アウディ
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アウディ (Audi) は、フォルクスワーゲングループのドイツの自動車メーカー。円を4つつなげたマークは、4つの指に嵌る4つの指輪を表すとも(ドイツ語のFingerは人差し指~小指を意味し、親指はDaumenと言う)、4人の貴婦人=4つの会社を表すとも言われ、「団結」を象徴している(下記アウトウニオンの項参照)。
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[編集] 概要
フォルクスワーゲングループの一員で本社はバイエルン州のインゴルシュタット。工場はインゴルシュタットの他にネッカーズウルムにもある。
フォルクスワーゲン・グループにおいて、主に中~上級価格帯をカバーするブランドであり、4輪駆動やアルミボディなど、尖鋭的な技術を積極的に用いる気風がある。
エンブレムは4個のリングを組み合わせた「フォーシルバーリングス」と呼ばれるもので、前身の自動車メーカー「アウトウニオン」社設立に参加した4社の自動車メーカーを象徴するものである。主なライバル社(車)は、メルセデス・ベンツ、BMWであり、この3社は御三家と呼ばれる。
他の自動車メーカーと比べると内外装の精度感・質感に優れており、品質では世界最高水準と言われ、他メーカーのお手本になるほどの品質である。
またFF車、およびそれをベースにした四輪駆動車がほとんどで、他の高級車と比べデザインがおとなしい車種が多いのも特徴である。しかし最近は押しの強いデザインを取り入れ、フロントマスクが睨み付ける様なデザインとなっている車種が多くなっている。
[編集] 沿革
[編集] 創業期
創業者はアウグスト・ホルヒ(August Horch 1868-1951)。自動車史の黎明期にベンツ社で工場長を務めた後に独立、ホルヒ社を設立し、1901年から自動車生産を開始したが、当時としては高性能・高品質の自動車を送り出して名声を得る。
しかしアウグスト・ホルヒは、良質の車を作ることに拘って経営面への配慮を欠くきらいがあり、1909年には経営陣から追放を受けた。速やかに自力で別のホルヒ社を設立、自動車生産を開始したが、元のホルヒ社の抗議によって、同一社名・車名を使うことを差し止められる。
この結果、アウグスト・ホルヒは1910年に自社の社名・車名を「ホルヒ」から「アウディ」に変更。アウディとはラテン語の「聞きなさい!(Listen(英))」という意味で、ホルヒのドイツ語訳と同義である。これなら差し止めを受けるおそれはないわけで、アウグスト・ホルヒの反骨ぶりが伺える逸話である。
アウディは、2612cc(2.6L)4気筒のモデルからスタートし、3564cc(3.6L)、4680cc(4.7L)、5720cc(5.7L)となっていく。これらは人気を得、スポーツイベントでも活躍した。アウグスト・ホルヒは1920年にアウディを去る。初の6気筒モデルは1924年の4655cc(4.7L) だった。1928年、アウディはDKWのオーナーだったイェルゲン・スカフテ・ラスムッセンに買収される。同年、ラスムッセンは米国のリッケンバッカー自動車の生産設備を購入、この設備は1929年から生産された高級モデル、ツヴィッカウ(Audi Zwickau)とドレスデン(Audi Dresden)で使われ、またこれらにはリッケンバッカーのエンジンを搭載した。他に、プジョーからライセンスした4気筒エンジンを搭載したモデルも生産された。この時期のアウディ車は特殊なボディワークがなされた高級車だった。
[編集] アウトウニオン
第一次世界大戦後の不況の中、ドイツ自動車市場にはアメリカ大手自動車メーカーが大挙して進出し、既存の国内メーカーを脅かしていた。これに対抗するため、1932年にザクセン州に本拠を置く中堅メーカーであったDKW、アウディ、ホルヒ、ヴァンダラーの4社が合同し、新たにアウトウニオン(自動車連合)を結成した。「アウディ」ブランドのモデルは同社の中級~高級クラスの車種として存続するが、第二次世界大戦勃発で製造中止される。
アウトウニオンは、第二次世界大戦の戦禍とその敗戦後のソ連によるザクセンの工場接収という壊滅的なダメージから逃れ、西ドイツのインゴルシュタットを新天地として再出発した。部品やバイク、バンの生産を経て、「アウトウニオン」及び「DKW」ブランドで乗用車の生産を再開した。1956年から1964年まではダイムラー・ベンツの支配下にあり、1964年以降はフォルクスワーゲンの傘下となっている。
この時期の詳細はアウトウニオンを参照のこと。
[編集] アウディの復活
その直後1965年に「アウディ」ブランドの乗用車生産が再開され、前輪駆動の堅実な中級セダンを主軸とする形で80・super90・100などモデルのラインナップを広げた。1969年には、ロータリーエンジンの開発で知られたNSU社を併合、アウディNSUアウトウニオン社となる。以降は80や100シリーズなどのヒット作を世に送り出しフォルクスワーゲン・グループの中~上級クラスを担うブランドとして発展した。1985年に社名をアウディ社に変更した。
1980年代には四輪駆動システム「クワトロ」を開発、WRCで大きな成功を収め、以後ラリーにおける4輪駆動車の優位性を決定的にした。
[編集] 近年・今後のアウディ
- 技術分野ではクラッチを2つの構造としたセミオートマチックトランスミッションのDSG(アウディではS-トロニックと称している)を採用している。DSGはグループ企業のフォルクスワーゲンなどにも利用されているが、「今のところ、最も理想的なトランスミッション」と言われている。
- ランボルギーニ・ガヤルドの開発に技術などを提供している。
- Audi R8でル・マン24時間レースに挑戦し、好成績をおさめている。2006年はディーゼルエンジンを搭載したR10で出場し優勝。
- アウディモデルのグリルは、台形→ダブルグリル→シングルフレームグリルと進化してきており、「シングルフレームグリル」のラインアップが拡充してきている。2006年9月現在、シングルフレームグリルではないモデルは、A2のみである。
- 2005年はクワトロ生誕25周年で、2月にクワトロ生誕25周年記念行事「クワトロナイト」が開催され、SUVコンセプトモデル「パイクスピーク・クワトロ」の市販版であるQ7を披露し、RS4が雪坂道を登るというパフォーマンスが披露された。
- 今後はボトムレンジを担うA1、A5、A7、ステッペンウルフの市販版でA3ベースのQ3、A4ベースのQ5などが2010年前後までにデビューするといわれており、2005年10月19日、東京モーターショーでのプレス・ブリーフィングでは、アウディAGのマルティン・ビンターコーン会長も、「これからの3年間で、さらに6つの新しいプロダクツを販売していく」と明言している。
- 2006年Audi R10が新開発TDIエンジンでディーゼルエンジン初のルマン優勝。
[編集] 現行モデル
- A3 - VWゴルフと同じく、エンジンを横置きとするハッチバックモデル。同車とコンポーネントの多くを共有する。TTと同様にDSG搭載モデルを用意する。ベース・グレードは3ドアのA3。2005年7月26日、一部改良とともにグレードが追加され、オープンスカイルーフも全グレードにオプション設定された。
- A3(3DOOR)
- A3 Sportback(5DOOR)
- S3
- A4 - アウディ伝統の縦置きエンジン、フロントドライブを主体とした主力モデル。四輪駆動のクワトロ仕様をはじめとして、ステーションワゴンタイプのアバント、オープンタイプのカブリオレ、強烈なパワーのSなど多様なラインナップを誇る。
- A4
- A4 Avant (ステーションワゴン)
- A4 Cabrioret
- S4 - A4ベースのスポーツバージョン。Sシリーズの1つ。V8エンジン(344ps)搭載。
- S4
- S4 Avant (ステーションワゴン)
- RS4 - S4よりも更にスポーツ方向へ振ったモデル。Sシリーズ最強モデル。420psのV8エンジンを搭載。
- RS4
- A6 - アッパーミドルクラスに属するモデル。日本人デザイナー・ワダサトシによるスタイリング。中国市場ではホイールベースを拡大したA6Lというモデルも公開されており、発売が待たれる。
- A6
- A6 Avant (ステーションワゴン)
- S6 - 5.2L V10 FSIエンジンを搭載する。
- S6 Avant - 5.2L V10 FSIエンジンを搭載する。
- allroad quattro - 旧A6アバントの派生SUV。その名の通りクワトロシステムを搭載する。任意に車高を選ぶことが出来、あらゆる道路状況に対応する。
- A6 allroad quattro - 現行A6アバントベースのオールロードクワトロ
- A8 - フラッグシップモデル。VW製W12気筒エンジンのLWBモデルもある。オールアルミボディ。
- A8
- A8 12-cylinder
- S8 - V10 5.2L FSIエンジンを搭載した、Sシリーズのフラッグシップモデル。
- S8
- TT - スペシャリティモデル。先代A3・VWゴルフⅣがベース。現在の自動車デザインはこのTTが基になっていると言われている。A3と同様にDSG搭載モデルを用意する。日本導入当初はMTモデルのみであったが、年を追う毎にATモデルと入れ替わっていった。2006年10月 日本においてもシングルフレームデザインの新型TTが導入された。
- TT Coupe
- TT Roadster
- Q7 - パイクスピーク クワトロ・コンセプトの市販版。VWトゥアレグ、ポルシェ・カイエンとシャシーを共有する。日本人デザイナー・ワダサトシによるデザイン。
- R8‐ルマン・クワトロの生産型スポーツカー。ランボルギーニ・カヤルドとスペースフレームなどのパーツを共有する。現在V8エンジンのみの設定だが、市場の反応如何ではV10も追加される予定。
[編集] かつてのモデル(戦前除く)
- 50
- 60
- 75
- 80
- coupe(アウディ80がベース。FF式)
- quattro(クワトロ) - アウディ80をベースとしたフルタイム4WD車。現在のアウディの代名詞ともいえるクワトロ・システムを世に知らしめた車両。競技車両は1982年、グループ5からグループBへの移行期にWRCにワークス参戦し、常勝を誇ったため、「もはや4WDでなければ勝てない」と、ラリー界に一大ムーブメントを起こしたマシンである。のちに生産された「スポーツ・クワトロ」と区別するために、「ビッグ・クワトロ」とも呼ばれていた。初期型のS1と、出走クラス変更のための排気量ダウンと軽量化等改良を行ったS2が存在した。
- sport quattro(スポーツ・クワトロ)- クワトロ(ビッグ・クワトロ)を更にショートホイールベース化したWRC参戦のためのグループBホモロゲーション用車両。規定の200台が生産された。競技車両はライバルに対応するために高出力化を行い、ショートホイールベース化したことでクイックなハンドリングを狙ったが、その反動であまりにピーキーなハンドリングとなり、ドライバー泣かせのマシンになってしまった皮肉なマシンでもある。WRCでは残念ながら未勝利に終わっている。初期型のほぼ市販車と同じ外観のS1と、更に改良・軽量化を行い過激なエアロパーツを装着したS2が存在した。
- super90
- 90
- cabriolet
- 100
- 100coupeS
- 200
- S2
- RS2
- A2 - コンセプトはアウディ独自の次世代を見越したエコノミーカー。オールアルミボディを採用し、軽量ボディによる低燃費、100%のリサイクルを目指している。日本では、ガソリン車のAT仕様がないのと、この車のコンセプトを活かすサポート体制を確立することが難しく正規輸入は見送られていた。
- A2
- V8
[編集] コンセプトカー
ここ数年はモーターショーに出品するコンセプトカーは殆どquattroが搭載されている。
- Audi Studie Auto 2000(1981年)
- Audi quattro Spyder(1991年)
- Audi Avus quattro(1991年)
- Audi Steppenwolf(2000年)
- Audi Rosemeyer(2001年)
- Audi Avantissimo(2001年)
- Audi Nuvolari quattro(2003年)
- Audi Pikes Peak quattro(2003年)
- Audi LeMans quattro(2003年)
- Audi RSQ(2004年)
- Audi allroad quattro concept(2005年)
- Audi Q7 hybrid concept(2005年)
- Audi Shooting brake concept(2005年)
- Audi Roadjet concept(2006年)
- Audi A5/S5(2007年)
[編集] 発明
[編集] テクノロジー
- DSG - ダイレクトシフトギアボックス イン・クラッチ式トランスミッションで、もともとはアウディS1などのラリーカーからフィードバックされた技術。シフトチェンジをすべて電子制御化、バイワイヤー化されたATセレクターとスロットルを連動させることにより、シフトアップ&ダウンに要する時間は、わずか0.3秒。もっとも難しいとされる6速から2速へのシフトダウンも0.9秒で行う。今後AudiではS-トロニックと言う名称になる。
- quattro - クアトロシステム トルセンデフを搭載し電気的に4輪を駆動させるのではなく、機械的に路面状態を認識し四輪に動力を配分する。最近Sモデルでは、通常走行時40:60に設定されている。
- FSI - FSIテクノロジー ガソリン一滴一滴を無駄なく使用し、少ない燃料をパワーに変え燃費をよくさせる技術。
- TDI - TDIテクノロジー ディーゼルエンジンで唯一ルマン24時間耐久レースで優勝へ導いたエンジン。ディーゼルエンジンに高出力ハイパワー省燃費をもたらす技術。
- ASF - アウディスペースフレーム シャーシをアルミで合成し、車体を軽く、かつ剛性を高めた。世界ではじめて量産車に採用した。
- AudiMagneticRide - アウディマグネティックライド 磁性流体で作動するアダプティブシステムにより、走行状況とドライバーのドライビングスタイルに応じてロールの安定化を行い、乗り心地の良さとダイナミックな走りを同時に実現する。
[編集] 日本での販売
かつてのアウディはヤナセが輸入元で、同じくヤナセが取り扱っているメルセデス・ベンツと住み分けをはかるため、「メルセデスオーナーのセカンドカー」ということで、主に女性をターゲットにマーケティングをしていた。
1990年代初頭、ヤナセが輸入権を手放し、「フォルクスワーゲンアウディ日本」(のちのフォルクスワーゲングループジャパン)が輸入元となり、「ファーレン」及び「DUO」店でフォルクスワーゲン(VW)と併売されていたが、VWとの差別化を図れず、販売台数は低迷していた。
1998年には、アウディ部門が独AUDI AGが100%出資する「アウディジャパン」に分離し(代表、ヴァルター・ハーネック社長)、同時にアウディ専売ディーラーを全国に展開させることで販売台数を徐々に増やし、現在では、輸入車年間登録台数 第4位の地位を築き上げるまでに成長した。
また、特にクルマに興味が無い人たちを対象に行ったアンケートによると、アウディが一番印象が良い外国車だというデータがある。[要出典]
[編集] 宣伝・広報活動
- 欧州の著名サッカークラブのスポンサー契約を結んでおり、スペインのレアル・マドリードやアウディと同じバイエルン州に本拠を持つバイエルン・ミュンヘンが有名。
[編集] 日本
- 1987年より毎年夏に彫刻の森美術館で開催される招待制のイベント「Audi MUSIC meets ART」(TOKYO FMが主催) に協賛している。2007年4月からは同名のラジオ番組が同局系列でスタートした。
- ちあきなおみの「星影の小径」が日本国内でCMソングに使われた。
[編集] その他
多様なニーズに応えるオーダーメイドプログラムとして「Audi exclusive」がある。 11色のレザー、8色のアルカンタラ、9種類のカーペット、7種類のウッド、2種類のインタルシアウッドから成るインテリアのみならず、 アルミホイールやオフィスパーツ、また、スペシャルボディーカラーの選択も可能な「自分だけの」アウディを創るプログラムである。