屋山太郎
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屋山 太郎(ややま たろう、1932年(昭和7年)6月4日 - )は、日本の政治評論家である。福岡市生まれ。
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[編集] 略歴
父は鹿児島市の出身で、終戦の時期には鹿児島市で過ごす。東京都立青山高等学校、東北大学文学部仏文科卒業。
1959年時事通信社入社。ローマ特派員、首相官邸キャップ、ジュネーブ特派員、編集委員兼解説委員を歴任し、1987年退社。1981年第2次臨時行政調査会(土光臨調)に参画、以後第1次~第3次行政改革推進審議会専門委員、選挙制度審議会委員、臨時教育審議会専門委員を務めた。
2001年には第17回正論大賞を受賞している。
2006年6月、「新しい歴史教科書をつくる会」から八木秀次が袂を分って設立した「日本教育再生機構」に参加。中西輝政らと共に代表発起人を務める。
[編集] 論調
日本の親米保守論壇を代表する評論家の一人で、経済政策は新自由主義の立場を採り、外交問題については日米関係重視を機軸とした、日米安保条約・日米同盟の強化の姿勢を示している。また選挙制度審議会では小選挙区制の導入を掲げ、細川護煕政権での実現へと至った。首相の靖国神社の参拝も積極的に後押ししている。郵政民営化に関しては、もっとも強硬な推進論者で、仮に法案が否決された際は解散し国民の信を問うべきだと一貫して小泉政権の政策支持を主張し続けていた。 小泉純一郎・安倍晋三両政権に対する信頼は絶大なもので、安倍の主要な民間ブレーンの一人としての報道もなされた。
[編集] 著書
[編集] 連載
- 月刊WiLL 「常識のためのサプリ」連載中
[編集] 単著
- 『ぶったたく!日本の病根』(太陽企画出版, 1982年)
- 『日本再建への決断――行革に挑戦する明治の男たち 組織活性化のプロに学ぶ』(日本文芸社, 1983年)
- 『日本の政治はどう変わったか―戦後総決算の意味するもの』(PHP研究所, 1987年)
- 『国鉄に何を学ぶか――巨大組織腐敗の法則』(文藝春秋, 1987年)
- 『コメ自由化革命――これで生き返る日本農業』(新潮社, 1989年)
- 『世直し「減税革命」』(新潮社, 1992年)
- 『官僚亡国論』(新潮社, 1993年)
- 『責任者、出てこい――日本をダメにする34の非常識』(PHP研究所, 1996年)
- 『怒れ!日本人――「デタラメお上」にぶつける21の公憤』(PHP研究所, 1998年)
- 『私の喧嘩作法』(新潮社, 2000年/扶桑社[扶桑社文庫], 2005年)
- 『屋山太郎のやさしい政治塾――日本の政官システムの革新』(海竜社, 2002年)
- 『抵抗勢力は誰か――改革を阻む“亡国の徒”リスト』(PHP研究所, 2002年)
- 『自民党「橋本派」の大罪』(扶桑社, 2003年/扶桑社文庫, 2004年)
- 『道路公団民営化の内幕――なぜ改革は失敗したのか』(PHP研究所[PHP新書], 2004年)
- 『なぜ中韓になめられるのか』(扶桑社, 2005年)
- 『小泉純一郎宰相論――日本再生への道筋をつけた男』(海竜社, 2005年)