上堀駅 (長野県)
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上堀駅(うわぼりえき)は1925年8月1日の開通から1969年4月19日の廃止まで設置されていた上田丸子電鉄丸子線の駅。上田市の旧小県郡神川村村域の玄関口となる駅だが、駅は編入合併前から上田市市域に設置されていた。
[編集] 概要
上田丸子電鉄丸子線の歴史は上田市東部市街地の開発の歴史ともいえるが、その歴史を端的に現しているのがこの駅といえよう。この駅は小県郡神川村の大字上堀の近くに設置されたためこの駅名となったが、駅の設置された場所は上田市に入ったところになり上田市にあって事実上神川村の駅となっていたのである。もちろん村が1956年9月30日に編入合併されて以降は名実共に上田市の駅となっている。駅が設置されてから長らくは田圃の中にあり上堀地区の脇の駅との印象が強かった。しかし1950年代に国道18号(後に国道141号と共用。現在は国道141号のみ)が路線と交差する形で建設されると、周辺は工業用地として整備されるようになり、さらに同線のバイパス(※現在は同線の本線)が建設されるとモータリゼーションの波をもろにかぶるようになる。そして廃止直前頃には市街地の駅と化していたのである。
駅は市街地の駅となっても田圃の中の駅時代の名残からなのかホーム一面、待合室があるだけの無人駅であった。駅から大屋駅・丸子町駅方面の電車に乗ると信越本線(現在はしなの鉄道線)とオーバークロスする区間があり、そこを通り過ぎてカーブして変更区間に合流する様は沿線の名物となっていた。
駅の廃止後は道路として整備された。駅は郵便局(上堀郵便局)の近くにあったため、同局が駅の在った事を示すポイントとなっている。また、オーバークロスは上田東駅方面の土台が現存している。(大屋駅・丸子町駅側は信越本線複線化工事の際解体された。)