首都機能移転
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首都機能移転(しゅときのういてん)とは、首都に置かれている国家政府の立法機関・行政機関・司法機関を、他の都市に移転する事を云う。国会等の移転とも云われる。
首都を丸ごと移転する遷都(せんと)とは異なり、首都に置かれている機関の一部を移転する事が首都機能移転である[1]。
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[編集] 経緯
1894年の日清戦争の際、大本営と帝国議会という首都機能を成す機関が、臨時に東京から広島に移転した。(日清戦争終結後には、首都機能は再び広島から東京に還った)。又、第二次世界大戦中には、松代(北信地方)に非常時のための大本営が建設された外に、水海道(茨城県南部)への遷都が検討されていた。
第二次大戦後の日本における首都機能移転は、東京都区内に立地する政府機能(立法機能・行政機能・司法機能)を、東京から60km圏外に移転する事業を云う。1960年に磯村英一らが富士山への新都建設構想をぶち上げ、その後に建設大臣だった河野一郎が浜名湖畔(三遠南信の一角)への首都機能移転を検討していたが、河野の急死とともに首都機能移転は雲散霧消した[2]。
その後、バブル経済期に東京の地価が暴騰すると、その解決策としての首都機能移転論が再浮上した。堺屋太一など言論界の有力者、地方自治体の首長や議会を中心に、首都機能移転を推進する動きが起こり、1990年には衆参両院にて「国会等の移転に関する決議」を議決し、「首都機能移転を検討する」という基本方針を確認した。
法的には1992年に「国会等の移転に関する法律」が成立し、この法律に基づき候補地の選定等の準備作業に入ることになる。1999年には「国会等移転審議会」が候補地として3地域を選定(後述)するが、この頃になると東京の地価高騰も落ち着きを見せ、更に首都機能移転への批判も高まっていった。
2003年には、衆参両院の「国会等の移転に関する特別委員会」にて、「移転は必要だが、3候補地の中でどの候補地が最適なのか、絞り込めない」形で中間報告を採択した[3]。これは事実上の凍結宣言であり、その後も「国会等の移転に関する政党間両院協議会」によって検討は行われているが、議論の進展は見られない(2006年3月現在)。
この背景として、バブル経済期着手の計画であり、移転の利点が薄弱となり、財政問題が増大した現状では、実現が不可能であるという考えである[4]。
[編集] 候補地
1999年(平成11年)12月20日の国会等移転審議会の答申により選定された、国会等の移転先となる候補地等は次の3地域である。(詳しくは首都機能移転候補都市を参照)
- 移転先候補地
- 北東地域の「栃木・福島地域」
- 東海地域の「岐阜・愛知地域」
- 移転先候補地となる可能性がある地域
- 「三重・畿央地域」
[編集] 目的と賛成論
- 現首都圏の限界
- 首都圏(南関東1都3県)は、現在約4000万人もの人口を抱えており、世界最大の大都市圏を構成している。しかし、その発展段階において、路地の入り組んだ江戸時代以来の町並や、かつての農村地帯がなし崩しに近代都市化されていったため、結果として交通の飽和や土地利用の不効率が著しい。従って、将来における日本の中枢としては不適当とする[5]。
- 東京一極集中の抑制
- 経済的中心地と政治的中心地を切り離す事によって、分散型の国土を形成し、地方都市の活性化と、過密状態の首都圏の減量を図れるという考え方。
- 更には、中央省庁の出先機関が置かれている都市が「ミニ東京」と化しているため、日本の道州制論議では州規模でも州都と経済的中心地を切り離せ、という考え方が存在する[6]。
[編集] 反対論
- 費用
- 移転費用は12兆円[8]とされ、どこにもそんなことに回せる資金はない厳しい財政状況では困難である。そのような費用があるなら、直接地方振興や都市環境の整備に使えば善く、また費用以上のメリットは無いとする。
- 効果への疑問
- 地方分権や規制緩和、延いては経済的な東京一極集中は経済性の問題であり、首都の位置とは無関係とする[9]。
- 首都機能移転、或いは遷都によって、国民の意識が東京一極集中から脱却できるのか、首都機能を東京から移転した事で多極分散型の国土を形成できるか、ついても議論の余地を有する。
- 自然災害などリスク分散への疑問
- 自然災害に対するリスクは移転先でも変わりが無く[10]、どこに移しても災害への対策が必要とされるとする[11]。又、有事への対応にしても、ミサイルの射程距離から外れるには余程の離島に移転しない限り不可能であり、今まで挙げられている移転候補地では標的の位置が変わるだけで状況は変わらないという指摘もある。
- 移転先の環境問題
- 国会で議論されていた首都機能移転では人口30万人規模の大規模な造成事業を伴うが、これだけ大規模になると環境への影響も大きく、現実に移転先に受け入れられるのかという問題を妊んでいる。[12]。
- 国事行為
- 首都機能移転では、皇居はそのまま東京に置くとされる(皇居を一緒に移転されるのであれば「首都移転」である)。現行憲法では、政令一つでも全国務大臣と天皇双方の署名を必要とするため、その度に東京と移転先の間を書類を往復させなければならない。行政の速度が失われるだけでなく、自然災害などの緊急事態には重大な問題となりかねない。
[編集] 主な政治家の立場
- かつて小泉純一郎は自らの著書で賛成を表明していた[13]。しかし、首相在任中に首都機能移転凍結に方針を変えた。これに対し、当時国会等の移転に関する特別委員会委員長だった石原健太郎が凍結裁決をせず辞任を表明(2002年)。その後、2003年に事実上の凍結宣言となった。
- 2006年9月に首相に就任した安倍晋三は、表立った見解を表明していないが、安倍内閣では首都機能移転担当のポストが廃止された。
- 石原慎太郎東京都知事は断固反対の立場を取るが、衆議院議員時代に、移転決議に賛成していたという疑いが持たれている。また、東京都立大学等を統合して設立された新大学の名称を首都大学東京にした。
- 政党間でも、共産党、社民党は一律「反対」を唱える。しかし、自民党、民主党では党内の意見がまとまっていない。
- 建築家の黒川紀章は首都機能移転を公約として都知事選に立候補する意向を示した。黒川紀章の移転目的は、移転跡地を再開発の種地としたり、低所得者向け住宅を建築することとしている。
[編集] その他
- 皇居の移転をするかどうかは未定だが、現在までの検討では皇居移転は考えられていない。なお、国民新党の亀井静香は、「首相になったら茨城か京都にでもお移り頂く」という趣旨の発言をしているが、有力支援者たる建設業界へのパフォーマンスではないかといわれている[要出典]。
- 現在までに検討された首都機能移転では、「経済機能の移転先地域への移転」や「人口の移転先地域への移転」は考えられていない。移転先地域への一極集中を防止し、あくまで移転先地域はコンパクトな行政都市に留まる、というのが基本コンセプトだが、一方で「移転先地域へ人口が一極集中し、第二の東京になる」と懸念する声も根強い。
- 一部では「明治天皇が東京に移った際に発せられた詔書には、遷都ではなく奠都の語が用いられた(奠都は都を定めるの意味しかなく、遷都ではない)から京都が現在でも日本の首都である(東京は首都ではない)」という意見もあり、そもそも首都の位置付けすら行われていない状況では、行政府のみを移転させるのか、首都そのものを移転させるのか、という論点が備わっていないという主張もある。これは揚げ足取りのような意見であるとして、この意見の支持者は少ない。(詳しくは江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書・日本の首都参照のこと)
[編集] 担当大臣
建設大臣、国土庁長官、【研究・学園都市、土地対策、首都機能移転担当】 (第1次森内閣)
- 林寛子(扇千景)
建設大臣、国土庁長官、【研究・学園都市、土地対策、首都機能移転担当】 (第2次森内閣)
運輸大臣、建設大臣、北海道開発庁長官、国土庁長官、【新東京国際空港、総合交通対策、研究・学園都市、土地対策、首都機能移転担当】 (第2次森改造内閣)
国土交通大臣、【首都機能移転担当】 (第2次森改造内閣〜第1次小泉第1次改造内閣)
国土交通大臣、【首都機能移転、観光立国担当】 (小泉第二次改造内閣〜第2次小泉内閣)
国土交通大臣、【首都機能移転、観光立国担当】 (第2次小泉改造内閣〜第3次小泉改造内閣)
※安倍内閣では、担当大臣は置かれず、道州制担当が置かれている。 今後の動向が注目されるところである。
[編集] 註
- ^ 国会等の移転ホームページ
- ^ なお、政府機関の一部は東京からの移転が進められており、筑波研究学園都市やさいたま新都心は、東京一極集中の是正策の一環でもあった
- ^ 衆参両院の合同機関(国会等の移転に関する政党間両院協議会)にて引き続き検討
- ^ 当初は、東京でも借家層を中心に首都機能移転による地価高騰の沈静化を期待する人々も少なくなかった。しかし、バブル崩壊により地価抑制は求められなくなった上に、都市再生などによりある程度の地価上昇を肯定するようになっている傾向が強い
- ^ 但し、実際には帝都復興計画や戦災復興都市計画によって、中枢地域については区画整理が進み、幹線道路の整備が進められているなど、必ずしもこの指摘は当たらない
- ^ 地域経済が往々にして官需中心となっていることが背景にある。ただ、この点については経済的にも在京の大企業の支店が置かれているケースが多く(支店経済都市)、仮に政経分離しても実質的には変わりが無いのではという指摘もある
- ^ 企業の政治対応部門も当然新首都に移転することから実質的には癒着が変わらないという批判や、交通的に格段に不便となる新首都に移ることで一般市民との距離が離れてしまい癒着が却って悪化すると言う批判もある
- ^ この移転費用については推進派からは勝手に数字が一人歩きしたという反論もあり、既設のインフラを活用することで費用を削減できると主張している。
- ^ 日本経済新聞が東京に本社を置く企業にアンケートを取った所、本社を置く動機として首都機能を挙げた企業は少数に留まった。又、新首都へ拠点を置く場合でも、多くの企業が50人以下の小規模なものに止めるという回答が多数派を占め、首都機能移転によって企業が首都圏から分散できるという主張への反証となっている。
- ^ 例えば大規模地震は全国至る所を震源地として起こっている
- ^ 3つの移転候補地のうち、畿央は琵琶湖断層や東南海地震・南海地震、中央高地の東濃は東海地震や東南海地震、福島県中通りは那須火山帯の危険地域である。
- ^ 候補地の一つ愛知県瀬戸市では、愛・地球博の開催が予定されていたが、自然保護を理由とする反対運動で頓挫し、規模を大幅縮小の上、隣接する長久手町の青少年公園を主会場とすることに変更された。(※愛・地球博の構想に携わっていた者が、移転推進派の代表的論客だった堺屋太一であり、堺屋は規模縮小に反対して万博から手を引いた。)
- ^ 1995年の自民党総裁選で「東京と大阪を結ぶ線上には移転しない方がいいだろう」と回答[1]
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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