ジミー・フォックス
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ジミー・フォックス(James Emory Foxx,1907年10月22日-1967年7月21日)はアメリカ合衆国メリーランド州出身の元野球選手。右投右打。主に一塁手(他に捕手、三塁手、外野手)。愛称はダブルX、The Beast。ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグと並ぶ1930年代の強打者で、大リーグ史上最強の右打者の一人。
[編集] 経歴
1925年フィラデルフィア・アスレチックス入団。その年に17歳でメジャーデビューを果たす。入団時は捕手だったが内野手に転向した1928年から長打力が開花。アル・シモンズとの3、4番コンビで1929年~1931年のリーグ優勝(1929年、1930年はワールドシリーズ制覇)に貢献した。1932年は当時史上3位の58本塁打を放って本塁打王と打点王の二冠を獲得し、MVPを受賞。翌1933年は首位打者も加え史上6人目の三冠王となって2年連続MVPに輝いた。1934年はルー・ゲーリッグに敗れるが1935年には再び本塁打王を獲得。1936年ボストン・レッドソックスにトレード。1938年には首位打者、打点王の二冠を獲得して3度目のMVP。1939年には4度目の本塁打王を獲得する。1940年まで12年連続30本塁打、100打点以上を続けていたが、1941年ごろからアルコール依存症、不眠症を患い成績が下降。1942年途中にシカゴ・カブスに放出、1945年はフィラデルフィア・フィリーズに移籍して同年引退した。1951年野球殿堂入り。
1934年には全米選抜チームの一員として来日し、沢村栄治とも対戦している。
[編集] 特筆すべき点
- 「眼を閉じていても、スイングしたのはフォックスだと分かる」(ビル・ディッキー)と言われたほどのパワフルなスイングから生み出された534本塁打は歴代14位。30代半ば以降アルコールに溺れなければベーブ・ルースの通算本塁打記録を抜いていたとも言われる。
- 58本塁打を放った1932年は他にもノーゲームとなった試合で2本塁打を放っている。また、ルースの現役時代はなかったスポーツマンズ・パークの右翼スクリーンを直撃する打球を5本放っていた。
- 陽気な性格でテッド・ウィリアムスなど後輩選手の面倒見が良かったことで知られる。