ジェンス・パルヴァー
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ジェンス・パルヴァー | |
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基本情報 | |
本名 | |
あだ名 | パルバライザー ガトリングラッシュ リトル・イーヴル |
階級 | ライト級(UFC、PRIDE) |
国籍 | アメリカ合衆国 |
誕生日 | 1974年12月6日 |
出身地 | アメリカ合衆国 ワシントン州 |
現居住地 | アメリカ合衆国 |
スタイル | レスリング ボクシング |
戦績 | |
総試合数 | 15 |
総勝利数 | 10 |
KO勝ち | 4 |
一本勝ち | 0 |
判定勝ち | |
総敗北数 | 5 |
KO負け | 3 |
一本負け | 0 |
判定負け | |
引き分け | 0 |
無効試合 | 0 |
ジェンス・パルヴァー (Jens Pulver、1974年12月6日 - )は、アメリカ合衆国ワシントン州出身の総合格闘家。身長170cm。チーム・エクストリーム所属。UFCライト級を代表するファイターであり、初代UFCライト級チャンピオン。
UFC時代には宇野薫やBJペンなどのビッグネームを破っている。初期はパット・ミレティッチに師事し、その後独立。レスリング出身でありながらボクシングを主武器とし、徹底的な打撃の連打で対戦相手を粉砕することからパルバライザー(粉砕機)の異名を持つ。趣味はフライ・フィッシングやゴルフ。
目次 |
[編集] 戦績
2001年2月の『UFC30』に行われたライト級初代王者を決めるタイトルマッチで宇野薫と対戦。判定で勝利をもぎ取り、見事初代UFCライト級チャンピオンに輝く。
2002年1月の『UFC35』のライト級王者タイトルマッチでBJペンを倒し、王座の防衛に成功する。
2004年3月には 修斗に参戦。植松直哉からKO勝ちし、7月8日にはハワイにてステファン・パーリングと対戦し、TKO勝利。
そして2004年9月19日、シュ-トボクシングのトーナメント『S-cup 2004』に参戦。一回戦はダイ・ジョウアンにボディブローを叩き込みTKO勝ちを収める。しかし試合後、ステファン・パーリング戦などで痛めていた右後十字靭帯が悪化し、無念の途中棄権を余儀なくされる。
2004年12月31日のPRIDE男祭りにてPRIDEに初参戦し五味隆典と対戦するもKO負けを喫してしまう。
2005年5月22日の『PRIDE武士道 -其の七-』ではTAISHOから軽くKO勝利を奪う。
2005年9月25日の『PRIDE武士道 -其の九-』ではPRIDEライト級GPに参戦する。しかし一回戦で桜井"マッハ"速人にKOで負けてしまい、二冠の夢は潰えた。
2006年4月2日の『PRIDE武士道 -其の拾-』ではアライケンジをKOで下す。この試合を最後にパルヴァーはPRIDEを離れ、母国アメリカで闘うことに。
しかし2006年9月23日の『UFC63』にて、新鋭のジョー・ローザンにまさかの秒殺負けを喫する。
[編集] その他
2004年のPRIDE男祭りから現在まで、髪型を真っ赤な炎の様な剃りこみを入れたモヒカンにしている。この髪型は日本で試合を行う際に、わざわざいきつけの美容師にしてもらうらしい。本人いわく「日本のファンのためにファイトする」意志の表れだという。
寝技も打撃も技術が高く、オールラウンドな戦いができる選手だが、唯一の穴としてローキックへの対策が挙げられる。
[編集] 主な獲得タイトル
- 初代UFCライト級チャンピオン