神川駅
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神川駅(かんがわえき)は1956年4月から1969年4月19日まで設置されていた上田丸子電鉄丸子線の駅で、上田市の旧小県郡神川村地区では最後に設置された駅である。
[編集] 概要
1925年8月1日に上田丸子電鉄丸子線の前身、丸子鉄道線の上田東駅~大屋駅間が開通したが、この当時開通地域の9割が小県郡神川村内で、同村に設置された駅は上堀駅・八日堂駅・岩下駅・大屋駅(※既に開業)の4駅だった。しかし村役場・尋常高等小学校(現在の上田市立神川小学校、1947年4月1日以降は神川小・中学校であったが中学校は上田市合併後上田市立第一中学校に統合された)のある中心地区には何故か駅が設置されず、同地区に住む住民は隣の八日堂駅まで歩くという不便を強いられた。そこで戦後中心地区の住民は駅設置の猛運動を起こしたが、それが実現したのは1956年の4月であった。それがこの駅である。しかしこの駅が神川村の駅だったのはわずか半年で、同年9月30日には上田市に編入合併されて消滅したため、上田市内の一駅となってしまった。
わずか半年であると予測したわけではないが駅は神川鉄橋から上田東駅よりの信越本線(現:しなの鉄道線)平行区間に鉄骨で組まれたホームと待合室があるだけの簡素なつくりで駅員は無配置。乗車券は乗車の際車掌が販売していた。同じ請願駅の下長瀬駅が駅員配置駅であったのを考えると対称的であった。
駅の廃止後は千曲バスの停留所となった。ちなみに信濃国分寺駅は駅跡から少し上田東駅寄りにある。