攻玉社中学校・高等学校
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攻玉社中学校・高等学校 | |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人攻玉社学園 |
設立年月日 | 1863年 |
共学・別学 | 男子校 |
課程 | 全日制の課程 |
所在地 | 〒141-0031 |
東京都品川区西五反田5-14-2 | |
電話番号 | 03-3493-0331 |
FAX番号 | 03-3490-0882 |
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攻玉社中学校・高等学校(こうぎょくしゃちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都品川区西五反田にある私立中学校・高等学校。中高一貫制男子校。通称は「玉社」(ぎょくしゃ)。明治の六大教育家の一人である近藤真琴が創始した長い歴史を有する伝統校であり、その名は広辞苑にも記載されている。近年では、有名大学に毎年多数の合格者を輩出する進学校として発展を遂げ、首都圏に於ける中学受験の人気校の一つに数えられている。
目次 |
[編集] 概要
1863年に近藤真琴が鳥羽藩の江戸屋敷に開設した蘭学塾が発祥。
1869年には築地の海軍操練所へ移転、その後海軍兵学校の予備校として発展、海軍大将など多くの海軍関係者を輩出する。その成立経緯から第二次世界大戦前は海城中・高と深い関係を築いていた時期もあったが、現在は交流が途絶えている。また陸軍の予備校としては成城中・高が挙げられる。
戦後になり、海軍兵学校の予備校としての地位が無くなると人気が急落、進学・就職実績ともに少なからず低迷していたが、現在では、東大・一橋大・東工大・早稲田大・慶應義塾大・上智大の主要6大学をはじめとする有名大学に手堅い進学実績を持つ進学校として位置づけられている。また、帰国子弟のみを集めた国際学級や成績上位者を集めた選抜クラス、算数・国語いずれかの教科のみの一科目特化型入試(特別選抜入試)など、私立の教育界がそれまで実施していない手法を実施することでも知られている。(ただし、選抜学級の設置により一般学級との差が生じ、一般学級の生徒が劣等感を感じるなどしているため英・数・国の習熟度別クラスを設置しようとする動きもみられる) 比較的小規模な学校であることから、校風は非常に家庭的な雰囲気であり、生徒も保護者も自らの学校名を親しみを込めて“玉社”(ぎょくしゃ)と呼ぶことが多い。
文化祭は「輝玉祭」(きぎょくさい)という名称で、毎年秋に行われる。
[編集] 沿革
- 1863年(文久3年) 鳥羽藩の江戸屋敷内に近藤真琴が蘭学塾を開設する。
- 1869年(明治2年) 築地にあった海軍操練所へ移転。塾名を「攻玉塾」へ改称。
- 1871年(明治4年) 福澤諭吉から芝新銭座の慶應義塾の敷地を譲渡してもらうこととなり、芝新銭座へ移転。
- 1872年(明治5年) 学制施行。幼年科を設置する。
- 1875年(明治8年) 航海測量習練所(その後、商船学校に改称)を設置。
- 1880年(明治13年) 陸軍測量習練所を設置。
- 1881年(明治14年) 商船学校の分校を三重県鳥羽市に設置。現在の国立鳥羽商船高等専門学校の前身。
- 1889年(明治22年) 海軍予備科を設置。
- 1893年(明治26年) 尋常中学校を設置。
- 1925年(大正14年) 品川区西五反田へ移転。
- 1931年(昭和6年) 商業学校を設置。後に商業科へ再編。
- 1947年(昭和22年) 学制改革により新制攻玉社中学校を設置。
- 1948年(昭和23年) 学制改革により新制攻玉社高等学校を設置。
- 1954年(昭和29年) 商業科を独立して、攻玉社商業高等学校として設置。
- 1966年(昭和41年) 中高6か年を統一のカリキュラムとする一貫教育を開始。
- 1990年(平成2年) 帰国子女に専門の教育を行う国際学級を開設。
- 2003年(平成15年) 新校舎が完成。
[編集] 教育理念
- 他山の石以て玉を攻くべし
詩経の一説であり、近藤真琴の言葉で最も有名。 さびれた石(=他山の石)のように取るに足らないものでも、 そこからも学び、自ら(=玉)を向上させていく(=攻く)ことを説いた言葉である。 「攻く」は「みがく」と読む。
- 授業の初めなどに「黙想」を行う。「黙想」とは姿勢を正して目を閉じ、精神集中をすることで、休み時間と授業中とのけじめをつける効果があるとされる。
[編集] 校訓
- 誠意
- 礼譲
- 質実剛健
[編集] 卒業生
以下は卒業生の一覧であるが、学制改革以前の人物も含まれる。
[編集] 海軍
- 鈴木貫太郎(海軍大将・元内閣総理大臣)
- 山屋他人(海軍大将・徳仁親王妃雅子の曽祖父)
- 財部彪(海軍大将・海相)
- 加藤寛治(海軍大将・軍令部長・艦隊派の領袖)
- 百武三郎(海軍大将・侍従長)
- 藤田尚徳(海軍大将・最後の侍従長)
- 山本英輔(海軍大将・連合艦隊司令長官)
- 安保清種(海軍大将・海相)
- 村上格一(海軍大将・海相)
- 大角岑生(海軍大将・海相・艦隊派)
- 江頭安太郎(海軍中将)
- 岡敬純(海軍中将・東京裁判にて終身刑、のち釈放)
- 松村龍雄(海軍中将・戦艦三笠副長)
- 金子養三(海軍少将・海軍初飛行成功者(大正元年))
- 石川信吾(海軍少将・戦艦大和発案者・艦隊派)
- 広瀬武夫(海軍中佐・「軍神」とされた)
[編集] 陸軍
[編集] 学界
[編集] 社会
[編集] 文学
[編集] 芸能
[編集] 受験関係
[編集] 中学受験
攻玉社中学校では2月1日の第一回受験と2日の第二回受験のほか、6日にも国語選抜・算数選抜を受験することが可能である。 本校では、「国際学級クラス」を設けており、1月11日に国際学級クラスの試験が受験可能である。但し、受験者は帰国子女に限る。又、第1回と第2回を受験すると「熱望組」として点数を加算するという特典を得ることができる。
特待生制度では第一回で上位5名、第二回で上位10名が入学金と一年次の授業料が免除される。(最高で中学三年次で適用される)
[編集] 高校受験
募集はされているものの、中学校で素行や学業成績などが悪いために退学となった生徒の補充程度であり、募集人数は例年数名である。
[編集] 大学受験
以前までは俗にいうマーチを主眼とした受験体制をとっていたが、最近は、東京大学・東京理科大・早慶など難関校の合格率も確実に上がっている。 平成18年度卒業生の年には、東京大学理科Ⅲ類合格者を1名輩出という快挙も成し遂げている。
[編集] 文化祭
- 文化祭は9月下旬に2日にわたって開催される。通称「輝玉祭」。2006年度から広報部門により公式HPが開設された。
毎年、同校の文化部を中心に活動報告などを行うが、一部の運動部も活動に参加している。 飲食関係は麻布学園の文化祭にて食中毒が発生したことをうけ、縮小傾向にある。 又、学習塾のアンケートで面白い学園祭ワーストスリーに入ったこともあり、余り面白くないという意見が多い。
- 文化祭を運営するに当たって輝玉祭実行委員なるものが存在するが、中身はかなり細かく役割分担がされており当日は色とりどりのTシャツを着用。
委員総動員で運営に当たっている。
[編集] 系列学校
- 攻玉社工科短期大学 - 現在休校中。