ため池
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ため池(ためいけ、溜池、溜め池)とは、主に農業(かんがい)用水を確保するために水を貯え、取水設備を備えた人工の池のこと。その目的のために新設したり、天然の池沼を改築した池を指す。
日本では全国的に見られるもので、1989年の時点では21万ヶ所以上を数える。中部地方から四国地方、山陽地方にかけて多いが、雨が少ない瀬戸内海周辺には特に多く、数においては近畿地方と中国、四国地方で全国の70パーセントほどを占める。
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[編集] 概要
水を貯えておき、必要な時に耕作地へ送水することで、季節ごとの水量の変化や干ばつなどの気象変動による影響を抑え、農作物を安定して栽培することができるようにする。例えば、水を使わない冬季に川の水を取り入れ貯えておけば、春先や初夏といった水が必要になるときに耕作地へ供給することができる。梅雨時の河川は平常時を上回る水量となることがあるが、この時の余分な水も貯えておけば、盛夏時の渇水の危険性を減らすことができる。
池を囲む堤防の高さを上げて貯水量を増やしたり、崩壊を防ぐため整備工事を施すなど、機能改善を施した池もある。また、飲み水など生活用水としての貯水池として、また河川増水時の調整池としての役割も有しているとしてその価値が見直されている。多種多様な生物が生息する池もあり、周辺を含めた豊かな自然環境も注目されている。
広いため池の場合、ウインドサーフィンやボートなどを使った娯楽場所として使われているところもある。また、かんがいの役目を終えても池として残され、噴水や遊具の整備を行い親水公園として公開されているところもある。
[編集] 構造
堤を用いて水を貯えているが、必要な時に耕作地へ水を送り出せるよう取水施設がある。
ため池が作られた初期のころは樋管(ひかん)と呼ばれる管が堤を貫通して外に通じており、栓を外すことで水を池の外へ流せるようになっていた。やがて池の底から立ち上がる立樋(たてひ、竪樋)と、その下から堤を通り外に通じる底樋(そこひ)の組み合わせが用いられるようになる。立樋にはいくつかの高さに栓が複数設けられ、水位の低下に伴って適切な高さの栓を開け、水を流せるようになっている。立樋は垂直に立ち上がっているものと、堤の斜面に沿って作られるものがある。
台風などによる増水時に堤が破壊されないよう、堤の一部を低くして許容量以上の水を早めに出す洪水吐(こうずいばけ、こうずいばき)もしくは余水吐(よすいばき)と呼ばれる施設も作られる。
[編集] 形態
ため池は谷池と皿池という二種類に大きく分けることができる。両者は場所や築造方法が違うほか、水質や生息する動植物に違いが現れてくる。
- 谷池
- 谷の下流側に堤を作り、川をせき止めるようにして作られた池。山間部に多く作られている。土を主体とするせき(堰)、いわゆるアースダムによって貯水されるが、堰堤の高さが15.0m以上となると、河川法上におけるダムとして定義される。このため、日本におけるアースダムの多くは農業用のため池として建設されている。
- 池の水質は生活廃水の混入が少ないため貧栄養で、酸性を示すことが多い。谷池から流された水は、平地の皿池に分配して貯え、そこから農耕地に分配するという方法が取られる。
- 皿池
- 堤で周りを囲み、底を掘り下げて作られた池。平野部に多く作られており、川や谷池、もしくは他の皿池から用水路を経て引かれてきた水を貯えている。人間の生活範囲に近いところに立地し、生活廃水や農耕地から用水路に入り込んだ肥料などが混入することにより、水質は富栄養を示すことが多い。
[編集] 日本での歴史
日本の場合、年間降水量は多いものの季節や地域によって違いがあるほか、急な地形と短い川により水はすぐに海へ流れ出てしまう。そのために水を貯えておき必要なときに使えるよう、ため池が発達してきた。
現存する日本最古のため池は、大阪府大阪狭山市の狭山池と言われ、発掘された遺跡から7世紀初頭には作られていたことが判明している。何度か改修工事が行われ、かんがい用として現在も使われている。古事記では垂仁天皇の子、印色(いにしき)の入日子の命により、血沼の池・日下の高津の池とともに作られたとされる。古墳や治水のため川に堤を作るための土木技術がため池の築造にも使われた。
奈良時代には行基が、平安時代には空海がため池の築造や補修を行ったという話が、他の土木事業の話とともに各地に残されている。
ため池が最も多く作られたのは江戸時代で、藩の新田開発に合わせ、用水路などとともにため池が作られた。日本最大のため池である香川県まんのう町の満濃池も、8世紀初頭に作られたのち何度か決壊し、1184年(元暦元年)の決壊後はついに放置されて中に村落ができていたが、西嶋八兵衛により1628年(寛永5年)から3年をかけて池としての復旧工事が行われ、ため池として再度使われるようになった。また、水利関係で水がなかなか回ってこない皿池がある場合、新たに谷池と水路をつくり、水の供給先を増やすということも行われている。この時代になると、新たな池の築造に適した場所は残っておらず、平地の耕作地を変えてまで池(皿池)が作られた。
明治以降は先進的な西洋技術が大量に導入され、それまでよりも長い水路や巨大なダムが造られはじめたことで、ため池の中でも小さなものは必要性が薄れ、放置される例が多くなった。また、減反政策や農業従事者の高齢化の進展は必要とする池をさらに減らし、埋め立てられて学校や住宅地、工場用地、ゴルフ場などへと変わっていった。農業に従事する人が減り、ため池を管理する人間がいなくなったことで放置され整理されたところもある。しかし、かんがい以外での池の価値も見直され、貯水機能を農業以外に転用したり、文化遺産と位置づけて維持される例も見られるようになった。
[編集] 自然
一般的に水深が浅く、水量も少ないところは天然の池と類似している。しかし堤や池の中は定期的に草が刈られるなどの整備が行われるほか、かんがいに利用されることで年間の水位は大きく変動するうえ、水がしばらく枯れてしまう場合もある。これらの点において天然の池と大きく違っている。水は短期間で入れ代わるため、流入する水の水質により溜池の水質は大きく左右される。また、谷池と皿池とでは水質が違ってくるため、それぞれの環境に適した動植物が生息している。
ため池の多くが江戸時代に作られたということから、200年から300年あまりの歴史をもち、中には1,000年を超えるものもある。長い歴史を経てきた池の中や堤の周囲には、絶滅危惧種も含めた様々な動植物が生育しているところがある。環境省が発表した日本の重要湿地500の中のひとつに「東播磨北部地域の農業用水系」が選ばれるなど、近年特に溜池群の生物の多様性が高く評価されている。
植物はガマやアシ、カヤツリグサ科といった抽水植物や、ヒシやガガブタ、オニバスといった浮水性の水草、クロモやオオトリゲモといった沈水性の水草、サンショウモやタヌキモといった浮遊性の水草が見られる。また、ジュンサイやハスなど商品価値のあるものは採取されることもある。
動物は水棲のもの、もしくは水辺をすみかとしているものが生息する。昆虫ではチョウトンボやイトトンボの仲間等がよく見られる。外来種の生物も、特に皿池に多く見られるが、ブラックバスが谷池でも見られるものがある。
堤は耕作を禁じたり、草刈りや野焼きを行うことによって大きな草木の生育を阻む等、強度を維持するための管理が行われる。そのため日当りが良くなり、日光を好む植物がよく生える。ワレモコウ・キキョウ・リンドウ・オミナエシなどはこのような場所によく生育したもので、秋の七草も多くはこのような場所に見られる。しかし放置された池や改修間もない皿池の堤では、帰化植物や背の高いササやススキ、繁殖力の高いクズなどが生え、手入れが行われないと次第に単調なものになっていく。
谷池の場合、水が流れこむ付近や、堤に水がしみ出やすい部分がある場合、そこに湿地ができあがり、狭いながらも多種の湿生植物が生息することがある。このような場所にはハッチョウトンボやヒメタイコウチなどの昆虫も生息する。
周りをコンクリートで補修されていても、多くの動植物が残っている池はある。しかし中には水質汚濁が進みアオコが大発生して生物の姿を見なくなった池もある。また、周囲が宅地化されたりすると、汚水が流入して富栄養化する例が多い。
[編集] 問題点
水を流し出す樋管や、樋を付ける場所を意味する打樋(うちひ)はため池の弱点である。樋管に木材を使っていた時代では、腐食するために交換する必要があった。もし樋管が腐食して壊れると、堤の崩壊を招くことにもなる。また打樋は岩もしくは堅い土であることが求められたが、ここも頑丈でないと崩壊を招きかねない。
技術が発達し、堤や取水施設にコンクリートや金属を使うことで強度は上がった。しかし管理が行われなくなった溜池では堤の強度が下がっていくおそれがある。
水質汚濁が進んだ池は悪臭を発し、周辺で暮らす住民の不満を招くことになる。またゴミの不法投棄も問題視されている。