ユニクロ
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種類 | 株式会社 |
本社所在地 | 754-0894 山口県山口市佐山717-1 |
電話番号 | 083-988-0333 |
設立 | 1974年9月2日(株式会社サンロード)(※1) |
業種 | 小売業 |
事業内容 | 衣料品の商品企画・生産・物流・販売 (SPA) |
代表者 | 代表取締役会長兼社長 柳井正 |
資本金 | 10億円 |
売上高 | 3,936億円 (2006年8月期) |
従業員数 | 1733人 |
決算期 | 8月末 |
主要株主 | 株式会社ファーストリテイリング 100% |
外部リンク | www.uniqlo.com |
特記事項:※1:2005年11月1日に株式会社ファーストリテイリングの持株会社移行に伴う会社分割(吸収分割)により衣料品の製造小売事業を当社が承継。 |
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株式会社ユニクロは、日本国内で「UNIQLO(ユニクロ)」の店名で実用(カジュアル)衣料品の生産販売を一括して展開する企業。
本社は山口県山口市大字佐山717-1。東京本部は東京都千代田区九段北 1-13-12 北の丸スクエア。持株会社である株式会社ファーストリテイリングが東京証券取引所第一部に上場している。
目次 |
[編集] 沿革
1984年6月、それまで山口県宇部市で「メンズショップOS」(1992年4月までに全店閉店またはユニクロに改装)の名称で男性向け衣料品を取り扱っていた小郡商事が、広島市中区袋町にユニセックスカジュアル衣料品店「ユニーク・クロージング・ウエアハウス」(UNIQUE CLOTHING WAREHOUSE)を開いたのが始まり。この1号店は現在は無いが、中区袋町近くのショッピングモール、サンモールに広島サンモール店がある。ユニクロの呼称はこの店舗名の略称が元になっているが、当初略称の英文綴りはそのまま「UNI-CLO」であった。1988年、香港に現地法人を設立した際、会社登記の書類に略称の「UNI-CLO」を書き間違えて「UNI-QLO」と記入して登録してしまったことがきっかけで、そのまま英文綴りを「UNI-QLO」に変更した商標が採用されることとなった。広島への開店当初は小林克也を起用し広島ローカルでCMを打った。開店以来一貫してワインレッドをシンボルカラーとした白抜きのロゴタイプを用いているが、かつては、これと別に手をつないだ男女のシルエットをモチーフとしたシンボルマークが存在した。1991年9月、社名をファーストリテイリングに変更。
元々はナショナルブランド衣料品の小売店であった。アメリカンスタイルの倉庫風の建物内にクラシックな映画ポスターや有名スターのポートレイトを展示した特徴的な店舗を全国に展開し、またいち早く中国に優良な工場を持ち低価格で調達するモデルを構築。その点ではメジャーになる前から業界筋の間で知られていた。1997年頃からアメリカの衣料品小売店であるGAP(ギャップ)をモデルとした製造型小売業(SPA)への事業転換を進め、経済の状況にマッチした低価格・高品質商品の展開、また広告代理店と提携、クリエイティブディレクターにタナカノリユキを招き、明確なメッセージを発信したことが奏功して、2001年8月期には売上、経常利益ともピークに達し、余勢を駆ってイギリスへの進出も行われた。
2002年頃から、国内では在庫が急増、イギリスでの業績も振るわず、2002年、2003年8月期と利益が大きく落ちこむ。その後、「theory(セオリー)」「ナショナルスタンダード」といった国内外のブランドの買収、ファッション雑誌との共同企画(コラボレーション)商品の開発、藤原紀香など有名タレントの起用、外部デザイナーなどとの提携などのテコ入れが行われて2004年度には業績が上向いた(現在、ロンドン支店の業績は黒字に転じている)。東アジアでは、2002年9月に中国上海市に出店し、2005年9月には香港に、そしてロッテとの合弁で韓国ソウル市にも出店した。また、2005年、靴のマルトミ(ワンゾーン)を三菱商事などから買収した。 また、1998年の長野オリンピックを始め、2002年のソルトレークシティーオリンピック、2004年のアテネオリンピックと、オリンピックの開会式や移動用の日本代表公式ユニフォームの提供、サッカーJ2ザスパ草津にも2003年から2005年までユニフォーム提供を行った。このように企業主体のボランティア活動を推進している。
2005年には、雑誌「relax」(マガジンハウス)との共同で、北青山に期間限定の「セレクロ」(セレクトショップあるいはセレブの位置付け)が開設された。また、大阪心斎橋に平均価格帯を引き上げた「ユニクロプラス」も開店したが、その後プラスの名称をはずし、現在は銀座店を中心に7店舗の大型店を運営。2006年11月にはニューヨークのソーホーに世界旗艦店を出店する他、上海にもアジア旗艦店を出店し世界進出を加速する。
2005年11月に、ファーストリテイリングは衣料品の製造・小売に関する営業を会社分割(吸収分割)によりゴルフ練習場を経営していた完全子会社のサンロード株式会社(当社)に承継させ持株会社制に移行した。同日、サンロードは社名をユニクロに変更した。
2006年現在、以前にも増してブランド広報としてのCM戦略に注力しているとのことであるが、実際に昨年までに比してCM頻度が高くなっている。2006年9月期からは「UNIQLO miX」と題して世界各国の著名デザイナーを招いたコラボレーション、「デザイナーズインビテーションプロジェクト」で注目を集めている。
2006年現在、海外のユニクロは香港を除きほとんど赤字であり、中でもアメリカの赤字は突出している為ニューヨークで戦略を練り直し巨大店舗を2006年11月10日にオープンさせている。
[編集] 商品など
2004年頃から、ユニセックスや「お手頃価格」路線は堅持しつつもある程度の脱却を図り、外部と組んだメッセージ性を持つ共同企画商品の開発(特にレディース物)や、買収したブランドのノウハウ移入、乳幼児向け商品の開発も行っているが、基本的には当り障りのないデザインの商品が多い。
SPAへの転換後、1900円のフリースや2900円のジーンズなどが、価格破壊の象徴としてマスコミなどにも紹介されて爆発的にヒットしたが、あまりに大量に売れ(フリースの販売数が3650万枚)、着用している人が多いためか、着用しているのがばれる「ユニバレ」と呼ばれる現象が広がり、ユニクロ服を着ていると「ダサい」「恥ずかしい」とされ、経営悪化の原因となった。しかし価格に対する品質自体はかなり高く、衣料品としての完成度は非常に高い。その品質の高さはデザイナーの間でも一定の評価を得ており、2006年8月から世界各国の著名デザイナーとのコラボレーションにより「デザイナーズインビテーションプロジェクト」を立ち上げ、通常数万円もするようなデザイン性の高い商品を9,990円以下の低価格で販売している。ジーンズもリング製法などを使ったりなど素晴らしい物を出している。
今後ニューヨークの旗艦店を立ち上げるにあたり、ベーシックな商品を大量に販売するスタンスは維持しつつ、ファッション性を強めた商品を提案し、接客を重視する方向性に転換しているが、過去に柳井氏自身「ユニクロは国民服」等、衣服としてファッション性を軽視する発言を行ったこともあって、BEAMSやユナイテッドアローズを代表とするセレクトショップに比べてブランド力・熱心なファン層という点でやや出遅れの感があることは否めない。
[編集] 主な役員
[編集] CMに出演した有名人
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- uniqlo.com - 株式会社ユニクロ
- store.uniqlo.com - 通信販売サイト
- 株式会社ファーストリテイリング
- ファーストリテイリング メディアルーム(ユニクロ1号店の拡大カラー写真を公開)
- UNIQLO SNS(ユニクロファンによるSNS)
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