ナショナルカラー
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ナショナルカラー(National colours)とはその国を体現すると見なされている色の事。基本的には その国の国旗若しくは国章を元にした色がナショナルカラーとしてイメージされる事になる。私達が最もよく「ナショナル・カラー」として目にするのは、スポーツにおける国別代表のユニフォームで、特にサッカーにおけるものが、その際たるものである。そのためサッカーのユニホームをまとう事は、国の形を象徴した物をまとう事と同一と捕らえられる場合がしばしばある。(例:2004年のウィンブルドンで引退したゴラン・イワニセビッチが最後の試合終了後、ファンから差し入れられたクロアチア代表のユニフォームを着て見せた事。)こうしたユニフォームは競技別にデザインこそ違えど色だけは同一である場合が多いが、日本のように競技ごとに色が異なるのは、あまり例が無いと言える。又モータースポーツにおいてもナショナルカラーの伝統があるが、これは若干異なっているので、下で別途解説する。
[編集] 一般的なナショナルカラーの一覧
- アイルランド - 緑。
- アメリカ合衆国 - 白地に赤いイントネーション。
- アルゼンチン - 国旗と同じスカイブルー。
- イタリア - 青(青いユニフォームをまとったイタリア代表はアズーリと呼ばれる)。
- イングランド - 白地に赤いクロス。若しくは赤がイントネーションとして付加される。
- オランダ - オレンジ。
- クロアチア - 赤と白のチェック柄。
- ドイツ - 白地に黒のイントネーション。
- ブラジル - 国旗と同じ黄色と緑。
- フランス - 青。さらに白と赤のイントネーションを加えて、トリコロールを形成する。
- 日本 - 白地に紅い日章。若しくは紅がイントネーションとして付加される。
サッカー日本代表は青。野球日本代表はグレー。バレーボール日本代表は黒。
[編集] モータースポーツにおけるナショナルカラー
モータースポーツにおけるナショナルカラーはかつて国際自動車連盟(FIA)によって国別に規定されていた車両に塗装する色のこと。現在はその規定はないため、フェラーリ=赤のように、各自動車メーカーのコーポレートカラーとして認識されている事が多い。
元々は、1900年アメリカの新聞「ニューヨーク・ヘラルド」紙の社長ゴードン・ベネットの発案により国別対抗レースとして開催されたゴードン・ベネット・トロフィ・レースで各国国別に車体の色が決められたことが発祥とされる。この際に参加した四ヶ国はそれぞれ、アメリカ・赤、ベルギー・黄、ドイツ・白、フランス・青と決められていた。
ドイツのナショナルカラーは白であったが、1934年アイフェルレースにおいてメルセデス・ベンツのW25は規定重量を僅か1kg超えていることが判明。急遽、白い塗装を剥がして金属色となり車検を通過したそのマシンは見事に優勝。それ以降ドイツのナショナルカラーはシルバーとなった。
F1に参戦することになったホンダは、それまでなかった日本のナショナルカラーを決めることとなった。本田宗一郎は「黄金の国ジパング」にちなんで日本のナショナルカラーとしてゴールドを希望した。しかし、ゴールドは既に南アフリカのナショナルカラーであったので却下。そこでアイボリーを提案するがこれはドイツと見分けづらいということで日の丸を追加し「アイボリーに赤丸」が日本のナショナルカラーとなった。前述の通り、現在は登録制度は存在しないので、今日においては白地に赤いアクセントをほどこすことで日本のナショナルカラーとすることが一般的である。ちなみに登録制度により規定のあった国は33ヶ国のみであり、アジアで登録のあったのは日本及びタイ・ヨルダンの3ヶ国である。
[編集] モータースポーツにおける各国のナショナルカラーの一覧
- イギリス:緑
- フランス:青
- ドイツ:銀(1934年以前は白)
- ベルギー:黄
- オランダ:オレンジ
- イタリア:赤
- アメリカ:青地に白のストライプ(かつては赤や白だったこともある)
- ニュージーランド:橙
- マクラーレン(ニュージーランド人オーナーブルース・マクラーレン存命時のみ。チーム国籍自体は常にイギリス)
- 南アフリカ:金ボンネットは緑
- LDS
- タイ:薄い青に黄色のストライプ
- 日本:白地に赤いアクセント(かつてはアイボリー地に赤丸)
- ホンダ、トヨタ
かつてはレーシングカーは例外なくナショナルカラーを採用していたが、F1では、1960年代終わりにイギリスのロータスがタバコのブランド「ゴールドリーフ」のテーマ色である赤と白(境界部に金の線が入る)のマシンを登場させると、他チームも続々と追随し、レース界に商業主義がはびこり、ナショナルカラーは駆逐されて行った。特にフォード・コスワースのDFVエンジンが登場したことで低予算でコンストラクターを立ち上げる事が可能になり、相対的にナショナルカラーをまとったワークスが衰退し始めると、この動きは更に顕著になった。
F1のワークスチームの中でも、1996年からマールボロがフェラーリのみのスポンサーとなり大量の資金提供を始めるようになると、マールボロはフェラーリに敬意を払って、赤地のマシンカラー自体を大きく変更させる事こそ無かったものの、それでも1997年以後はその年以前のイタリアン・レッドと言うよりも、マールボロのパッケージに印刷されているような、より明るい赤に変更された。
こうした状況は1990年代末頃になって風向きが変わり始める。巨大な資本を背景とする自動車メーカー直営のチームの復活が盛んになり、メルセデスをバックにしたマクラーレンが部分的にシルバーのカラーリングを施したことを皮切りに、BAR・ホンダ(これは白地に赤丸となったのはたまたまラッキーストライクがスポンサーだったためであり偶然だとされる)、ジャガー、トヨタの参戦が続き、かつてのナショナルカラーが復活し始めた。これは、自動車メーカーの巨大な資本力を背景として、チーム運営をスポンサーフィーのみに依存せずに済む状況が発生したためである。一方で、自動車メーカーを母体とするレースチームであっても、ルノー(仏)のマスタードイエロー、BMW(独)のババリアン・ブルーなど、ナショナルカラーではなく伝統的に企業のコーポレートカラーを用いてモータースポーツ活動を行っている例も存在する。