北村照文
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北村 照文(きたむら てるふみ、1957年1月7日 - )は、阪神タイガース、西武ライオンズ、中日ドラゴンズに在籍したプロ野球選手でありポジションは外野手である。その華麗な外野守備から、マスコミなどでは「鳥人」と形容された。引退後は中日のコーチを務めた。現阪神スカウト。
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[編集] 来歴・人物
俊足好守の外野手でダイヤモンドグラブ賞を2度獲得したが1988年途中、金森永時選手との交換トレードで西武に、1990年シーズン開幕直後には鈴木康友選手との交換トレードで中日にそれぞれ移籍した。1992年限りで引退。
[編集] 略歴
- 投打 右/右
- 出身地 神奈川県横浜市港北区
- 血液型 A型
- 球歴・入団経緯 相模原市立大野北中学校 - 武相高 - 三菱重工名古屋 - 阪神タイガース(1980年~1988年途中)- 西武ライオンズ(1988年途中~1990年途中) - 中日ドラゴンズ(1990年途中~1992年)
- プロ入り年度・ドラフト順位 1979年(ドラフト3位)
[編集] 通算成績
- 1052試合 打率.246(2056打数505安打)41本塁打 158打点 114盗塁
[編集] タイトル・表彰
- ダイヤモンドグラブ賞 1982年、1983年
[編集] 背番号
[編集] エピソード
- 優勝した1985年の開幕戦(対広島戦、広島市民球場)、代走に起用され、送りバントで2塁に進塁したが、広島の二塁手木下富雄の隠し球に引っかかりチャンスをつぶした。この試合では福嶋久晃(プロゴルファー・福嶋晃子の父)のヒットで広島がサヨナラ勝ちした。
- 強肩で知られる北村は、中堅手として出場していたナゴヤ球場での中日との試合で、センター前ヒットを放った鈴木孝政を一塁でアウトにする(記録としてはセンターゴロ)という離れ業をやってのけたことがある。
- 守備範囲が広く、よくフェンスに激突しながらも好捕したが、プロ野球ニュースの珍プレー・好プレーでは、甲子園球場でラッキーゾーンのフェンスに激突し、壊した場面が放送されたこともあった。ただしこの場面でも打球はしっかりとつかんでおり、珍プレーであり好プレーといえるプレーであった。
- 1985年10月10日阪神甲子園球場でのヤクルト戦で小川淳司の左中間ラッキーゾーンのホームラン性の打球を華麗なジャンピングキャッチで観客を沸かせた。
- 1984年4月18日の阪神甲子園球場での対中日戦で本塁クロスプレーを巡り捕手の中尾孝義と乱闘になり双方退場となる。乱闘の際、中尾の股間を2回膝蹴りしている。
- 走りのスペシャリストという印象が強く、それ故に本塁のクロスプレーが真骨頂であったが、前述の通りキャッチャーとの乱闘も多かった。また相手のキャッチャーが先輩だろうと気が強く、巨人の捕手吉田孝司とのクロスプレーで北村のヘッドスライディングでホームインした胴体の上に吉田が覆い被さる形になった時も(記録はセーフ)先輩の吉田の体を払いのけて立ち上がったりする場面に吉田が怒りを露にする時があった。
- 引退試合は1992年10月9日にナゴヤ球場で行われたが、対戦相手が当時ヤクルトと熾烈な優勝争いを展開していた古巣阪神であり、1-0で阪神に引導を渡した試合での胴上げに、本人は複雑な心境であったという。
- 応援歌の曲は後年「背番号5の強肩・好手の中堅手」を受け継いだ新庄剛志に受け継がれた。