国家総動員法
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通称・略称 | なし |
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法令番号 | 昭和13年4月1日法律第55号 |
効力 | 廃止 |
種類 | 行政法 |
主な内容 | 戦時統制経済の導入 |
関連法令 | 戦時緊急措置法など |
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国家総動員法(こっかそうどういんほう)は、1938年(昭和13年)に第一次近衛内閣によって制定された法律。総力戦遂行のため国家のすべての人的・物的資源を政府が統制運用できる(総動員)旨を規定したもの。1945年の敗戦によって名目を失い、翌1946年をもって廃止された。
目次 |
[編集] 背景
- スタブ
[編集] 内容
同法によって国家統制の対象とされたものは、以下の6点に大別できる。
- 労働問題一般 国民の徴用、総動員業務への服務協力、雇用・解雇・賃金等の労働条件、労働争議の予防あるいは解消
- 物資統制 物資の生産、配給、使用、消費、所持、移動
- 金融・資本統制 会社の合併・分割、資本政策一般(増減資・配当)、社債募集、企業経理、金融機関の余資運用
- カルテル 協定の締結、産業団体・同業組合の結成、組合への強制加入
- 価格一般 商品価格、運賃、賃貸料、保険料率
- 言論出版 新聞・出版物の掲載制限
法律上には上記統制の具体的内容は明示されず、すべては国民徴用令をはじめとする勅令に委ねられていた。このことから、同法をナチス・ドイツによる授権法(1933年)の日本版になぞらえる説もある。
[編集] 審議
大財閥を中心とした経済界はこの法案に対して、法律によらない私権の制限であり社会主義的であるとの批判をもっていた。経済界に近い立場の民政党・政友会など既成政党も、政府に対する広範な授権は憲法違反として反対の空気が強かったが、議会審議においては政府(特に陸軍)に押し切られる形で可決成立をみた。なおこの審議中には、既成政党の無力ぶりを示す以下2つのエピソードがあった。
[編集] 「黙れ」事件
1938年3月3日、陸軍省軍務課新聞班長佐藤賢了中佐は委員会審議中、政府側説明員として長時間にわたり法案の趣旨説明を行った。そのあまりの長広舌に対して議員より野次が飛んだ際、佐藤は「黙れ!」と恫喝、議場は騒然とし、事態収拾のため杉山元陸軍大臣が陳謝したものの佐藤本人に懲罰はなかった。
[編集] 西尾除名事件
社会大衆党は同法に賛成の立場であり、軍部・革新官僚・近衛の少数与党として立ち働いて飛ぶ鳥を落とす勢いであった。3月16日、同党議員・西尾末広は法案賛成の演説を本会議で行ったが、近衛文麿首相を激励する一節「ヒットラーの如く、ムッソリーニの如く、あるいはスターリンの如く大胆に進むべき」の「スターリン」の部分が民政・政友両党により問題化、西尾は発言を取り消した(このため議事録よりも削除)ものの懲罰委員会に付せられ、結局議員除名となった。既成政党勢力にとっては、陸軍に押し切られる一方の議院運営の鬱憤を社会大衆党に対して晴らす格好になった。なお、右翼と目されるはずの中野正剛の東方会は西尾の除名に反対した。議院内での対立の図式が「左翼―右翼」でなくむしろ「革新―現状維持」であったことを示す象徴的な出来事であった。
[編集] 総動員法の影響
- この項スタブ
[編集] 関連項目
政策・思想・イズム
政党・団体
政治家・思想家