嗚呼!バラ色の珍生!!
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嗚呼!バラ色の珍生!!(ああ ばらいろのちんせい)は、日本テレビで1994年10月27日から2001年3月15日にかけて、約6年半の間放送していた島田紳助司会のバラエティ番組である。略称は「バラ珍」。放送日時は、木曜日19:00~19:54(後に19:58まで)。
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[編集] 概要
「目撃!ドキュン」「あなたに逢いたい」(テレビ朝日)と同様、人探しバラエティ・公開捜査の元祖とも呼べる番組。毎回、生き別れになった肉親や家族、大事な人を探して欲しいと視聴者が番組に依頼し、半年単位でスタッフが探し、見つかった際には感動のご対面が行われるという、前述の番組とほぼ同じ流れで番組は進められる。
[編集] 前期
放送当初の半年間は、それ以降とは番組の内容が全く異なり、出演した素人の不幸話VTRに対し、徳光和夫らパネラー陣が(後にフジテレビで放送された『トリビアの泉』の「へぇボタン」と同じ要領で)席のボタンを押して評価するというものであった。
[編集] 全盛期
ただ、視聴率が低迷したため、1995年4月に番組内容を一新。前半は主に苦手だったことを克服するなどのチャレンジャーを追うドキュメンタリーコーナーを放送、後半は生き別れの家族などを捜索する(後半のコーナーのように、テレビを通じて捜査協力を呼びかける、いわゆる「公開捜査」のスタイルは、テレビ朝日の『奇跡の扉 TVのチカラ』などでも使用されている)コーナー及び、同局「それは秘密です!!」、「ルックルックこんにちは・小金治の涙のご対面」コーナーを引き継ぐ形で涙のご対面のコーナーとなった。この涙のご対面が好評で、次第に人気番組に駆け上がり、2時間スペシャルでは番組丸ごとをご対面に使ったり、レギュラー放送でも2組のご対面を行ったこともある(通常は1組)。また、この形式のヒューマンバラエティーが当時人気を博していたため、この時期は他局でもそれぞれ違う曜日に19時台にこのタイプの番組を放送していた。涙のご対面は過去183組が果たしている。番組は視聴率25%を越える人気番組に成長した。
依頼人が捜索依頼している人物が見つかったときに、司会の紳助が「我々スタッフが一生懸命、一生懸命探しました。お母さん見つかりましたよ」と語りかけるシーンが番組のハイライト。当然のことながら、紳助はもちろん、レギュラーパネリストの徳光はじめ出演者全員が大号泣するものだった。中でも徳光の泣きぷっりがまさに小金治を彷彿させるものであった。ものまねタレントのコージー冨田が紳助ものまねのレパートリーとして使用している。
番組の中で生き別れの家族を探したところ、探す相手の家族側は他局がテレビ朝日の「目撃!ドキュン」でこちらを探しており、放送前に両局で調整が行われるという珍事もあった。
[編集] 晩期
1999年夏頃から番組にマンネリ化が生じ人気に陰りを見せ始める。1994年秋に『クイズ!年の差なんて』終了後はヒット番組に恵まれなかったフジテレビが、2000年4月に「クイズ$ミリオネア」が放送開始してからは更に視聴率が低迷し、2000年12月から番組内容を一新。前半はプロ歌手をデビューさせるバラ珍オーディションコーナーに、後半は最愛の家族や友人の死を乗り越えて再出発する企画などに変更。番組のコンセプトを一新して再起を図るも視聴者からは不評であり、視聴率が回復しなかったため2001年3月をもって放送を終了した。なお、ご対面のコーナーは後に『別れてもチュキな人』でも行われた。
[編集] 出演者
[編集] 司会
[編集] 歴代のアシスタント
- 1994.10~1996.03 - 篠原涼子
- 1996.04~1997.03 - 大河内奈々子
- 1997.04~1998.09 - 新山千春
- 1998.10~1999.09 - 菊池美緒(現:松井稼頭央夫人)
- 1999.10~2001.03 - 森富美(日本テレビアナウンサー)
[編集] パネラー
[編集] ナレーション
[編集] スタッフ
- 構成:詩村博史、沢口義明、倉本美津留、他
- 総合演出:雨宮秀彦
- ディレクター:斎藤政憲
- デスク:桜井園子
- プロデューサー:土屋泰則→安岡喜郎→藤川和彦→磯野太、小山伸一(ZION)、和田隆(創輝)、松原寛(日企)、神尾育代(NCV)
- チーフプロデューサー:渡辺弘→桜田和之(初期はプロデューサー)
- 制作協力:ザイオン、創輝、日企、NCV
- テーマ曲:Rainbows『Balla Balla』
[編集] スポンサー
放送開始当初は異例のスポンサーなしだった(但し、地方局では、独自のスポンサーがあった。一部の遅れネット局は開始前と終了後にそれぞれタイトルと提供クレジットが独自に表示された)。CMはなく、日本テレビの各番組の番宣だった。1999年4月からは後半30分においてP&Gを始めとする複数社提供となり、2000年10月から最終回までは1社30秒ずつ6社による複数社提供となった。
[編集] ネット局
- 日本テレビ
- STVテレビ(年数回遅れ放送あり、詳細は「ネット局による備考」を参照。)
- 青森放送
- 秋田放送(一時期未放送・遅れ放送あり、詳細は「ネット局による備考」を参照。)
- テレビ岩手
- 山形放送
- 宮城テレビ
- 福島中央テレビ
- テレビ新潟
- テレビ信州
- 山梨放送
- 静岡第一テレビ
- 北日本放送
- テレビ金沢
- 福井放送(一時期未放送・遅れ放送あり、詳細は「ネット局による備考」を参照。)
- 中京テレビ
- よみうりテレビ(一時期遅れ放送あり、詳細は「ネット局による備考」を参照。)
- 日本海テレビ
- 西日本放送
- 広島テレビ
- 山口放送
- 四国放送(一時期未放送・遅れ放送あり、詳細は「ネット局による備考」を参照。)
- 南海放送
- 高知放送
- 福岡放送
- 長崎国際テレビ
- 熊本県民テレビ
- テレビ大分(週遅れ放送)
- テレビ宮崎(週遅れ放送)
- 鹿児島読売テレビ
- 沖縄テレビ(週遅れ放送)
[編集] ネット局による備考として
- 秋田放送・福井放送・四国放送は番組開始から半年間ネットされていたが、視聴率低迷とローカルセールス枠だった為、1995年4月から『世界・ふしぎ発見!』(※但し、福井放送は95年4月から半年間は『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』の遅れ放送などを放送したが、1995年10月から『世界・ふしぎ発見!』の放送開始した。)に切り替えたが、1999年4月、マジカル・土曜ドラマ・水曜ドラマのネットCMを1分減らし、ネットCM3分枠が加わったことと、終了が19:58になった為、再び、秋田放送・福井放送・四国放送はネット復帰した。
- その他、STVテレビでは年数回、よみうりテレビでは一時期別時間に移動させ、自社製作番組(STVテレビでは『どさんこゴールデン』、よみうりテレビでは、クイズ番組「電脳!CQバトラー」=日本テレビでも深夜に遅れ放送したことがある=)を放送していた時期があった。広島テレビ放送でも自社製作のドキュメンタリー番組やプロ野球中継のためSTVテレビと同様の措置を取ったことがある。
- テレビ新潟では1996年5月9日に『夕方ワイド新潟一番』の4時間スペシャルを放送のため休止した(ちなみにこの回だけの司会に徳光が務めた)。これ以外にもローカル特番を放送した際に振替放送はなかった。
- 1996年から2000年9月まではスカイパーフェクTV!のCS★日テレでも放送されていた。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 嗚呼!バラ色の珍生!!(日本テレビ公式サイト)
[編集] 前後番組の移り変わり
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