愛知県立千種高等学校
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千種高等学校 | |
国公私立の別 | 公立(県立) |
複合選抜の分類 | 尾張2群Bグループ(普通科) 尾張群Bグループ(国際教養科) |
設立年月日 | 1963年(昭和38年)4月 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制(セメスター制) |
学科 | 普通科・国際教養科 |
所在地・連絡先 | |
所在地 | 〒465-8507 |
名古屋市名東区社台二丁目206番地 | |
電話番号 | 052-771-2121(代) |
FAX番号 | 052-775-5116(代) |
外部リンク | 愛知県立千種高等学校 |
愛知県立千種高等学校(あいちけんりつちぐさこうとうがっこう、千種高校)は、愛知県名古屋市名東区にある公立の高等学校。県内有数の進学校である。通称は単に「ちぐさ」。または、誤用だが読みやすさから「ちくさ」。
校門のアーチ「飛翔」が本校の外観を特徴づける。
目次 |
[編集] 概要
普通科(7クラス)と国際教養科(2クラス、文理対応)を有し、平成15年度から3年間スーパーイングリッシュランゲージハイスクール(SELHi)に指定されていた。愛知県公立高校入試では、普通科が尾張第2群Bグループ、国際教養科が専門学科のBグループに属する。国際教養科では帰国子女も多く受け入れている。
校章は「かきつばた」。県花であるかきつばたを「高」の字形に模したデザインである。入学年によって校章バッチの色が異なり、緑、白、黄がある。
制服は、男子が黒の詰襟学生服、女子が藍色の「ブレードで飾られたテーラー襟ジャケット」と「前後2本の箱ひだがあるスカート」である。一般的に女子の制服は不評であるが、着こなしが自由なのであまり問題視されない。
校歌は丸山薫作詞、平井康三郎作曲である。応援歌もあるが、歌われることはほとんどない。
本校の所在地は名東区にあり、千種区ではない。設立当初の住所表記は千種区であったものが、名東区の新設に伴い住所表記が変わった。創立当時から将来の名東区分立の計画があったため、正しい高校名の読みは「ちぐさ」であり、「ちくさ」ではない(名古屋市千種区の読みは「ちくさ」)。
千種生(の特に女子)は自らを総称して「ちぐっこ」ということがある。
[編集] 入試難易度と進学実績
1963年開校の新設校であるが、周辺が新興住宅地で地域中学校のレベルが高かったことと後述する学校群制度の導入によって入試レベルが上昇。旭丘高校と並ぶ、県内トップクラスの難易度となる。東大に40名ほど入学する時代もあった。
その後、複合選抜制度が導入されると徐々に落ち着く。旭丘高校、明和高校に次ぐレベルとなり、菊里高校と合わせて、「尾張のトップ4校」と称されるようになった。
しかしながら近年は、向陽高校や瑞陵高校と並びつつある。これは、千種高校の「旭丘と並ぶ、県内一の自由さ」(に伴う浪人率の高さ)に対しての反発と、4校の中での歴史の浅さが原因と考えられる。また、一部中学校の進路指導教諭からは「薦められない高校」という評価がある、と思われる(千種に行くと勉強が疎かになる、など)。
勉強・部活・行事に熱心に取り組む姿が千種生のあるべき姿だが、行事と部活だけになってしまっている生徒が多くなったことが、入試難易度や進学実績に影響を与えていることは間違いない。
進路は、ほぼ全員が四年制大学へ進学する。進路指導は本人の意向を最大限尊重する方針であり、浪人率が4割前後と高く、進学先もバリエーションに富んでいる。浪人率の高さは近年の進学校では珍しいため、本校の入試難易度を下げる一因となっている。なお、千種高校は例年週刊誌への各種「進学実績」の公表を行っていない。週刊誌には高校名が載っていないが、東大・京大に行く生徒がいないわけではない。名古屋大学も現浪含めると数十人進学している。
※学校群制度では、生徒は群単位で受検し、各群での合格者を各群の高校で均等に配分する。千種高は菊里高校と名古屋1群を、旭丘高校と名古屋2群を組み、かつ旭丘高が組んだ名古屋3群が市の北部に偏在する市立北高への配分を嫌がる層で敬遠する傾向にあったため、難関伝統高である旭丘、菊里志望の生徒が配分によって千種高校に入学してくるケースも多く、このことが千種高の生徒のレベルを上げた。
[編集] 校風
[編集] 自由と自主自律(自主自立)
一般的に「自由な校風」と紹介されるが、千種高校の校訓は自主自律(自立)創造である。イベントはほとんど生徒任せであり、学校側から強制される規律もほとんどない。そういった自律ないし自立の伝統が「自由な校風」をつくりだしている。服装・髪型も自由である(ただし、私服登校は不可)。そのためか、卒業生徒の満足度は異常なほど高い。
千種高校は元々昭和30年代後半の中学卒業者急増に対処するための新設校であるため、校則は当初厳しかった。しかし、昭和48年度より愛知県で導入された学校群制度後の生徒らに対応するため、当時の学校長のもと、学習・部活動・行事を全て行う(両立以上の)三立の精神をもとにした指導体制を築き、それにそって生徒達自らが、行動を律することができることを示すことによって、自由な校風をもつ伝統校を目指す活動を行い、徐々に自由を獲得してきたという歴史がある。まさしく、「自主自律(自主自立)」による「自由の獲得」であり、そのことについて誇りを持っているOBや教員も多い。ただし、この状況を揶揄して「千種の自由は先生が守っている」と言われることがある。
獲得してきた自由を守るという意味から、常に全校的に「自由とは何か」といった問題提起が為される。毎年、担任教諭や生徒課(生徒指導課ではないことを強調している)の教諭、生徒会、規則検討委員会などが「自由な校風だからこそ、みずからを律し…」といった話をする。
[編集] 生徒会活動
生徒会活動も盛んである。一説では、県内でまともに機能している生徒会は千種と中村高校にしかないといわれる。大きな特徴として、規則検討委員会、集会検討委員会という自主的な意思に基づいて設置された委員会がある。
[編集] 有志
本校は、生徒の自主的な活動団体を「有志」と呼び、奨励している。
生徒会活動において、上記の規則検討委員会らは「有志委員会」と呼ばれ、生徒会の本部会議や集会に参加できる。課外活動では、公式クラブとは別にクラブ有志が作られる場合もあり、かつては「硬式テニス有志」が作られたこともある。その他、千種祭でのアーチの飾り付けは「アーチ有志」が行い、バンドの発表は「有志発表」と呼ばれる。
[編集] 討論
全校的に「討論」を奨励している。討論を目的とした行事もある(全日LTなど)。上記「自由について」も主要なテーマとして議論される。討論部も全国レベルの強豪である。
[編集] 学校行事
[編集] 千種祭(学祭)
- 体育祭と文化祭、全校企画で構成される。一般来場が可能なのは文化祭のみ。
- 体育祭は、文化祭の前座的意味合いが強いが、それでもやはり盛り上がる。
- 1~3年生の各クラスから成る「縦割りブロック」対抗で争う。
- ブロックごとに応援用の「デコ」という張りぼての人形が作られる。なお、「デコ」は後述する文化祭のとき、来場者を迎える役割も担う。
- 文化祭は、千種祭のメインイベントであり、公立では県内一の入場者数を誇ることで有名。千種といえば文化祭というイメージがある。
- 千種高校では、ほとんどの生徒が文化祭に熱心に取り組む。全く関わりを避ける生徒は皆無である。そのため、文化祭準備期間は校内全体が異様な空気に包まれる。
- 3年生はクラス演劇を行う。受験生としては天王山である夏休みにかなり本格的に練習や準備を行っている。演劇をして完全燃焼し、その後心を入れ換え勉強して、現役で有名大学に合格するのが理想的な千種生の姿である。しかし、演劇は浪人した時の言い訳としても用いられているのが現状である。
- 1,2年はクラス展示を行う。模擬店などの出店はないが、かえってそれが展示の創意工夫を促している。
- 文化祭の時にはアーチに飾り付けが行われるが、これは生徒たちの「アーチ有志」が行っている。
- 例年、文化祭日程にあわせて学校説明会が行われる。
- 全校企画
- 3年クラス演劇の優勝・準優勝クラスによる「アンコールステージ」が行われる。
- 最後はファイヤー・フェスティバル(F・F)を行っていたが、近隣住民からの苦情によってキャンプファイヤーが廃止され、ファイナル・フェスティバル(F・F)に名称を変更した。
- 千種祭後は、「祭りボケ」になる生徒が多数。
[編集] 修学旅行
[編集] 全日LT
- 二年生の行事。
- 校外施設でクラスごとで討論を行う。
- かつては一泊LTという名称で宿泊を伴っていたが、週休2日制導入時に現在のような形に変更された。
- そのため、現在は純粋にクラス討論を目的とした行事となっている。
[編集] 最寄り駅と周辺
- 最寄駅は、名古屋市営地下鉄東山線一社駅。本校は、駅から徒歩7分の立地である。千種駅ではないので注意が必要である。
- 通学手段として、地下鉄か市バスを使用する生徒が多い。
- 一社駅を利用するほかの高校として東邦高校があるが、交流は少ない。
- 周辺は東山通を「谷」とする丘陵地帯である。小売店舗は東山通沿いに立地しており、「丘」にある高校周辺には閑静な住宅地が広がっている。
- 数キロ先に東山公園・平和公園があり、運動部のランニングコースとして使用されている。
- 小中規模公園が点在しており、文化祭準備の時期には演劇の練習をしている生徒がいる。
- 周辺は閑静な住宅街であるため、早朝深夜に声だしなどの演劇練習をして苦情をいただくことがある。
[編集] 部活動
- ラグビー部 - 県内有数の強豪である。花園出場経験あり。舘ひろしは同部OB。通称「ビー部」。
- 野球部 - 00年秋、01年春と連続で県大会に進出。01年夏には、シード校の愛産大三河と春の県大会において善戦していたことから注目の公立校とされたが、基本的には無名の公立校レベルである。
- 討論部 - 1997年創部。全国大会『ディベート甲子園』出場の常連である。
- 吹奏楽部 - 校内一の部員数を誇る。06年の高文連主催の大会では全国大会にも出場。
全体的に運動部、文化部ともに活動は盛んである。
[編集] 沿革
- 1963年(昭和38年) 4月 - 開校(開校式、入学式、始業式は明和高校講堂で行われた)。当時の住所は千種区猪高町。
- 1965年(昭和40年)11月 - 武道場竣工。
- 1968年(昭和43年) 5月 - 体育館兼講堂完工。
- 1972年(昭和47年) 4月 - プール竣工。
- 1973年(昭和47年) 4月 - 学校群制度による1期生入学。市立菊里高校と名古屋1群、旭丘高校と名古屋2群を組む。
- 1984年(昭和59年) 2月 - 住居表示変更。名東区社台となる。
- 1985年(昭和60年) 4月 - 国際教養科設置。当時は1クラス。
- 1986年(昭和61年) 3月 - 東館(国際教養棟)竣工。音声学習に対応した教室が設置された。
- 1987年(昭和62年) 9月 - 創立25周年記念整備として校門アーチ完工。
- 1989年(平成元年) 4月 - 複合選抜制度による1期生が入学。普通科は明和高校と同じ尾張2群に配置される。
- 1995年(平成 7年) 4月 - 校舎改修(本館・中館)完工。
- 1998年(平成10年) 3月 - 体育館改修完工。
- 2003年(平成15年) 4月 - 文部科学省からスーパーイングリッシュランゲージハイスクールに指定される。
- 2005年(平成17年) 4月 - 国際教養科が2クラスになる。
[編集] 出身著名人
[編集] 芸能
[編集] 政治
[編集] マスコミ
[編集] 文芸
[編集] 学者
- 今井裕(天文学者・鹿児島大学理学部助手)
- 太田有(工学者・早稲田大学理工学部教授)
- 宇佐美文理(文学者・京都大学大学院文学研究科助教授)
- 尾島茂樹(法学者・金沢大学大学院法務研究科教授)
- 山本弘(法学者・神戸大学大学院法学研究科教授)
[編集] その他
- 長谷川岳(よさこいソーラン祭り創始者)
[編集] その他
なお、兵庫県宍粟市千種町千草に、「兵庫県立千種高等学校」がある。こちらの読みはち「く」さ。