損害保険ジャパン
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種類 | 株式会社 |
市場情報 | |
略称 | 損保ジャパン |
本社所在地 | 東京都新宿区西新宿一丁目26番1号 損保ジャパン本社ビル |
設立 | 1888年 |
業種 | 保険業 |
金融機関コード | 9871 |
事業内容 | 損害保険 生命保険 |
代表者 | 取締役社長: 佐藤正敏 |
資本金 | 700億円(2006年) |
売上高 | 1兆9,314億円(2006年3月期・連結) |
従業員数 | 14,394名 |
主要子会社 | 損保ジャパンひまわり生命 損保ジャパンDIY生命 |
外部リンク | www.sompo-japan.co.jp |
株式会社損害保険ジャパン(そんがいほけんジャパン、Sompo Japan Insurance Inc.)は、日本の損害保険会社である。本社は東京都新宿区に所在する。略称「損保ジャパン」。
目次 |
[編集] 概要
2002年、安田火災海上保険と日産火災海上保険が合併して発足した。発足5ヶ月後に経営再建中だった大成火災海上保険を合併している。
安田火災は旧富士銀行を中心とした芙蓉グループに、日産火災は旧第一勧業銀行を中心とした第一勧銀グループに属しており、このため富士銀・第一勧銀・興銀が合併して発足したみずほフィナンシャルグループと親密な関係にある。同じくみずほと親密な第一生命保険とも業務提携を結んでいる。
旧安田火災だった1968年以降、みずほフィナンシャルグループ(当時は富士銀行)、明治安田生命保険(当時は安田生命)、第一生命と共同で国内の小学校に入学する新1年生を対象に、交通安全のための「黄色いワッペン」を配布している。
また、旧安田火災時代より、業界首位の東京海上日動火災保険に対する対抗心が強力なことで有名である。損保ジャパン発足後も市場シェアは20%程度で、業界2位の座に留まっている[1]。 平野浩志前社長自ら過大なノルマの達成を迫るメールを送信するなど、苛烈なノルマ至上主義の企業体質とされる。
[編集] 不祥事
前述のような体質の結果、近年コンプライアンス意識の欠如に伴う不祥事が発覚している[2]。
2005年9月27日、損保16社による保険金の不当な不払いが大量にあったことが発表され、同社もその中に含まれていた。同年11月25日、新たに加えられた10社を含めた26社中の1社として、金融庁から業務改善命令の行政処分を受けた[3]。
2006年5月、保険金の不当な不払いや違法な勧誘などを始めとした諸問題のため、全社2週間の営業停止処分(但し山口支店は検査時の証拠隠滅が発覚したため1ヶ月の営業停止)を受けるに至った[4]。
平野浩志前社長は、最終的には辞職に追い込まれたが、ノルマ達成を社員に迫るメールを自分の名前で発信するなどの事実があったにもかかわらず、当初は自らは事件とは無関係として最後まで引責辞任を否定していた。また、辞任後も会長としてとどまり、社内に院政を引こうとしたことがマスコミから激しく批判され、結局会長職につくことはできず、関連企業も含めたすべての役職を辞すこととなった。
この異例の厳罰について、金融庁幹部は「保険金を払うのは保険会社の最も基本的な機能。当局が監視しているからではなく、会社が責任をもって経営管理体制を取るべきだ」とコメントし、悪質な違法行為が判明した後も、原因究明や対策などに取り組まない無責任な企業体質を特に問題視していることを強調した[要出典]。1ヶ月後の三井住友海上火災保険のケース[5]とともに問題となった。
その後、損保業界では新たに第三分野保険に関連する不当な不払いが発覚。同社は本件について2006年10月31日付けで調査結果を発表する。この時点で判明していたものは、件数で975件、金額で2億7000万円という結果であった[6]。これは東京海上日動火災保険の805件、日本興亜損害保険の833件などと比べても多い。
2006年12月現在、その全容は不明だが、2007年4月末までに調査が完了すると発表した。
保険金不払い事案以外では、2006年12月10日に2×4工法の建築物に対する火災保険料を取りすぎていた問題が発覚している。
[編集] 本社ビル
西新宿の損保ジャパン本社ビルに本社をおく。旧安田火災の本社として淀橋浄水場跡地に1976年に建設されたもので、末広がりの外観から「スカートビル」とも、「パンタロンビル」とも呼ばれる。
詳しくは損保ジャパン本社ビルを参照。
[編集] 主力商品
- Dr.ジャパン
- ONE‐do
- 新火災保険
他に、旧・第一機罐保険以来の伝統として、国内唯一のボイラ保険を取り扱っており、工場や地域冷暖房などの大規模なボイラー需要者を対象に販売している。
[編集] テレビCM
イメージキャラクターとして2003年より女優の上戸彩を起用。パンダの着ぐるみを着せた「損保ジャパンダ!」として出演している。
[編集] 沿革
- 1887年7月 有限責任東京火災保険会社(東京火災)設立。
- 1893年9月 帝国海上保険株式会社(帝国海上)設立。
- 1908年8月 第一機関汽罐保険株式会社(第一機関汽罐)設立
- 1911年5月 日本傷害保険株式会社(日産火災)設立
- 1920年4月 大成火災海上保険株式会社(大成火災)設立。
- 1930年11月 第一機関汽罐は第一機罐保険株式会社(第一機罐)に商号を変更。
- 1941年11月 東京火災は太平火災海上保険株式会社を合併。
- 1943年2月 東京火災は東洋火災保険株式会社を合併。
- 1943年2月 帝国海上は第一火災海上保険株式会社を合併。
- 1944年2月 東京火災、帝国海上、第一機罐の3社が合併し、安田火災海上保険株式会社(安田火災)を設立。
- 2002年7月 安田火災と日産火災が合併して株式会社損害保険ジャパンが発足。
- 2002年12月 会社更生法により再建手続き中であった大成火災を合併した。
- 2006年5月 平野浩志社長(当時)が、保険金不払いに伴う行政処分の責任を追及され、引責辞任。
[編集] 母体各社
- 安田火災海上保険
- 安田財閥に属した損害保険会社。長らく業界二位であった。旧安田系ではあるが、日動火災海上保険や安田生命保険との関係は深くはなかった。合併前に第一生命保険と提携。このため、同社損保子会社であった第一ライフ損害保険も日産火災との合併と同時に併合している。
- 日産火災海上保険
- 日産コンツェルンに属した損害保険会社。日産春光グループ(日立・日産グループ)。日産自動車販売店には強いと言われたが、実際は安田火災が芙蓉グループ繋がりで相当食い込んでいた。勧銀十五社会に所属。
- 大成火災海上保険
- 古河財閥に属した損害保険会社。戦前までは日本領土であった台湾の会社で、戦後日本で再出発を図った。古河グループ・古河三水会に所属。火消しをモチーフにしたマスコットキャラクター「たいちゃん」があった。合併直前に引当不足で債務超過に見舞われ、倒産。当初安田・日産・大成の三社合併だったのを二社合併に変更し、大成は再建中のところを再保険部門(大成再保険)を分割した上で後から合流する形になった。
[編集] 参考文献
- 高杉良『広報室沈黙す』(1987年、講談社) ISBN 4061841254
- 旧安田火災をモデルとした経済小説