤十三雄 (1899) 元衆議院議員(鉄道政務次官・政友会総務)
- 笹森順造 (1905) 元東奥義塾塾長、元青山学院長、元衆議院議員、元参議院議員、片山内閣国務大臣(復員庁・賠償庁長官)、剣道家(小野派一刀流継承者)
- 岸谷隆一郎 (1919) 元満州国熱河省庁次長、終戦時自決
- 楠美省吾 (1923) 元行政管理庁政務次官、元衆議院議員、国務大臣
- 奈良治二 (1923) 元衆議院議員
- 津川武一 (1928) 元衆議院議員、医師
- 弥富啓之助 (1944) 元衆議院事務総長、元人事院総裁
- 山内弘 (1945) 元衆議院議員
- 佐藤昭郎 (1961) 参議院議員(参議院経済産業委員会委員長)
[編集] 経済
- 高谷英城 (1905) 元青森銀行取締役会長
- 菊池武英 (1922) 元弘南バス会長
- 井沼清七 (1925) 元松坂屋常務取締役
- 工藤九郎 (1925) 元炭産地域振興事業団理事長
- 成田乾一 (1927) 元日放サービス社長
- 葛西清美 (1932) 元みちのく銀行頭取、元青森朝日放送社長
- 藤田昌次郎 (1933) 元鬼怒川ゴム工業社長
- 島川聖明 (1939) 元ユニオンクレジット取締役社長
- 宇野清治 (1945) 元東北鉄鋼社長
- 佐藤昭二 (1945) 元アメリカン・エキスプレス銀行支配人
- 西本博行 (1945) セーラー万年筆代表取締役会長
[編集] 法曹
- 平沢均二 (1890) 弁護士、元青山学院理事
- 小林剛 (1895) 元判事、弁護士
- 宇野要三郎 (1898) 元大審院(現・最高裁判所)部長判事(刑事部長)、全日本弓道連盟初代会長
- 対馬桑太郎 (1905) 弁護士
- 石郷岡岩男 (1908) 元大審院(現・最高裁判所)検事、弁護士
- 溝江武秀 (1909) 弁護士
- 北岡淳 (1912) 元検事
- 三浦啓二 (1914) 弁護士
- 小山内昌一 (1915) 元特許庁機械審査部長、特許弁理士
- 二葉松男 (1917) 元検事、弁護士
- 中林裕一 (1919) 元判事、弁護士
- 兼平慶之助 (1920) 元判事
- 黒滝正道 (1930) 弁護士
- 五十嵐芳男 (1945) 弁護士
- 長内健 (1962) 弁護士
[編集] 学者
- 今裕 (1896) 病理学・細菌学、元北海道大学総長、日本学士院賞受賞、青森県立中央病院初代院長
- 岩川克輝 (1898) 新潟医科大学(現・新潟大学)名誉教授
- 大湯正雄 (1900) 鉱床学、元東北大学理学部教授
- 郡場寛 (1900) 植物学、京都大学名誉教授、元弘前大学学長
- 菊池秋雄 (1901) 果樹園芸学、元京都大学農学部教授、元京都植物園長
- 中館久平 (1916) 法医学、元慶應義塾大学医学主任教授
- 工藤正四郎 (1923) 公衆衛生学、東京大学名誉教授
- 佐藤光雄 (1928) 魚類の集合・行動の原理、元函館水産専門学校(現・北海道大学)教授、元弘前大学理学部教授
- 小山忠四郎 (1932) 名古屋大学名誉教授
- 野崎孝 (1935) 英文学・翻訳家、元中央大学文学部教授、元東京都立大学教授、元帝京大学文学部教授
- 木村喬久 (1945) 微生物学、北海道大学名誉教授
- 工藤政司 (1950) 翻訳家、東京国際大学経済学部教授
- 坂本正弘 (1950) 神戸市外国語大学教授、中央大学総合政策学部教授、日本戦略研究フォーラム副理事長
- 旦代晃一 (1950) 幾何学・コンピュータ詰将棋の発案、京都大学名誉教授
- 永井伸樹 (1950) 東北大学名誉教授
- 増田彰正 (1950) 東京大学名誉教授
- 福島裕 (1951) 臨床脳波、弘前大学医学部教授
- 木村修三 (1953) 軍事管理・軍縮問題、中東の国際関係、神戸大学名誉教授
- 外崎昭 (1956) 山形大学医学部教授
- 山田猛敏 (1960) 東京海洋大学名誉教授
- 佐藤志美雄 (1961) 山形大学工学部教授
- 鳴海邦碩 (1963) 都市計画、大阪大学工学部教授
- 唐牛宏 (1965) 天文学、総合研究大学院大学教授、国立天文台ハワイ観測所所長
- 山口義久 (1968) 大阪府立大学総合科学部教授
- 根本敏則 (1972) 交通計画・公共システム、一橋大学大学院商学研究科教授
- 葛西一貴 (1974) 矯正歯科学、日本大学松戸歯学部教授
- 川口淳一郎 (1974) 宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究本部宇宙航行システム研究系教授、はやぶさプロジェクトマネージャ
- 蒔苗耕司 (1983) 土木・地理、宮城大学事業構想学部教授
[編集] 文学
- 佐藤紅緑 (1893中退) 作家、俳人
- 秋田雨雀 (1902) 詩人、舞台芸術家、戯曲家、不死鳥運動
- 一戸謙三 (1917) 詩人
- 石坂洋次郎 (1918) 作家
- 獏不次男 (1953) 詩人、作家、弘前ペンクラブ会長
- 長部日出雄 (1953) 直木賞作家
- 町田清朗 (1957) 医師、翻訳家
- 三浦雅士 (1965) 元ユリイカ編集長、文芸評論家、サントリー学芸賞受賞、立教大学大学院文学研究科教授
- 赤羽堯 (1966) 作家
[編集] 教育
- 阿部義宗 (1905) 元青山学院長
- 鎌田彦一 (1905) 元日本大学第三高等学校理事長
- 小田切潔 (1926) 元四条畷学園理事長
[編集] 芸能
- 明本京静 (1923) 作詞作曲家
- 工藤勉 (1944) 歌手(シャンソン)
- 篠崎淳之介 (1950) 脚本家
- 下山一二三 (1950) 作曲家(現代音楽)
- 津島康一 (1950) 舞台俳優
- 津村健二 (1950) 東宝舞台監督
- 小野泰次郎 (1951) 演劇指導
- 石郷岡豪 (1954) 脚本家
- 阿部郁夫 (1956) 歌手(タンゴ)、音楽評論家
- 長内美那子 (1957) 女優
- 五十嵐匠 (1973) 映画監督
- 佐々木修 (1977) 指揮者、プランナー
- 鈴木研一 (1984) ミュージシャン、人間椅子ベース&ボーカル
- 和嶋慎治 (1984) ミュージシャン、人間椅子ギター&ボーカル
- HAKUEI (1989) ミュージシャン、PENICILLINボーカリスト
- 神敏将 (1994) 俳優
- 一戸友里 (1997) 女優、エッセイスト
[編集] ジャーナリズム
- 加藤謙一 (1914) 元少年倶楽部編集長
- 坂田二郎 (1927) 外交評論家、元NHK解説委員、元日本国際連合協会常務
- 竹内清隆 (1939) NHK初の放送記者、元放送世論調査所長
- 下山徳弘 (1948) 元陸奥新報代表取締役社長
- 鎌田慧 (1957) ルポライター、ジャーナリスト
- 山本和之 (1971) 元NHKアナウンサー、NHK弘前支局長
- 中村泰人 (1984) NHKアナウンサー
- 虎谷温子 (2002) よみうりテレビアナウンサー
[編集] 美術
- 奈良美智 (1978) 現代美術家
[編集] 諸分野
- 前田光世 (1899中退) 柔道家(グレーシー柔術)、コンデ・コマ
- 小山秀雄 (1923) 古武道卜伝流継承者
- 山田伸三 (1933) スキー選手、冬季オリンピック(ガルミッシュパルテンキルヒェン)出場
- 三浦実 (1947) 元早稲田大学卓球部監督、プラハ世界卓球選手権全日本監督
- 鈴木一 (1948) 元アジア選手権(卓球)総監督、卓球ジャーナリスト
- 三浦雄一郎 (1952) プロスキーヤー、世界最高齢エベレスト登頂、クラーク記念国際高等学校長
- 松岡昭義 (1964) スキー選手、冬季オリンピック(グルノーブル、札幌)出場
- 根深誠 (1966) 登山家、ルポライター