藤原実方
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
文学 |
ポータル |
各国の文学 記事総覧 |
出版社・文芸雑誌 文学賞 |
作家 |
詩人・小説家 その他作家 |
藤原 実方(ふじわら の さねかた、生年不詳 - 長徳4年12月12日(999年1月7日))は、平安時代中期の公家・歌人。藤原北家小一条流。祖父は左大臣藤原師尹、父は侍従藤原定時。母は源雅信の娘。父定時は藤原忠平の孫にあたり、実方は忠平の曾孫にあたる。子に朝元がいる。
花山・一条両天皇に仕え、従四位上左中将に至った。しかし、995年(長徳元年)に天皇の面前で藤原行成と歌について口論になり、怒った実方が行成の冠を奪って投げ捨てるという事件が発生する。行成は取り乱さず、主殿司に冠を拾わせ事を荒立てなかった。これが原因に実方は陸奥守に左遷され現地に下向。行成は蔵人頭に抜擢された。3年後、実方がその地で馬に乗り笠島道祖神前を通った時、馬が突然倒れ、下敷きになって没した(名取市愛島(めでしま)に墓がある)。年齢は40歳ほどだったという。その死後、賀茂川の橋の下に実方の亡霊が出没すると言う噂が流れたことが枕草子に見える。また、やはり死後にスズメへ転生して宮中の米を食い荒らしたとの伝説もある。
藤原公任・源重之・藤原道信などと親しかった。風流才子としての説話が残り、清少納言と交際関係があったとも伝えられる。他にも20人以上の女性との交際があったと言われ、『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルの一人とされることもある。
「拾遺和歌集」以下の勅撰和歌集に入集。家集に「実方朝臣集」がある。
[編集] 関連項目
- 伊吹山 上述の百人一首収録の和歌に詠まれたとされる山。しかしこの伊吹山は、栃木県栃木市内の小山だとする説もある。