吉野敬介
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吉野 敬介(よしの けいすけ、1966年6月25日 - )は、元大手予備校代々木ゼミナールの古文講師、夕刊フジ論説委員長。
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[編集] 学歴
[編集] 経歴
[編集] 幼少期
神奈川県鎌倉市大船出身。 中学2年生の時、1歳年下の弟を交通事故で亡くし、母親はそのショックで狂乱状態になり、父親は会社を辞め、一時家庭崩壊に陥りそうになる。自身も中学時代から荒れ始め、高校入学後もケンカ・酒・タバコ・シンナー浸りになり、暴走族の特攻隊長として何百台ものバイクを引き連れ、湘南海岸沿線を暴走していた。暴力事件で3度の停学、暴力団関連の事件に関与し、覚醒剤取締法違反で警察に逮捕され、練馬少年鑑別所に収監された。高校卒業後は在学中からアルバイトをしていた中古車販売会社に就職し、1年半勤務した。
[編集] 大学受験時代
当時交際していた女性を専修大学の学生に奪われた事から、1986年9月21日に大学受験を決意し、中古車販売会社を退職。有坂誠人の私塾であるミレー塾と、代々木ゼミナールの単科ゼミに通い始める。朝の9時から翌朝の5時まで、一日20時間場所を問わず勉強をする。眠い時はユンケルやコーヒーを飲み、眠気が酷い時は手の甲に針を刺した。食事もあまり取らなかった。
大学受験を決意した2日後の9月23日に初めて代ゼミの全国模擬試験を受け、偏差値が国語は25、日本史24、英語23と合計しても80に満たなかったが、12月の模試の時点で国語の偏差値86、全国順位で3位を記録。他にも旺文社の模擬試験で国語の偏差値90超、小論文の模試で全国2位となった。但し英語は殆ど伸びなかった。
受験勉強をするにつれ、古文の魅力に取り付かれる。「古文なら國學院」という塾講師の勧めで第一志望校を國學院大學文学部第二部文学科に決めた。
入試を控えた1月15日、彼にとっては20歳であり、記念すべき成人式であったが、勉強を理由に出席を辞退。その日の日本史の勉強内容が、偶然にも入試問題と一致。國學院大學をはじめ立教大学や明治大学、法政大学など計9つの大学(全て国文学学科・日本文学関連学科)に合格している(この事実については本人談)。
[編集] 大学時代
國學院大學在学中には、東京大学・早稲田大学・慶應義塾大学・お茶の水女子大学などの古文の天才と呼ばれる学生達を集め、「源氏物語研究会」というサークルをつくり、その研究会の議長を務める(同じく本人談。夜間部(II部文学部)の人間がどうやって昼間部(I部)の人間とサークルで交流を持ったのかなど、様々な疑問が上がっている。)。
特待生として授業料が免除されるほど成績優秀であったため、國學院大學大学院へ無試験で進学できる権利を有し(実際には進学していない)、また某有名私立高校の教諭への就職も内定していた。しかし、中国に貿易会社を作るという夢のため、北京大学に短期留学するなど準備を進めていた。しかし、天安門事件の勃発により挫折。その後、家庭教師のアルバイトや、代々木ゼミナール大船校(現・湘南キャンパス)での予備校講師を経験した際に、生徒が合格していく姿を見て、予備校講師という新たな夢を見出す。
有坂誠人の紹介で、代々木ゼミナールの講師に推薦される。本来であれば、同校講師の推薦があれば、講師採用試験はないが、元暴走族の特攻隊長という異色の経歴のため、講師採用試験を受ける。当時、代々木ゼミナールの講師採用試験の受験資格は、大学院修了以上とされていたため、新卒の大学生に受験資格が与えられる事は異例であった。試験会場に着くのが早すぎたため、偶然立ち寄った図書館で読んだ古文が、又しても講師採用試験に出る。結果、古文だけで全受験者300名中、合格者は1名。200点満点中、120点以上を合格基準とする試験で196点をとる。当時の史上最年少史上最高得点で講師採用試験に合格する。
[編集] 代々木ゼミナール講師時代
講義スタイルは極めてオーソドックスで、基本に忠実な講義。遅刻・途中退室、肘つきは一切認めなかった。態度が悪い生徒には容赦なく、教室から退出させられることがある(頬杖をつく、携帯を鳴らす、居眠りするなど)。やる気のある生徒に対してはとても誠実で優しい。マイクの音量・板書の大きさ・室温等、生徒にとても気を遣ってる面もある。週刊誌等での厳しい助言や外見等から怖い講師というイメージが強いが、授業中は比較的穏やかで真面目な生徒に厳しいことを言うことはほとんどない。 1980年代後半からは、「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」や教育討論番組など、マスコミに盛んに登場していた。
2006年12月2日、横浜校の本科の私大古文Aより各校舎の二学期最終講義において、今年度限りで代々木ゼミナールを退職すると宣言。理由は定かではないが、あまり一ヶ所に留まっているより、常に何か新しいことに挑戦していきたいと言う。吉野講師は今後のことを現在模索中で、一部の講師や生徒の間では2007年に行なわれる参院選に出馬するのではないかと噂をされている(自民党から出馬要請を受けているらしい)。他にも起業や教育再生会議への参加などが推測されている。
2006年度三学期の最後講義までには今後のことを報告し、2007年1月31日付けで代々木ゼミナールを退職した。
本当は2005年を最後に退職するつもりだったが、上層部から「来年のパンフレットを作ってしまったのでもう1年続けて下さい」との要請や、自身が足を怪我してしまった事から退職を1年延期したらしい。足はストレッチ中に怪我をした。
[編集] 代々木ゼミナール退任後
2007年2月1日付けの日刊スポーツによると「自民党から夏の参院選の公認候補として打診を受けており、今の教育の荒廃には目をつぶっていられない。できない子どもでも、落ちこぼれだったオレのようにできるようになれる仕組みをつくりたい」と強い意欲を紙面で語った。
関係者によると、昨年11月中旬、教え子の父親で自民党の衆院議員と会食し、出馬を打診された。吉野氏は「出馬するかどうかはまだ考え中」と明言は避けたが、準備は着々と進んでいる。昨年末から教え子で東大、早大、慶大などの政治学科卒業生や在学生に声を掛け、教育改革のマニフェストに必要なデータ収集も始めている。宮崎県知事になったそのまんま東が早大生をブレーンに起用したことについて「この戦略はオレが使いたかった」と周囲に漏らしたという。
代ゼミの講師仲間には「受験生を対象に勉強法を教えながら投票することの大事さを伝えたい。それが親や親戚にも伝わって浮動票を獲得できる」と独自の選挙戦術も披露し、さらに「オレは自分のポリシーは守る。選挙用に服装は変えない。頭もリーゼントでいく。時計もロレックスを外さない。外見じゃなくて中身を見てほしいね」とも話しているという。
[編集] 人物像
髪型は常にリーゼントで、不良時代から変わっていない(大学在学中は一時期普通の髪型にしていた)。最近は頭髪の弱体化のせいか昔ほどきついリーゼントではない。
[編集] 事件
[編集] 体罰騒動
2002年6月8日午後4時20分ごろ、代々木ゼミナール横浜校での講義中、再三の注意にも関わらず、私語を止めなかった私立高校3年の男子生徒 (18) を「お前だよ、お前」と言いながら顔を数回殴り、全治5日間の怪我をさせたとして傷害容疑で書類送検された。男子生徒はその場で反省したが、生徒の両親が警察に被害届けを出したため、体罰問題が表面化した。同予備校からも厳重注意と減給処分がされ、「申し訳ないことをした」と被害者らに謝罪し和解した。
このニュースは、「ザ!情報ツウ」や「情報プレゼンター とくダネ!」といった情報番組だけでなく、報道番組である「スーパーニュース」でも取り上げられた。各局が、同予備校前で予備校生達にインタビューしていたが、300名以上が受講する大教室で、一言一句聞き逃すまいと真剣に受講している他の受講生への影響を考えると、緊急的な処置としては適切であったという吉野敬介を擁護する意見や男子生徒に対する批判が大多数を占めていた。また、サテラインの雑談中には、「弁護士に全部頼んでるから、はっきり言って(事件のこと)あんまよく分かってないんだよ。夏期講習で大阪南校に行ってた時に、朝、新聞やテレビを見たらムフフッ、俺だ、みたいな。はっきり言って謝ってないもん。悪いと思ってないもん。謝る訳ねぇじゃん。一応、(表向きには)言っとかなければ、マズイらしいよ。勝手に弁護士が謝ってるんだから。」と発言した。
[編集] 差別発言騒動
2004年12月20日の解放新聞によれば、全国の予備校・塾・高等学校などに配信されるサテラインの講義中、吉野敬介が「鑑別所にランクってあるんです……俺なんか暴走族の特攻隊長のとき、入ってんだよ。鑑別所に入った瞬間に、天皇陛下級なの、ほんとに……レイプとかな、強姦なんかで入っちゃった日にゃ、な、エタ・ヒニンだ。ほんとに」などと、部落民に対する差別ともとれる発言をした。これに対し部落解放同盟は、代ゼミに人権意識が足りないとし、同年11月に確認会を開き、吉野敬介の他、高宮英郎法人総括本部長、松田不器穂東京本部副校長などを召喚した。一方では、このような部落解放同盟の反応に対し「やりすぎ」との声もある。
[編集] 著書盗用被害
2006年5月10日に、自民党の杉村太蔵議員のブログに自伝である「やっぱりおまえはバカじゃない」(上記の著作覧を参照)の一部を盗用された。杉村氏は2006年5月23日にこれを認め、TVや新聞等各マスコミの取材に対し、吉野氏は「怒っていないが、呆れてる」「本当にもし死のうと思っていたら表現は似ない」など、非常に冷静な態度で対応した。ちなみに本人曰く、「自分はワールドカップ男」らしく、ワールドカップの年には必ず何か、彼に関係した事件が起きるらしく、2010年には、何が起きるのか期待する声もある。また、この書の続編である「よく聞け!おまえはバカじゃない」には杉村氏による「釈明解説」が書かれてある。
[編集] 著作
吉野氏が著する本は古文関連の「学習参考書」と自身の経歴や中学・高校・大学受験に対する教訓・アドバイスなどを書き記した「受験向け書物(一般書)」の2つに大別できる。後者の大半は中学の不良時代から代ゼミ採用までのほぼ全ての経歴が綴られている。
[編集] 学習参考書
- 『吉野のピタリとでる古文単語』(1996, 代々木ライブラリー)
- 『吉野のパロディ的中爆走古文"パテ古" (Part.1) (Part.2) Yozemi TV-net』(1998, 代々木ライブラリー)
- 『吉野の古文 スーパー敬語法』(1999, 代々木ライブラリー)
- 『吉野の古典文法 スーパー暗記帖』(1999, 学研)
- 『吉野のセンター古文』(2002, 学研)
[編集] 受験生向け読み物 / 一般書
- 『「おまえはバカじゃない」やればかならず合格する』(1991, ごま書房)
- 『だからおまえは落ちるんだ、やれ!』(1993, ロングセラーズ)
- 『やっぱりおまえはバカじゃない』(1998, 小学館)
- 『さらば、借り物人生 ― 何も言わない受験生、何も言えない親たちへ』(2001, PHP研究所)
- 『自分で決められないヤツは受験するな!』(2004, PHP研究所)
- 『よく聞け!おまえはバカじゃない』(2006.11, 小学館)
[編集] 外部リンク
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