トヨタ・ソアラ
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ソアラ(SOARER)は、トヨタ自動車で生産されていた高級スポーツクーペ、最終モデルはいわゆるクーペカブリオレである。
初代、2代目と大いに人気を博し、バブル絶頂期の1980年代後半(当時はハイソカーブームだった。)には女子大生ホイホイなる異名をとったほどであった。 3代目のモデルから北米などではトヨタの高級車専門販売チャンネル、レクサスで1992年より販売されており、この車は「SC」と呼ばれている。日本国内でも、2005年8月からレクサス店展開に伴って「レクサスSC430」の名称に変更。ソアラの車名は消滅した。
取扱店はトヨタ店とトヨペット店であった。エンブレムは、グリフォンをイメージしたもの。
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[編集] 歴史
[編集] 初代(1981-1986年) Z10系
セリカXXのプラットフォームを共用するスポーツクーペとして誕生。前年1980年の「大阪国際モーターショー」でEX-8の名称で参考出品されて話題となったものが、ほとんど姿を変えずに登場してきた。また、1983年9月のクラウンのフルモデルチェンジで2ドアハードトップが廃止されたため、同車の実質的後継車ともなった。
「未体験ゾーンへ。」のキャッチコピーの通り、スタイル、装備、走行性能など全ての面で大きな話題を集めた。マイコン式オートエアコンなど、当時としては最先端のカーエレクトロニクスがふんだんに用いられたが、特に「エレクトロニック・ディスプレイメーター」と名付けられたデジタル表示のスピードメーター、発光ダイオードによるグラフィック表示のタコメーターはその象徴といえるものであった。第2回目の日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞車でもある。
エンジンは1G-EU型直6・2000cc(125ps)と途中で追加されたM-TEU型直6ターボ・2000cc(160PS)5M-GEU型直6DOHC・2800cc(170ps)。特に5M-GEU型直6DOHC・2800cc(170ps)は、日本の大排気量車としては初のツインカムエンジンが採用された。上級グレードの足回りには、トヨタ・2000GT以来と謳われた4輪独立懸架+4輪ベンチレーテッドディスクブレーキが採用されている。後に電子制御サスペンション「TEMS」を採用したグレードも登場した。 マイナーチェンジで1G-GEU型直6DOHC・2000cc(160ps)がラインアップされ、5M-GEU型は6M-GEU型直6DOHC・3000cc(190ps)となった。グレードは下からVI VII VX VR VRターボ(途中で単純にターボに変更)2000GT 2800GT 2800GTエクストラ 3000GT 3000GTリミテッド。
この初代ソアラの開発にあたって、白洲次郎氏のアドバイスを受けていたことが、当時のソアラ開発責任者である岡田氏は後に公式に認めている。白州氏は個人に所有していた911ポルシェをトヨタに与え、開発技術者に良い車を創る事について確固たる姿勢を教示した。2代目ソアラが発表される直前に亡くなってしまったが、発表後、岡田氏は墓前にニューソアラ(MZ21)で報告に行ったと言う。 彼はイギリスに留学した時に当時学生で有りながら、アジア人でベントレーを乗り回し、地元のレースに出場する程の車好きだったという。
- TVドラマ「太陽にほえろ!」ではトヨタ自動車がスポンサーしたこともあり劇中車で使用されていた。ちょうどこの頃はソアラと太陽にほえろ!の人気が高かったこともありそれに応えてソアラの最新のモデルを入れ替えて使用されたがなぜか最終型の3.0GT-LIMITEDは使用されなかった。使用された車種は次の通り。
- 前期型2800GTエクストラ(ホリゾンタルトーニングと呼ばれるゴールドツートン)1981年6月~1982年8月
- 前期型2800GTリミテッド(リミテッドクォーツトーニングと呼ばれるパールホワイト/シルバーのツートン)1982年9月~1983年5月
- 後期型2000GTフェンダーミラー仕様(スーバーホワイト)1983年6月~1985年12月
[編集] 2代目(1986-1991年) Z20系
先代のスタイルを継承したが、時代に習ってボディデザインは曲線を巧みに取り入れたもので形成されている。このモデルは、世間がバブル景気で好景気だったのと国民一億総中流意識のなかで販売されたこともあり、高価格にもかかわらず「外車には手は届かないけど、日本車の中で最高の贅沢」としてこぞって買われた人気車となった。この2代目ソアラに搭載された新技術は100以上とも言われている。例えば、サスペンションから金属バネを廃し、代わりに空気のバネを採用した電子制御式エアサスペンションを世界で初めて搭載したのもこの2代目ソアラ(3.0GTリミテッド・エアサスペンション仕様車)である。
発売当初、3.0GT以上は電子制御4速ATのECTだけだったが、'87年1月に5速MTが加えられている。
エンジンは2000ccは1G-EU、1G-GEU、1G-GTEUツインターボ(185ps,後に200ps,210ps)、7M-GTEU型直6・DOHC・3000ccターボ(前期型230ps、後期型240ps)がラインアップ。89年のマイナーチェンジで直列6気筒OHCの1G-EUがハイメカツインカムである直列6気筒DOHCの1G-FEとなった。グレードは下からVX、2.0GT、2.0GTツインターボ、2.0GTツインターボL(1988年のマイナーチェンジ時に追加された)、3.0GT、3.0GTリミテッド。限定車(500台)として3.0GTをベースにした電動折りたたみ格納式メタルトップ採用のエアロキャビンがある。ちなみに7M-GTEU型直6・DOHC搭載車(スープラ含む)は1988年の初代日産シーマが発売するまで国産車最強スペック数値を誇っていた。この7M-GTEU型直6・DOHC搭載車は空力ボディもあいまって最高速度は250km/hをゆうに超えたという。
[編集] 3代目(1991-2001年) Z30系
高級スポーツクーペというコンセプト以外はすべて刷新され、それまで5ナンバーサイズを固守してきたボディは3ナンバーサイズに拡大し、エンジンのラインナップも見直されて、1JZ-GTE型直6・DOHC・2500ccツインターボ(280ps)とセルシオに搭載されている1UZ-FE型V8・DOHC・4000cc(260ps)の二本立てとなった。もちろんこのモデルでも新機軸は詰め込まれ、前期モデルはコーナー時に車体をほとんどロールさせないアクティブサスペンションを搭載したことで知られる。
また、それまでの国内専売モデルからアメリカのレクサスに投入することも図られ、デザインはカリフォルニアにあるトヨタのデザインセンター「CALTY」で行われ、初代や2代目の面影はほとんどない。LEXUS SCとして販売されたアメリカではそれなりに成功したものの、日本市場ではデザインが先進的過ぎて当時の日本人の感性に合わなかったことと、国内のクーペ市場が衰退していったために販売は振るわなかった。しかし、マイナーチェンジを繰り返しながら日本車としては異例の10年という長期間にわたって販売された。中古車市場では今も人気があり、1996年8月以降の通称3型と言われるモデルは高値が付けられている。
デビュー当初グレードは4.0GT・4.0GTリミテッド・4.0GTリミテッドアクティブサス仕様・2.5GTツインターボ・2.5GTツインターボLの5種類。4段ATと、2.5GT系には5段マニュアル車が設定された。94年のマイナーチェンジ時に4.0LモデルはGT-L(標準車・EMVパッケージ・アクティブサス仕様)、2.5LモデルはGT-T(標準車・Lパッケージ)と名称を変更し、2JZ-GEの3.0GT(標準車・Gパッケージ)が登場した。96年8月のマイナーチェンジでは外観の大幅な変更(マスクに小さなグリルを装着・サイドステップの装着など)があり、GOAボディを採用、2.5LモデルにはVVT-iを採用したシングルターボの1JZ-GTEエンジンがマークⅡ3兄弟より1ヵ月早く搭載された。4.0LモデルはGT-L(以前のEMVパッケージに相当)のみに統合され、ついにアクティブサスペンションモデルは姿を消した。また、3.0LモデルにスポーティなSパッケージが登場した。翌97年の小変更では4.0Lモデルそのものが消滅し、同時に3.0LモデルのエンジンにもVVT-iが採用された。99年には最後の小変更があり、今まで15インチのタイア・ホイールを装備していた3.0GT及び3.0GT-Gパッケージにも2.5GT-T系・3.0GT-Sパッケージと同じく16インチのタイヤを装備し、ブレーキが大型化されたが、2001年初頭に生産を打ち切り、Z40系にバトンを渡した。
[編集] 4代目(2001-2005年) Z40系
完全にアメリカ市場のみを意識したコンセプトに変わり、ボディタイプは電動格納式ハードトップを持つコンバーチブルに変更した。乗車定員は4名だが、リアシートはかなり狭く、ソアラに比べて小柄であるプジョー206CCと大差はない。しかし、北米では2シーター車の保険料が高額であるため、ほとんど実用的ではないが後席を用意して4シーターとした。 エンジンはセルシオに搭載されている3UZ-FE型V8・DOHC・4300cc(280ps)のみ搭載となった。ミッションはスーパーECTと呼ばれる電子制御の5段ATである。また、初代からのアイデンティティーでもあるデジタル式のメーターは消滅した。2005年8月のLEXUS国内展開の開始により、マイナーチェンジを受け、LEXUS SC430と名称を変更し、ここにソアラの歴史に終止符が打たれた。
内装は木目がふんだんに使われている。黄色系、ブラウン系、ダークブラウン系の3種類の木目色と、黒、赤、茶(タン)、白(エクリュ)の4種類のシート地から選ぶことができる。 オプションでマークレビンソンのオーディオシステムやランフラットタイヤが選択できる。このランフラットタイヤは、パンクしても一定距離を走行できるようにタイアのサイドウォールが補強されている影響で乗り心地は硬めで、段差を超えた時の突き上げがある。この車の性格からいえばランフラットタイヤは似つかわしくないという意見もあるが、トランクルームを広く取るという利点も捨てがたい。
先代と違い、ヨーロッパにあるトヨタのデザインスタジオ「ED4」(旧・EPOC)でエクステリアデザインが製作された。
[編集] 使用事例
[編集] 公共
1997年から、30系が覆面パトカーとして警視庁及び神奈川・千葉・埼玉・栃木・大阪・長崎・熊本・宮崎・沖縄の高速道路交通警察隊に配備された。グレードは2.5GT-Tの5MT車で配備台数は20台。色はブルーイッシュシルバー・ブラック・ダークグリーン。今ではほとんどの車両がJZS175クラウンに置き換えられており、活動していても予備車両の可能性が高い。
[編集] マーケティングおよびメディア認知度
[編集] CMソング
3代目ではエリック・カルメンの「All by myself」が使われた(のちにダイハツ・コペンでも使われている)。
[編集] TV
歴代モデルともテレビドラマの劇用車として頻繁に使用され、高級スポーツクーペというクルマの性格とあいまって、格好いい男のアイテムとして視聴者の憧れを惹いた。初代は、人気ドラマ「太陽にほえろ!」や「Gメン'75」、「ザ・ハングマン」シリーズの劇用車として毎週テレビ画面に登場したため、クルマ好き以外にもその認知度は抜群であった。1980年代、その認知度の高さ故か当時のクレスタと共に暴走族の改造車(族車)の定番になっていた。2代目では、初代同様、「ジャングル」や「刑事貴族」といった刑事ドラマで劇用車として活躍した。また、トヨタスポンサーのフジテレビの看板ドラマ枠「月9」でも頻繁に登場。3代目は、刑事貴族パート2や金曜ドラマ「青い鳥」(1997年、TBS)等に使用された。4代目は、TBS日曜劇場「砂の器」で中居正広演じる主人公の愛車として使用された。
[編集] 小説
内田康夫の推理小説シリーズでは主人公浅見光彦の愛車である。
当初は2代目ソアラが愛車だったが、「熊野古道殺人事件」において“軽井沢のセンセ”こと内田康夫が操って事故を起こし、全損。その後、内田が詫びとして3代目ソアラを贈った。
[編集] 都市伝説
ソアラには「首ちょんソアラ」など都市伝説がある。