交響曲第40番 (モーツァルト)
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交響曲第40番(こうきょうきょくだい40ばん)ト短調 K.550は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが作曲した交響曲。モーツァルトの楽曲の中で、最も有名なものの1つ。
1788年7月25日にウィーンで完成された。同年に作曲された交響曲第39番(6月26日)、交響曲第41番(8月10日)とともに「3大交響曲」と呼ばれる。3曲とも作曲の目的や初演の日時は不明である。
目次 |
[編集] 初演
この曲の初演に関する記録は残されていないため、かつての人気作曲家が演奏のあてのない曲を書いたと、悲劇性を強調する文脈で語られることもあったが、現在ではモーツァルトの生前には演奏されていたと推測されている。初稿のほかに、クラリネットを追加した改訂版が残されているためである。モーツァルトが実際に演奏する目的なしに曲を改訂するとは考えにくい。
また、第2楽章の一部に差し替え用の楽譜が残されている。この楽譜は1789年2月以前に書かれたことが分かっており、1788年の演奏会のために作られたと考えられる。
1789年のベルリン旅行と1790年のフランクフルト旅行では、モーツァルトが自分の交響曲の楽譜を携えていったことは確かである。
1791年4月16日と17日、ウィーンの音楽家協会の演奏会で「モーツァルト氏の新しい大交響曲」がアントニオ・サリエリの指揮で演奏された。これは、第40番のことであると推測されている。
[編集] 楽器編成
フルート1、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2(変ロ管とト管)、ヴァイオリン2部、ヴィオラ、バス(チェロ、コントラバス)
初稿と改訂版があり、後者にはクラリネット2本が追加されている。演奏する場合、指揮者の考え方によりどちらの版も演奏の機会がある。
[編集] 曲の構成
- 第1楽章 Molto allegro ト短調 2/2拍子 ソナタ形式
- 第2楽章 Andante 変ホ長調 6/8拍子 ソナタ形式
- 第3楽章 Menuetto (Allegretto) ト短調・トリオ ト長調 3/4拍子 複合三部形式
- 第4楽章 Finale (Allegro assai) ト短調 2/2拍子 ソナタ形式
[編集] 関連項目
- モーツァルトの楽曲一覧
- クラシック音楽の曲名一覧
- モーツァルトのト短調の楽曲
- 小林秀雄
- 『モオツァルト』の中で、第4楽章について「大阪の道頓堀をうろついていた時、突然、このト短調シンフォニイの有名なテエマが頭の中で鳴ったのである。」と述べている。
[編集] 参考文献
- 『作曲家別名曲解説ライブラリー14 モーツァルトI』音楽の友社、1993年
- 海老澤敏ほか『モーツァルト事典』東京書籍、1991年
- H.C.ロビンズ・ランドン『モーツァルト最後の年』海老澤敏訳、中央公論社、2001年
カテゴリ: モーツァルトの交響曲 | ト短調