イオ・ミン・ペイ
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イオ・ミン・ペイ(Ieoh Ming Pei 1917年4月27日- )は、世界的な中国系アメリカ人建築家。I・M・ペイと表記されることが多い。漢名は貝 聿銘。
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
[編集] 経歴
中国広東省の広州市生まれ。 香港の名門セント・ポールカレッジを卒業後、上海のセント・ジョーンズ大学へ進学。その後渡米し、ペンシルバニア大学、マサチューセッツ工科大学にて建築を学ぶ。ハーバード大学にて建築学修士号を取得。同大学助教授を歴任。1954年にアメリカ国籍を取得。
1942年から1945年まで、コンクリート設計を学ぶため、不動産開発会社のストーン・アンド・ウェブスターで働く。1946年にはボストンの Hugh Asher Stubbins のオフィスで働き始める。
1948年には不動産開発者のウィリアム・ゼッケンドルフの招きで Webb & Knapp Inc. (ニューヨーク)で働く。
1960年まで Webb & Knapp Inc. では建築部門の代表として働く。その後、自身の建築事務所「I. M. Pei & Partners」 をニューヨークに設立する。
1983年にプリツカー賞受賞。1989年には Pei, Cobb, Free & Partners に事務所名を変更。
石やコンクリート、ガラス、鉄などの抽象的な形、素材への依存から彼はヴァルター・グロピウスの弟子と思われたが、ペイはほとんどグロピウスの理論に関心を示さなかった。彼は建築は時代を反映されるべきではなく、商用的な力からは距離を置くべきだと考えていた。
ペイはハイ・テクノロジーの動向にゆるく関係付け、洗練されたガラス加工の建造物を構築した。しかしながら、多くの作品はオリジナルのデザイン・コンセプトによっている。彼はしばしば大きなスケールの仕事をし、シャープで幾何学的なデザインで有名である。
世界的に最も成功しているアジア出身建築家の一人である。
[編集] 代表作
- 台湾台中市東海大学路思義教堂(ル‧ルーシー・チャペル)
- 国立大気研究センター、コロラド、1967年
- クリスチャン・サイエンス・チャーチ・センター、ボストン、1973年
- ジョン・ハンコック・タワー(1973年・アメリカ・ボストン市)
- ナショナル・ギャラリー・オブ・アート東館、ワシントンDC、1978年
- OCBC(シンガポール)
- ルーヴル美術館ピラミッド(1989年・フランス・パリ)
- 中国銀行香港支店ビル(1990年・香港)(70階・365メートル)
- MIHO MUSEUM、滋賀県、1997年
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