ザハ・ハディッド
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ザハ・ハディッド(Zaha Hadid, ザハ・ ハディドとも表記。 アラビア語表記:زها حديد)は1950年10月31日生まれのイラク・バグダッド出身の建築家。イギリスの代表的な建築家で、現代建築における脱構築主義の旗手の一人でもある。
彼女はベイルートのアメリカン・ユニバーシティで数学を学び、更にロンドンの建築学校(Architectural Association School of Architecture)で建築を学んだ。卒業後に恩師であったオランダ人建築家レム・コールハースと働くようになる。1979年に自分の事務所を構え、以来ロンドンを拠点として母校AAスクールでも教壇に立っている。2004年には(女性としてはじめて)プリツカー賞を受賞しているほか、それに先立って建築における顕著な功績で大英帝国勲章(CBE)を受章している。
彼女はロシア構成主義の建築や美術の強い影響のもとにあり、コンセプチュアルで空想的なものを現実空間に出現させることで利用者に驚きを与えている。かつて、彼女は同じく脱構築主義者であるダニエル・リベスキンド同様、実際の建築作品ではなく、建築思想の提唱者として、また過激なコンセプトを示した図面の作者としてもっぱら知られていた。無数の道路やパイプのようなラインがゆるやかに折れ曲がり交差し重なり合いながら高速で流れるイメージや巨大な有機体状の構造物などを描いたドローイングは有名であり、1988年にニューヨーク近代美術館が主催した『脱構築主義者建築展』などで活躍したが、実現した建築はほとんどなかった。彼女を最初に有名にした1983年の香港・ビクトリア・ピーク山上の「ピーク・クラブ」設計案は、審査委員長だった磯崎新によって発見され一等賞に推され世界の建築界を驚かせたが、爆発した建物の無数の破片が鋭い軌跡を宙に残しながら飛び交うような過激な設計案は、あまりの実現困難さから実際に建設されることはなかった。
しかし1990年代以降、ヴィトラ消防ステーションの建設を皮切りに多くの建築を実現させている。またインテリアの仕事も多く、ロンドンのミレニアム・ドームの『マインド・ゾーン』の内装設計などが有名であるほか、東京・原美術館におけるドイツ銀行コレクション展の展覧会場設計も行っている。
国際建築設計競技(コンペ)にも多く勝利しているが、勝利しながら建築困難として実現しなかった建築もある。顕著な例では前述の香港「ピーク・クラブ」(1983年)やウェールズ・カーディフのカーディフ・ベイ・オペラハウス(1994年)がそうである。しかし多くのコンペで彼女は快進撃を続けている。2002年、彼女はシンガポールの都市計画コンペで勝利し、2005年にはバーゼルの新カジノ建設計画のデザインコンペでも勝利した。また彼女はブリタニカ百科事典の編集委員になるなど活躍の場を広げている。
[編集] 作品
- 1993年 ヴィトラ社工場・消防ステーション、ヴェイル・アム・ライン、ドイツ
- 1998年 Rosenthal Center for Contemporary Art、シンシナティ・オハイオ州
- 2002年 スキージャンプ台、インスブルック・オーストリア
- 2005年 Phaeno Science Center、ヴォルフスブルク・ドイツ
- 2005年 BMWセンター(自動車工場)、ライプツィヒ・ドイツ
- 2012年に開催予定のロンドンオリンピックの会場となる水上競技センター(Aquatics Centre)も建設予定。