川北紘一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
川北 紘一(かわきた こういち、1942年12月5日 - )は平成ゴジラシリーズなどで有名な、日本の特撮監督。株式会社ドリーム・プラネット・ジャパン代表取締役。
東宝・特殊技術課に入社し、円谷英二に師事する。1972年「ウルトラマンA」で特撮を初めて演出した。1976年、『大空のサムライ』で商業映画デビュー。
東宝を定年退職した後、2003年1月、SFX・VFXの制作会社、株式会社ドリーム・プラネット・ジャパンを設立した。
ゴジラ映画や超星神シリーズなどでは、スタジオ内にスモークを張った上で怪獣を逆光で撮影し、怪獣のシルエットを浮かび上がらせるという手法を使う。また、怪獣は肉弾戦、いわゆるプロレスごっこをしないだろうという考えから、光線技を多用する為、川北特撮=光線の打ち合いという少々揶揄を込めた言われ方もするが、実際には前後の物語の繋がりを重視した上でかなり生々しいバトル(敵怪獣の喉笛を噛み切ろうと狙う、足に自重をかけて圧殺しようとする、背後から襲撃するなど)が描かれており、所謂擬人化した動きというものがない。また、「ジュニアの死に咆哮するゴジラ(VSデストロイア)」、「バトラの死を悟り、手を離し、その海に紋章を刻むモスラ(VSモスラ)」、「紺碧の海に沈む親モスラとそれを助けようとする幼虫(96モスラ)」といった哀感を込めたシーンも多い。
「あるものは何でも使えばいい」と雑誌宇宙船のインタビューで発言しており、『超星神グランセイザー』では東宝が所有する『妖星ゴラス』、『ゴジラ』シリーズなどの美術を流用した。『幻星神ジャスティライザー』においてもメカゴジラのモデルを使いまわしている。また、オガワモデリングが所有していた『さよならジュピター』のミニチュアを正式に譲ってもらい、超星神シリーズの宇宙戦のシーンにおいて使われ、緻密なミニチュアの流用は作品世界の広がりの表現に一役買った。 ゴジラシリーズを担当してきた川北だが、ガメラシリーズ(ガメラ 大怪獣空中決戦など)も高く評価している。ただし亀のキャラクターは好きではないらしい。
『特撮の鬼』の異名をもち、ミニチュアによるメカ特撮に定評があり『川北マジック』と呼ばれる。また意外にも平成ガメラの金子修介監督は川北特撮のファンであり、対談もしている。
[編集] 代表作品
- 1976年『大空のサムライ』
- 1984年『零戦燃ゆ』
- 1984年『さよならジュピター』
- 1988年『アナザーウェイ ―D機関情報―』
- 1989年『ゴジラvsビオランテ』『ガンヘッド』
- 1991年『ゴジラvsキングギドラ』
- 1992年『ゴジラvsモスラ』
- 1993年『ゴジラvsメカゴジラ』
- 1994年『ゴジラvsスペースゴジラ』『ヤマトタケル』
- 1994年『機動武闘伝Gガンダム』プラモデルCM
- 1995年『ゴジラvsデストロイア』
- 1996年『モスラ』
- 1997年『モスラ2 海底の大決戦』
- 2003年-2004年『超星神グランセイザー』(テレビ東京)
- 2004年-2005年『幻星神ジャスティライザー』(テレビ東京)
- 2005年-2006年『超星艦隊セイザーX』(テレビ東京)※劇場版も担当。
- 日本テレビの一連の「年末時代劇スペシャル」では、1988年の『五稜郭』、1989年の『奇兵隊』などで特撮監督を務めている。
- また、同じく日本テレビの『木曜スペシャル』で1983年に放送されたドキュメンタリードラマ『さらば海底空母イ401』などでも特撮監督を務めた。
- また、『木曜ゴールデンドラマ』で放送された1980年の『東京大地震M(マグニチュード)8.1』の特撮監督も務めた。