学芸大学駅
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学芸大学駅(がくげいだいがくえき)は、東京都目黒区鷹番三丁目にある、東京急行電鉄東横線の駅である。
東京学芸大学は1964年に東京都小金井市へ移転している。ただし、学芸大学附属高校は今も当駅周辺に現存する。
目次 |
[編集] 駅構造
島式1面2線の高架駅である。
[編集] のりば
1 | ■東横線 | 自由が丘・武蔵小杉・菊名・横浜・ みなとみらい線 元町・中華街方面 |
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2 | ■東横線 | 中目黒・渋谷・○日比谷線 北千住方面 |
- エレベーター・エスカレーター完備。
- トイレは1階改札口内にある。2006年春頃までは駅構内にはなく、トイレは駅外にある目黒区設置の公衆便所を使わなければならなかった。どちらも多機能トイレは設置されている。
[編集] 駅周辺
- 学芸大学東急ストア
- 碑文谷公園
- 東京学芸大学附属高等学校…徒歩約15分
- ダイエー碑文谷店…徒歩約8分
- 駐日カザフスタン共和国大使館
[編集] 路線バス
[編集] 歴史
- 1927年8月28日 碑文谷駅として開業。
- 1936年4月1日 青山師範駅に改称。
- 1943年2月1日 第一師範駅に改称。
- 1952年7月1日 学芸大学駅に改称。
- 1999年5月 駅名の変更が検討される。沿線住民による投票の結果、変更はされなかった。
[編集] 駅名・周辺地名に関する事項
開業時の駅名「碑文谷」(ひもんや)は現在の目黒区南部一帯の広域名称。荏原郡碑文谷村が1888年衾村(ふすまむら。現在の目黒区環七通り以南)と合併して碑衾村(ひぶすまむら。1927年町制を施行して碑衾町)となった際に大字となっていた。駅名は碑衾村大字碑文谷字鷹番に設置されたので、大字を採った。なお、字「鷹番」は現在の地名になっている。
「碑文谷」の由来には諸説あるが、一説には鎌倉街道端にあった碑文を刻んだ石に因むとされている。「鷹番」は江戸幕府が設置した目黒鷹場の鷹番屋敷が置かれていたことに因んでいる。
周辺には五本木(テレビ朝日「欽ちゃんのどこまでやるの!?」にも登場)や、三谷(さんや)、唐が崎(からがさき。三谷と共にいずれも正式な町名ではなくなっている)、そして後述する東京学芸大学の所在地だった下馬がある。
1936年、東京府青山師範学校が近隣の世田谷区下馬町に移転したので、この最寄り駅として「青山師範駅」に改称。以降、「第一師範」から「学芸大学」へとこの学校の名称と共に駅名も変更した。
東京学芸大学移転時や東急目黒線・東急多摩川線などの路線名変更の際、みなとみらい線への直通運転開始時などに駅名を変更するかどうか議論されたが、地域住民の賛同が得られず現在に至っている。
付属高校は残っているものの、大学が移転してからかなりの年月が経っている。しかし国立大学2次試験当日、東京学芸大学受験生が間違えてこの駅に下車することが未だにあるといわれ、受験生にとっては注意を要する。
[編集] その他この駅に関する事項
乗換駅でもなく、バスターミナルもないのに急行停車駅となっているのは、急行運転設定当時この駅周辺が市街地と郊外の境界となっていたから。また周辺は古くからの繁華街であった。
以前は目黒区役所の最寄り駅であったが、区役所が中目黒にある旧千代田生命本社ビルに移ってからも、通勤客が多いため、利用者はほとんど減っていない。そのため、朝ラッシュピーク時間帯に運行されている急行渋谷行には、乗車できない場合がある。