戸出 (高岡市)
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戸出(といで)は富山県高岡市南部に位置する。旧西礪波郡戸出町にあたる地域を指す。現戸出中学校校区と一致。
戸出、醍醐(だいご)、是戸(これと)、北般若(きたはんにゃ)の4地区から構成される。
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[編集] 人口
約1万4千人
[編集] 地域の特色
- 全域を通して平地である。東に隣接する中田地区との境界になっている庄川が流れる。
- 中心部である戸出地区は戸出のほぼ中央部にある。主に商業地及び住宅地として利用される。商業地は現在では富山県道353号西部金屋戸出線沿いの国道156号よりも東側や富山県道253号戸出停車場線沿いに広がっている。昭和40年代までは富山県道353号西部金屋戸出線沿いの国道156号よりも西側にも商店街が広がっていたが、現在では商店はほとんどない。住宅地は戸出地区全体に広がっている。特に戸出7丁目は平成になってからできた新しい住宅地である。また、戸出4丁目、5丁目には一部水田が残っているが開発が進み住宅地となりつつある。
- 醍醐地区は戸出の北西部一帯を指す。全域に散居村が広がる水田地帯である。春にはチューリップの栽培が行われるが、最盛期と比べるとチューリップの球根を出荷する農家はとても少なくなった。同じ高岡市の福岡地区と隣接する。
- 是戸地区は戸出の南西部一帯を指す。醍醐地区と同じく散居村が広がる水田地帯で、チューリップ栽培を行う農家がある。カントリーエレベーターと呼ばれる戸出の米作基地があり、水田単作地帯である。地区内に高岡市立戸出中学校がある。高岡市の福岡地区、砺波市に隣接する。
- 北般若地区は戸出の東部一帯を指す。地区内には高岡法科大学がある。砺波市、同じ高岡市の中田地区に隣接する。
[編集] 産業
- 明治時代より繊維産業が発展。春日機械工業団地、高岡銅器団地、戸出工業団地を中心に製造業が発展。
- 国道156号沿いには大型小売店が進出。
- 富山県の出先機関である富山県総合デザインセンターがある。
[編集] 特産品
- 菜種油
- かぶらずし (蕪で鰤の塩漬けを挟んで発酵させた熟れ鮨の一種)
- チューリップ球根(主に南部)
[編集] 観光
- といで菜の花フェスティバル(4月29日)
- 戸出七夕まつり (7月3日~7日。竹飾りの本数3,000本は日本一)
- 幌武者行列 (元禄文化を高岡市で唯一とどめる祭り)
- 御旅屋門 (加賀藩3代藩主利常が鷹狩りの宿として造営した「御旅屋」の正門)
- 駒繋ぎの松 (木曽義仲にまつわる伝説が残る。)
- 戸出駅 (明治30年建築の駅舎は、福野、城端と並び富山県内で最も古い。)
- 戸出公園 (桜の名所として近隣の村々に知られていた。)
- 尾崎康工句碑 (戸出中学校には尾崎康工の銅像がある。)
- 戸出野神社大鳥居 (伏木の廻船問屋の寄進による。)
[編集] 教育
- 高岡法科大学
- 富山県立高岡南高等学校
- 高岡市立戸出中学校
- 高岡市立戸出東部小学校
- 高岡市立戸出西部小学校
[編集] 交通
[編集] 鉄道
[編集] 道路
- 一般国道
- 都道府県道主要地方道
- 富山県道9号富山戸出小矢部線
- 富山県道40号高岡庄川線
- 富山県道66号高岡砺波線
- 都道府県道一般県道
- 富山県道252号戸出高岡線
- 富山県道253号戸出停車場線
- 富山県道276号西中大滝線
- 富山県道353号西部金屋戸出線
[編集] 歴史
- 1617年(元和3年) 礪波郡下中条村の十村(加賀藩における大庄屋の呼称)川合又右衛門の開墾によって成立。その後、六斎市(毎月2、7、12、17、22、27日に行われる市)の開催により「町」としての形態を整える。
- 加賀街道(高岡~戸出~福野~福光~加賀国)、井波道(高岡~戸出~井波~城端~五箇山~飛騨国)、上使街道、千保川(当時は庄川の本流だった)が交わる水陸交通の要衝として、また加賀藩の御蔵の町としても発展した。
- 1889年(明治22年)5月25日 - 戸出、古戸出、中之宮、狼、市野瀬、市野瀬新の6村合併により町制施行
- 1896年(明治29年)10月 富山県初の株式会社「戸出物産株式会社」設立
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 西礪波郡小勢村大字伊勢領が戸出町へ編入合併
- 1954年(昭和29年)1月15日 - 戸出町、醍醐村、是戸村、北般若村の1町3村の合併により戸出町新設
- 1966年(昭和41年)2月10日 - 高岡市へ編入合併(戸出町解町)
- 1970年(昭和45年)春日機械工業団地造成
- 1974年(昭和49年)高岡銅器団地造成
- 1975年(昭和50年)戸出6丁目開町
- 1998年(平成10年)戸出7丁目開町
- 1999年(平成11年)オフィスパーク開設(北般若石代地内))
[編集] 地名の由来
- 1614年慶長末年頃の越中古地図には「灯油田」という村名が残っている。往古、戸出は「灯油田」と書かれていた。
- この地で灯油(ともしびあぶら;荏胡麻油、または胡麻油、菜種油)の生産が盛んであった為にこの名がついたと考えられる。菜種油栽培が全国に普及したのは江戸時代中期であることを考えると地名の由来となったのは荏胡麻油である可能性が高い。戸出近辺には灯油にまつわる地名が他にもみられる(油田(砺波市油田)、油屋(醍醐地区)等)ことから、かつてこの一帯ではかなりの広範囲にわたり灯油の生産が行われていたと考えられる。
[編集] 市街地域の旧町名について
- 現在の戸出町1丁目~5丁目に当たる戸出市街地域は現在でも町内会はこの旧町単位に組織されていることが多い。
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- 東町(ひがしまち) 町並みの東に位置することからこの名がついた。現戸出町1丁目~2丁目の一部。戸出公園、駒かけの松、JR戸出駅、戸出中田往来踏切などがある。
- 秋葉町(あきばちょう) 昭和24年5月1日、町を大火が襲った。その後昭和27年、火防の神として知られる秋葉大権現を勧請し、町名(東横町)を秋葉町に改めた。東町の北。北町の東に位置する。現戸出町2丁目の一部。
- 御蔵町(おくらまち) 加賀藩の御蔵の東側にひらけた町。現在は当時の御蔵はない。東町の南。ご年配のかたの中には、古い呼び名である「御蔵横町(おくらいよこちょう)」と呼ぶかたもいる。現戸出町2丁目の一部。
- 巴町(ともえまち) 町名の由来は「巴御前は大清水村の村娘だった」という戸出の民間伝承と関連していると考えられている。元禄時代より続けられている幌武者行列では巴町の子供が巴御前に扮して町をねり歩く。旧156号線(旧国道)の東側に位置する。東町から見て西。本町から見て東にある。現戸出町2丁目の一部。
- 寺町(てらまち) 戸出開町の祖・川合家の菩提寺である永安寺があるためにこの名がついた。本町より移転された御旅屋門がある。現在閉鎖されているファミリープラザハニーのあたり。巴町の南。(ハニー開店以前、バス停の名は「戸出ハニー前」ではなく「戸出寺町」であった。)現戸出町2丁目の一部~3丁目の一部。
- 馬場町(ばんばまち) 千保川の番屋があったといわれておりその「番屋」が訛って「馬場」となったと考えられている。寺町の南。現戸出町2丁目の一部~3丁目の一部。馬場町、寺町の東側には当時庄川の本流でもあった千保川が流れていた。そしてここには大きな船着場があった。
- 北町(きたまち) 町並みの北に位置することからこの名がついた。巴町の北。JA高岡戸出支店、戸出会館などがある。現戸出町2丁目の一部~3丁目の一部。
- 本町(ほんまち) 町並みの中央に位置することからこの名がついた。通称「戸出の四つ角」から西側が本町となる。巴町の西。「戸出の四つ角」にある石田薬局~北陸銀行~戸出野神社参道までのところに、戸出開町の祖・川合家の屋敷及び加賀藩の御旅屋があった。現戸出町3丁目の一部。
- 新田町(しんでんまち) 新田才許(加賀藩より新田を開墾するよう命じられた役職)が新たに開墾した新田嶋という地名からとって新田町とした。本町の西。国道156号線の東側。現戸出町3丁目の一部。
- 富久町(ふくまち) 新田町の南。戸出野神社の西側。ご年配のかたの中には、古い呼び名である「南町(みなみちょう)」と呼ぶかたもいる。現戸出町3丁目の一部。
- 古中東町(ふるなかひがしまち) 古戸出、中之宮という旧村名の頭文字をとって古中、さらに古中の東に位置するのでこの町名とした。国道156号線の西側。現戸出町4丁目の一部。
- 古中中町(ふるなかなかまち) 古中の中央に位置するのでこの町名とした。現戸出町4丁目の一部。
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- 古中西町(ふるなかにしまち) 古中の西に位置するのでこの町名とした。現戸出町5丁目。
[編集] 地域の伝承
[編集] 参考文献
- 戸出町史
[編集] 外部リンク
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