営団1200形電車
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1200形電車(1200がたでんしゃ)とは、東京地下鉄銀座線の前身である東京地下鉄道が、1934年(昭和9年)の銀座駅-新橋駅間延伸開業に際し、2~3両編成で運転するのに必要となり増備した地下鉄電車である。
1933年(昭和8年)から翌年にかけて24両(車両番号:1231~1254)が製造された。
[編集] 概要
従来型の1000形電車を基本にしており、東京地下鉄道としては最後の新規製造形式となった。戦時中の帝都高速度交通営団成立に際しても同一形式を継承、最後まで銀座線で使用された。
1000形との相違点は屋根の曲線が滑らかになった点と、前面の車両番号表記が連結時にどちらから見ても確認できるよう、左右2カ所に記載されたこと、ゼネラル・エレクトリック(GE)系の電空カム軸制御器に代わって、ウェスティングハウス・エレクトリック(WH)系のABF電空単位スイッチ式制御器となったことである。これらはその後の銀座線車両に継承された。
また、車内では、運転室仕切扉が運転機器をカバー出来るように折り畳める構造となっており、客室確保に一役買っていた。これは、1300形以降は車掌台側の折り畳み構造に移行する。室内灯は、1100形までの間接照明に代わって、球の上半分を半透明とした半間接照明となり、これは後年の中間車化までそのままであった。
1964年(昭和39年)、赤坂見附駅にて主電動機の短絡事故が発生した。そのため1200形・1300形・1400形は順次運転台を撤去した上で1400形は中間電動車に、1200形・1300形は中間電動車を経て中間付随車に改造された。車内も2000形並みに更新された。なお付随車化で発生した主電動機は1700形のモーター増強用に転用された。付随車は1300形と共に、車番の頭に“。”が標記された。末期には妻面窓と戸袋窓がHゴム支持化されていた。
1200形は、末期には銀座線浅草方から2両目に連結され、時代離れしたウィンドゥシル・ヘッダーを巻き、リベット外装とガーランドベンチレーターで異彩を放ちつつ使用されていたが、01系量産車が登場した1984年(昭和59年)から廃車が始まり、1986年(昭和61年)に全車廃車された。営団地下鉄の歴代車両としては、もっとも長期間に亘って使用された形式であった。
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