信濃石井駅
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信濃石井駅(しなのいしいえき)は1918年11月21日の開業から1969年4月19日の廃止まで設置されていた上田丸子電鉄丸子線の駅。上田市の旧小県郡丸子町地区では一番最後に丸子町となった駅である。
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[編集] 概要
上田丸子電鉄丸子線は1918年11月21日に前身の丸子鉄道によって第一期工事路線大屋駅~丸子町駅として開業させているがこの区間は廃止当時9割5部が小県郡丸子町の領域にあった。しかし開業当時は丸子町は現在の上田市腰越・上丸子・中丸子・下丸子地籍しかなく下丸子駅→信濃丸子駅→丸子鐘紡駅以北は長瀬村・塩川村と分かれていた。開業当時塩川村地域唯一の駅として設置されたのがこの駅だが同村の大字石井に設置されたため普通なら石井駅となるところだが信濃石井という駅名になったのは他所にも石井という地籍があるからだと思われる。
塩川村村民にとって丸子町市街地はもちろん上田市市街地へいくのに重宝がられたが大字石井は依田川を越せば依田村の北部地区に接する地域である。そのためか同村村民にとっても同じ理由から重宝がられた。(ちなみに南部地区は上田丸子電鉄西丸子線の沿線であったが利用が少なかった。)対岸の依田村は1955年4月1日に長瀬村とともに丸子町に編入されたが駅のある塩川村が丸子町に編入されたのは1956年9月30日。一番最後であった。
駅舎はホームの下に置かれていて乗客は駅舎を出て小高い丘の上に作られたホームに登って電車を待つという構造になっており上田丸子電鉄管内では唯一の天井ホームを持つ駅であった。丸子線では朝夕のラッシュに限らず乗降客の多い駅として知られていた。
駅の廃止後は丸子町道(現在は上田市道)となったが駅舎は廃止後解体されたためどこに駅舎があったか今となっては不明である。
[編集] 唯一の踏切
信濃石井駅から丸子町方向、現在の国道152号線と交差する地点には踏切が設置されていたが1964年にそれまでの腕木式から改良されてから廃止まで東京などの都会でよく見かける昇降式の踏切が設置されていた。これは上田丸子電鉄の踏切としては唯一であった。
[編集] 丸子線千曲川鉄橋について
信濃石井駅~大屋駅の間は千曲川か流れているため鉄橋がかけられていたがこの鉄橋は信濃石井寄りの2連が丸型アーチ、大屋寄りの4連が台形アーチという変則的な構造となっていた。これは1928年の大雨による洪水で最初の2連が流失した結果である。初代の丸子線千曲川鉄橋は1918年11月21日の開業と同時に竣功したがこの時は台形の4連アーチとアーチのない2連という変則構造となっていたのである。しかし上記の大雨でアーチのない2連が流失。急遽九州から廃線となった軽便鉄道の2連アーチ鉄橋を譲り受けて再建された。従って丸子線千曲川鉄橋は2代目である。廃止後はアスファルトが敷き詰められて道路橋として整備。大石橋として生まれ変わったが2001年の台風13号による大雨で千曲川が増水。一部の橋脚が流失したため残念ながら解体されてしまった。