渡辺久信
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渡辺 久信(わたなべ ひさのぶ、1965年8月2日 - )は、西武ライオンズ、ヤクルトスワローズに所属した投手である。現在は西武ライオンズの2軍、グッドウィルの監督である。愛称は「ナベ」「ナベQ」(後者は、渡辺智男の西武入団以後、活字メディアで「渡辺久」と表記される機会が増えたことから、「久」の字を音読みにして)というニックネームがついている。
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[編集] 来歴・人物
高校時代から速球派の大型投手と期待されて西武に入団、高卒ルーキーながら1年目から活躍した。3年目の1986年には最多勝に輝き、エースの座を掴んだ。1989年10月12日、優勝争いの大事な試合で近鉄バファローズのラルフ・ブライアントに手痛い1発を浴びたように速球勝負で1発を浴びることも多かったが、1988年、1990年も最多勝に輝くなど西武黄金期のエースとしてチームを支え、日本シリーズでも1990年、1991年に完封勝利を挙げるなどここ一番で「さすがエース」と思わせる投球を見せた。日本シリーズでは6連勝という記録も達成している。
しかし球威の衰えとともに成績は低迷、1997年にはとうとう0勝に終わり日本シリーズでも痛打されてオフに戦力外通告を受けた。1998年はヤクルトに移籍し、野村克也監督の下で復活を期待されたが1勝を挙げただけにとどまり再び戦力外通告を受け、日本球界を引退する。渡辺は引退の記者会見で、最も心に残る場面として、ノーヒットノーラン、日本一、最多勝など数々の輝かしい自己の活躍があるにも関わらず、1989年10月12日にブライアントから本塁打を打たれたことを語り、その野球人としての誠実さは大いに評価された。渡辺によれば、後悔ないように一番自信があった直球で勝負を挑んでモノの見事に打たれたという。
その後は東尾修氏の勧めもあって台湾大聯盟・年代勇士の選手兼コーチとなり、16勝を挙げ台湾球界を代表するエースとして名を轟かしたほか、石井丈裕、郭泰源らと台湾球界の発展に努め、日本で活躍の場に恵まれない選手にも道を開いた。2001年限りで引退。引退後はテレビ朝日、文化放送、日刊スポーツなどで野球解説者を務め、2004年から西武の2軍投手コーチとなり2005年からは同(この年からチーム名をインボイスに改称、現・グッドウィル)2軍監督兼投手コーチとなる。2007年からは潮崎哲也が投手コーチに就任したため渡辺は監督専任となる。
[編集] 略歴
[編集] 所属球団
- 西武ライオンズ(1984年~1997年)
- ヤクルトスワローズ(1998年)
- 台湾・年代勇士(1999年~2001年)
[編集] 年度別成績
- 表中の太字はリーグ最多数字
年度 | チーム | 登板 | 完投 | 完封 | 無四球 | 勝利 | 敗北 | セーブ | 投球回 | 安打 | 本塁打 | 四死球 | 三振 | 自責点 | 防御率(順位) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1984年 | 西武 | 15 | 2 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 52.2 | 41 | 7 | 31 | 38 | 23 | 3.93 |
1985年 | 西武 | 43 | 7 | 0 | 0 | 8 | 8 | 11 | 152 | 132 | 22 | 75 | 121 | 54 | 3.20(2) |
1986年 | 西武 | 39 | 13 | 1 | 0 | 16 | 6 | 1 | 219.1 | 191 | 22 | 82 | 178 | 70 | 2.87(2) |
1987年 | 西武 | 30 | 5 | 1 | 0 | 5 | 3 | 8 | 105.2 | 81 | 10 | 46 | 74 | 36 | 3.07 |
1988年 | 西武 | 28 | 14 | 3 | 0 | 15 | 7 | 0 | 185 | 163 | 29 | 62 | 123 | 74 | 3.60(14) |
1989年 | 西武 | 29 | 17 | 4 | 0 | 15 | 11 | 0 | 226.2 | 210 | 34 | 90 | 174 | 86 | 3.41(5) |
1990年 | 西武 | 30 | 16 | 2 | 1 | 18 | 10 | 0 | 224.1 | 206 | 31 | 86 | 172 | 74 | 2.97(2) |
1991年 | 西武 | 25 | 6 | 1 | 0 | 7 | 10 | 0 | 151.1 | 142 | 17 | 73 | 127 | 74 | 4.40(18) |
1992年 | 西武 | 28 | 8 | 2 | 0 | 12 | 12 | 0 | 179.1 | 164 | 17 | 88 | 141 | 76 | 3.81(15) |
1993年 | 西武 | 26 | 7 | 1 | 0 | 9 | 14 | 0 | 160 | 153 | 15 | 73 | 143 | 68 | 3.83(17) |
1994年 | 西武 | 25 | 4 | 0 | 0 | 9 | 8 | 0 | 146.1 | 149 | 16 | 75 | 97 | 71 | 4.37(14) |
1995年 | 西武 | 20 | 0 | 0 | 0 | 3 | 4 | 6 | 49.1 | 42 | 7 | 30 | 43 | 31 | 5.66 |
1996年 | 西武 | 20 | 5 | 2 | 0 | 6 | 9 | 0 | 118.1 | 116 | 19 | 53 | 92 | 60 | 4.56 |
1997年 | 西武 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 43.1 | 42 | 4 | 27 | 37 | 20 | 4.15 |
1998年 | ヤクルト | 19 | 1 | 0 | 0 | 1 | 5 | 1 | 61.2 | 56 | 9 | 38 | 49 | 29 | 4.23 |
通算成績 | --- | 389 | 105 | 17 | 1 | 125 | 110 | 27 | 2075.2 | 1888 | 259 | 932 | 1609 | 846 | 3.67 |
[編集] タイトル・表彰
- 最多勝利投手 1986年、1988年、1990年
- 最高勝率 1986年
- シーズン最多三振奪取 1986年
- ベストナイン 1986年
- ゴールデングラブ賞 1990年
- 日本シリーズ優秀選手 1990年、1991年
- オールスター出場 1985年~1986年、1988年~1990年、1992年
- ノーヒットノーラン 1996年6月11日対オリックス・ブルーウェーブ戦
[編集] 日本での背番号
[編集] エピソード
- 前述のようにノーヒットノーラン達成経験があるがそれ以前に延長戦でノーヒットノーランを逃す不運に見舞われたことがある。
1990年5月9日、日本ハムファイターズ戦に先発した渡辺は快調に飛ばし9回までノーヒットピッチング、だが西武打線も柴田保光投手の前に無得点に抑えられ延長戦になった。10回もノーヒットを続けたが11回ついに小川浩一にヒットを許し、達成はならなかった。
なお、その試合では12回表に西武が先制、渡辺は11回無失点で勝利投手になった。 - 中学時代から140キロ近いストレートを投げていた渡辺は、県の高校野球界でも注目の的であったが、本人は地元の名門であり文武両道で名高い桐生高校を志望していた。
当時の桐生高校は、阿久沢毅・木暮洋のコンビで甲子園を席巻した直後であり、桐生高校側としても次代のエースとしての期待を込めて、受け入れ態勢を準備。専属の家庭教師をつけて、受験勉強を開始したが、生来の勉強嫌いと生まれてから一度も勉強をしたことがないこともあって3日で受験を断念。結局、前橋工業高校に進学した。
渡辺を獲得した前橋工業は、その後も多く甲子園に出場しているが、渡辺を逃した形となった桐生高校は、幾度も出場のチャンスを逃している。 - あるテレビ番組の企画で水島新司を訴えて勝ち、水島の描く漫画で渡辺が完全試合を達成する場面を描くことになった(ドカベン訴訟)。
その後しばらくして、渡辺は実際の試合でもノーヒットノーランを達成したのだった。
[編集] 関連項目
0 大崎雄太朗 | 2 柴田博之 | 3 中島裕之 | 4 高木浩之 | 5 和田一浩 | 6 後藤武敏 | 7 片岡易之 | 8 平尾博嗣 | 9 赤田将吾 | 10 佐藤友亮 | 11 岸孝之 | 12 河原純一 | 13 西口文也 | 14 小野寺力 | 15 大沼幸二 | 16 涌井秀章 | 17 山崎敏 | 19 長田秀一郎 | 20 山本淳 | 21 石井貴 | 22 野田浩輔 | 23 許銘傑 | 24 松永浩典 | 25 正津英志 | 26 星野智樹 | 27 細川亨 | 28 岡本篤志 | 29 三井浩二 | 30 ジェーソン・ジョンソン | 31 吉見太一 | 32 石井義人 | 33 江藤智 | 34 クリストファー・ギッセル | 35 岩崎哲也 | 36 山岸穣 | 37 銀仁朗 | 38 西川純司 | 39 貝塚政秀 | 40 ジェフリー・リーファー | 41 木村文和 | 42 アレックス・カブレラ | 43 原拓也 | 44 高山久 | 45 水田圭介 | 46 G.G.佐藤 | 47 帆足和幸 | 48 松川誉弘 | 49 上本達之 | 50 田沢由哉 | 51 大島裕行 | 52 栗山巧 | 53 福地寿樹 | 54 アレックス・グラマン | 55 黒田哲史 | 56 黒瀬春樹 | 57 田中靖洋 | 58 松坂健太 | 59 山本歩 | 60 中村剛也 | 61 星秀和 | 62 朱大衛 | 63 藤原虹気 | 64 石橋尚登 | 65 内田和也 | 66 宮越徹 | 68 田原晃司 | 69 東和政
83 監督 伊東勤 | 71 土井正博 | 75 荒木大輔 | 80 森山良二 | 78 立花義家 | 81 植田幸弘 | 72 清水雅治 | 79 笘篠誠治 | 87 原井和也 | 74 二軍監督 渡辺久信 | 76 田辺徳雄 | 77 石井丈裕 | 86 潮崎哲也 | 89 森博幸 | 88 相馬勝也 | 70 河田雄祐 | 98 大迫幸一 | 99 坂元忍 |
カテゴリ: 日本の野球選手 | 西武ライオンズ及びその前身球団の選手 | 東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団の選手 | 台湾の球団の野球選手 | 野球解説者 | 桐生市 | 群馬県出身の人物 | 1965年生