大江千里 (歌人)
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![大江千里(百人一首より)](../../../upload/shared/thumb/e/e4/Hyakuninisshu_023.jpg/100px-Hyakuninisshu_023.jpg)
大江千里(おおえ の ちさと、生没年不詳)は、平安時代前期の学者・歌人。父は大江音人(おおえ の おとひと)といわれているが音人の孫という説もある。叔父に在原業平・在原行平、弟に大江千古(おおえ の ちふる)がいる。子には大江維繁、その息子には文章博士の大江以言がいる。中古三十六歌仙の一人。
[編集] 経歴
大学で学んだ儒者であるが、漢詩文はほとんど残っていない。中務少丞・兵部少丞・兵部大丞などを歴任しているが、詳細な官歴については不明である。宇多天皇の頃の歌合に参加、894年(寛平6年)宇多天皇の命により家集「句題和歌」(大江千里集)を撰集・献上している。また、菅原是善と「貞観格式」を撰している。歌は儒家風で「白氏文集(はくしもんじゅう)」の詩句を和歌によって表現しようとしたところに特徴がある。
[編集] 歌人としての功績
「古今和歌集」に以下の勅撰和歌集に入集している。
- 小倉百人一首
- 23番 月見れば 千々に物こそ 悲しけれ わが身一つの 秋にはあらねど(「古今和歌集」秋上193)